第7.5話 姉妹

(よし、回復と浄化は大丈夫のはず。明日はルードさんたちの足を引っ張らないようにしなきゃ)


 読んでいた魔導書を閉じ、マヤが灯りを消そうとした時である。

 ふと、下から叫び声が聞こえたような気がした。

 姉のミヤはすでにベッドで寝息を立てている。


(…………気のせい?)


 マヤがベッドに潜り込むと、今度はハッキリと悲鳴が聞こえた。


「ねえ? お姉ちゃん? 悲鳴が聞こえるんだけど」

「…………」

「お姉ちゃん?」

「…………」

「ねえってばっ!」

「……ん~っ? なに?」


 マヤに揺さぶられて、ようやくミヤが目を覚ました。

 気持ちよく寝ていたところを起こされ、ミヤがしかめっ面で妹を睨みつける。


「下から悲鳴が聞こえたの」

「も~知らないわよ」

「でも、本当に聞こえたんだから」


 ベッドから出たマヤが、窓を開けて夜の町を見下ろした。

 ひんやりとした夜風が部屋に入って来る。


ミヤとマヤの姉妹は町で最も安いといわれる宿屋に泊まっていた。その中でも、一番安い五階の部屋である。駆け出しの冒険者のため懐が寂しく、何かと節約しなければならないのだ。


「明日はルードさんに、魔物が出る森に連れて行ってもらうのよ。寝ぼけていないで早く寝なさい」


 そう言って、ミヤは薄い掛け布団を頭からかぶった。


「あっ、狼がいる。迷い込んだのかな? ……えっ? 熊? なに? いっぱいいる」


 宿屋の前の道を、人の動きではない幾つもの影がうごめいている。マヤは得体の知れない恐怖を覚えた。

 すると、遠くから聞こえていた悲鳴が、次第に大きくなっていく。そして、ハッキリと『魔物だ』と叫ぶ声が聞こえた。


「お姉ちゃん! 魔物よ! 下に魔物がいるわ!」


 マヤの叫び声にミヤが飛び起きた。しかし、ミヤはまったく信じていない。


「静かにしなさい! 隣の部屋に迷惑でしょ!」


 ピシャリと妹を叱りつけたマヤが、再び布団にもぐろうとした、次の瞬間。


「「「うわああああっ! ゴブリンだあああ!」」」

「ひいいいいいい!」

「助けてくれええ!」

「ぎゃあああああ!」

「誰かあああああ!」

「ぐわあああああ!」


 悲鳴はすぐ下の階からであった。しかも、悲鳴の数が尋常ではない。ゴブリンの大群に襲われているのだ。


「――ゴブリンですって!?」


 驚いたミヤがベッドから転げ落ちる。


「お姉ちゃん! 大丈夫?」

「ど、どうしよう。早く逃げなきゃ」


 マヤに戦う選択肢ない。なぜなら、魔物と戦った経験が皆無のFランク冒険者だからだ。

 せめて、ゴブリンが三匹程度なら希望はあった。


「逃げるったって、どこに? ここ五階だよ」

「と、とりあえず、ベッドで扉を塞ぐのよ」


 姉妹は力を合わせてベッドを押し、扉の前に移動させた。

 しかし、その後はどうすればいい?

 部屋にはベッドが一つだけの狭い部屋だ。隠れる場所なんてどこにもない。


 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえる。


「お、お姉ちゃん、怖い」

「う、うん……」


 ミヤは弱々しく笑い、力強く妹を抱きしめた。


 ゴブリンたちは人間の女をさらって繁殖させる、そんな噂話を思い出した。

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。考えるだけでも悍ましい。

 あまりの恐怖に気を失いそうだ。しかし、妹だけでも助けなければ。


「ぶ、武器を」


 弓使いであるミヤは、震える手で弓矢を探した。


 ――ドンドンドンドン!


 扉を激しく叩く音と、ギイギイと不快な鳴き声が聞こえる。ついに、ゴブリンたちが部屋にやってきたのだ。


「い、いやだ、お姉ちゃん!」

「大丈夫よ。扉には鍵がかかっているわ」


 ――バキィッ!


