第16話 マリー

「ああ、なんてこと……」


 腹を斬られて横たわるマリーは、辛うじて息をしている状態であった。

 しかし、傷痕からはドス黒い血がどんどん溢れ出してくる。一刻の猶予も許されない。


「お、お嬢様……よかった……ご無事で……」


 薄っすらと目を開けたマリーが、かすれた声で語り掛ける。


「マリー、しっかりしてっ」

「申しわけ……ございません……」

「なんで謝るのよ?」

「約束を……守れそうに……ありません」

「いやよ。わたくしを一人にしないで!」

「……お嬢様なら……おひとりでも……大丈夫です」

「そんなことないわ。わたくしの子を抱くんじゃなかったの!?」

「……そうでしたね」

「そうよ。だからお願い」

「……男の子でしょうか……女の子でしょうか……うっ」


 血の気が失せて白くなったマリーの顔が苦痛に歪む。


「ああ、どうしよう。マリーもう喋ってはダメよ」

「きっと……かわいらしい………………お嬢様に似た……」


 一瞬だけ微笑むと、マリーは静かに目を閉じた。


「いやああああああっ! マリー!」


 Sランクの冒険者でも敵わない強力な魔法を使えるベルフェルミナが、黒髪を振り乱し慌てふためくことしかできない。ほとんどの物理攻撃に魔法攻撃が効かない戦闘狂のオルガは、回復魔法を習得する必要がなかったので攻撃魔法しか使えないのだ。


「――あっ! そうだわ!」


 彼らが冒険者だということを思い出したベルフェルミナは、既に冷たくなっているレーベンの元に急いだ。そして、震える手でウエストポーチを漁る。


(ごめんなさい、レーベンさん。一刻を争うの……)


 回復役の冒険者がいないパーティーなら、必ず所持しているはずだ。


「あったわ。ポーションと薬草…………すみません、使わせていただきます」


 緑色の液体の入った小瓶と、麻紐で束ねられた薬草を握りしめ、再びマリーの元に急ぐ。


「さあマリー、これを飲むのよ……」


 少しずつポーションを飲ませると、マリーの身体が緑色の弱い光に包まれた。すると、斬り裂かれた傷口が徐々に塞がっていく。それを見てベルフェルミナは全身の力が抜けてしまった。


「はぁ……よかった。これで――」


 しかし、半分ほど塞がったところで回復の効果が止まる。傷が深すぎてポーションだけでは治癒できないのだ。


「ああっ、そんな……待って」


 ベルフェルミナは肉厚で固い薬草を揉みほぐし、柔らかくなった薬草で傷口を塞ぐ。そして、自分のスカートの裾を引き裂いて包帯代わりに巻き付けた。


(ああ、神様。お願いします。どうか、どうか、マリーをお助けください。代わりにわたくしの命を捧げても構いません……)


 ベルフェルミナは半べその状態で心の底から強く祈った。しかし、都合のいい神様などいないことは重々承知している。なぜなら、母親のときも必死に毎日祈り続けていたのに、願いが届くことはかなかったからだ。


「ほんと、自分が嫌になる……どんな相手だろうと倒すことのできる力があるのに、治す力が無いなんて……二千年も生きておきながら、なんと愚かでくだらないことをしていたのだろう……ごめんね。マリー……ひっ、ひっ、ひっく……うわああああああああ」


 まるで、幼い子供のようにベルフェルミナは泣きじゃくった。母の時は悲しくてもマリーがいた。しかし、もうこの世で一人ぼっちになってしまったのだ。こんなに苦しい思いをするのなら、パトリックに殺されておけばよかった。しかし、魔法攻撃も物理攻撃も自分には通用しない。この世界から逃げることは許されないのだ。全てに絶望し、ベルフェルミナは地べたに泣き崩れた。



「~~か?」


「~~ですか?」


「――大丈夫ですか?」


 徐々に近づいてくるその聞き覚えのある声に、ベルフェルミナが顔を上げる。そこには、黒地に金の刺繍の入った仮面をつけた貴公子がいた。


「……メイソン……様?」


 涙でぐちゃぐちゃになったベルフェルミナの顔を見て、僅かにメイソンが戸惑う。

 そして、傍に横たわるマリーに視線を向けると、


「これは酷い。――ダグラス! 来てくれ! 早く! お前の力が必要なんだ!」


 差し迫った状況に、大きく声を張り上げた。

 メイソンの視線の先には、ベルフェルミナたちが乗っていた馬車よりも大きく豪華な馬車が四台と、数名の騎士が停留している。


「――お呼びですかな? メイソン様」


 カツカツと精霊の宿り木より作られた杖を鳴らし、金色の刺繍が施された厳かな白いローブを纏った老人が現れた。

 そのいで立ちは、齢七十にして背筋は真っ直ぐに伸び、歴史を刻んだ深い皺と威厳のある白い髭を蓄えている。

 この世に存在する魔法を極めたとされる大賢者であった。

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