 ゴブリンが斧で扉を破壊したのである。

 割れ目から中を覗いたゴブリンが、怯える姉妹の姿を見つけると、あっという間に、扉をバラバラにしてしまった。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!」」


 姉妹の悲鳴を合図に、十数匹のゴブリンたちが一斉に部屋へと雪崩れ込む。


「お姉ちゃん! 助けてええ!」

「マヤ!」


 ミヤとマヤは成す術もなく、羽交い締めにされてしまった。

 少女の腕や足、胸や腰に絡みつくゴブリン。一匹の力はさほど強くもないが、この数で抑えつけられると全く動けない。もがけばもがくほど、興奮するゴブリンたちの口角がニイッと吊り上がっていく。


「くっ、ううう……」


 今からどんな目にあわされるのか、その悲惨な光景を想像し絶望したミヤは固く目を閉ざした。



 ――ギイッ! ギッ! ギャッ! ギエッ! ギョッ! ギヒッ!


「………………?」


 ふと、身体が軽くなり、ゴブリンの気配が消えた。

 ミヤが恐る恐る目を開けると、


「だ、大丈夫? なんか、女の子の悲鳴が、聞こえたから……」


 深海のように暗い青色の髪、切れ長の目に困り眉の少年が見下ろしていた。その喋り方は自信なさそうにオドオドしている。

 ミヤが起き上がって周りを見渡すと、十数匹いたゴブリンが全て床に倒れていた。


「あ、あなたが助けてくれたの?」

「う、うん……」


 困り顔で頷く、青髪の少年。

 年は十六、七歳くらいだろうか。パッと見は冷たそうに見えるが、子犬のような愛くるしさを感じた。

 しかし、一瞬にして十数匹のゴブリンを倒したほどだ。大人しそうな見た目に反して、かなりの腕なのだろう。


「危ない所を助けてくれて、ありがとう」

「――お姉ちゃん、怖かったよ~」


 半泣きのマヤが飛びついてきた。どこにも傷が無いことを確認して、ミヤが安堵する。


「あ、あのさ、ぼくはこいつらを殺せないので、とどめをさしたほうがいいよ」


 青髪の少年はモジモジしながらそう言うが、身長と同じくらいの長剣を背負っている。しかも、切れ味の良さそうな黒い剣だ。


「まだ死んでないの?」

「うん。こいつらは気絶しているだけ」


 よく見ると、ゴブリンの指先がピクピクッと痙攣している。


「他のお客さんたちは、どうなったのかしら? あなたが助けてくれたの?」

「い、いや、知らない。女の子は君たちだけだったから……」

「女の子? それじゃあ、男の人は?」

「さあ? 男なんてどうでもいいし、時間がもったいないよ」

「え、でも……」


 下から聞こえていた悲鳴が消えたということは……。姉妹は顔を見合わせた。


「もういいかな? 他のところにも行かなきゃ」

「あ、待って。私たちも一緒に行っていい?」

「ん~、外は危ないし、ここにいたほうがいい。そのうち、町の憲兵隊が来ると思う」

「それまでに、また魔物が来るかもしれないわ」

「大丈夫。ゴブリンの死体を、部屋の前に置いとけば、寄ってこなから」

「部屋の前? ……わかったわ。やってみる」


 破壊された扉に視線を向けていたミヤが振り向くと、青髪の少年は窓から飛び降りてしまった。


「ちょっ! ここ五階――」


 慌ててミヤとマヤが窓から身を乗り出す。しかし、青髪の少年の姿を見つけることはできなかった。


「そういえば、名前を聞いていなかったわね……もっと、他にもいろいろ聞きたいことがあったのに……」


 気が動転して上手く考えることができない。ミヤはコツンと自分の頭を叩いた。


「ねえ? お姉ちゃん?」

「ん? どうしたの?」

「このゴブリンたちをギルドに持ち込んだら、けっこうなお金になるんじゃない?」

「は? …………たしかに、そうね」


 冒険者としてやっていく自信をなくしていたミヤであったが、たくましい妹を見てもう一度頑張ってみようと思うのであった。

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