第12話 一難去って

 次第に馬車の揺れを感じるようになり、ベルフェルミナは深い眠りから目を覚ました。夢を見ていたのは確かだが、どのような夢だったのか思い出せない。ただ、懐かしくあたたかい気持ちだけが心に残っている。


「……お目覚めですか? ベルお嬢様」


 静かに囁くような声の主に視線を向ける。


「マリー……ずっと起きていたの?」


 自分だけ眠ってしまい、ベルフェルミナは申し訳ない気持ちになった。


「いいえ。私もつい先ほどまで眠っていました。夢を見たんですけど、なかなか思い出せないんですよね。何となく懐かしい夢だったような……」

「ほんと!? わたくしも、懐かしい夢を――」


 ――ヒィヒヒィィンンッ!!!


 突然、けたたましい馬の嘶きと共に馬車が急停止した。


「きゃああああああっ!」

「お嬢様っ!」


 ガタンと車体が大きく揺れ、前方に投げ出されたベルフェルミナをマリーが受け止める。


「……だ、大丈夫ですか? ベルお嬢様?」


 マリーのふくよかな胸に顔を埋めたまま、ベルフェルミナは抱きつくようにマリーの腰に手を回した。座席に戻ろうにも身体がいうことをきかない。


「あ~びっくりした……体が宙に浮いたわ」


 大きく柔らかな胸の谷間から、ベルフェルミナはマリーの顔を見上げた。


「お怪我はありませんか?」

「……え、ええ。マリーのおかげで無事よ。マリーは?」

「私は、ぜんぜん平気です」

「よかった……」

「いったい何が起きたのでしょうか?」

「つ、ついに、魔物が出たのかしら……」


 いざとなると、やはり魔物は怖い。外の様子を知りたくても、ベルフェルミナはすっかり怖気づいてしまい。窓に近づくことすらできなかった。

 すると、野太い叫び声や不快な奇声が二人の耳に届いた。明らかに、ならず者が発するそれだ。


 ――馬車が山賊に襲われている。


 すぐさま状況を把握したマリーは、守るようにベルフェルミナの頭を抱え込んだ。もし、山賊の手に落ちたら、どんな酷い目にあうかは容易に想像できる。


「大丈夫よ、マリー。この時のために、彼ら護衛を雇ったのだから……」


 不安を振り払おうとするベルフェルミナの言う通り、激しくぶつけ合う金属音が鳴り響いた。飛び交う怒号や雄叫びが聞こえてくる。この馬車を守るために、レーベン達が山賊と戦っているのだ。


「そうですよね。きっと、レーベンさんたちが追い払ってくれるはずです」

「ええ。もちろんよ」


 力強くベルフェルミナが応える。しかし、悲鳴や絶叫が聞こえる度に、ベルフェルミナとマリーは恐怖に震えた。一歩外に出たら生死をかけた戦いが繰り広げられている。


 レーベンたちは怪我をしていないだろうか?

 山賊は何人いるのだろうか?

 戦闘はいつまで続くのだろうか?


 次々と湧き出す不安に押し潰されそうになりながら、ひたすら神に祈った。


「………………………………………………」

「……………………」

「……?」


 気が付くと、戦闘の終わりを意味する静寂が訪れていた。レーベンたちが山賊をやっつけたのだろうか、それとも……。

 胸騒ぎがするベルフェルミナは、カーテンの隙間から外を覗き見た。


「――ひっ」


 見るに耐えない凄惨な光景が目に飛び込み、思わず息を呑んだ。激しい戦闘を物語るように、いくつもの死体が地面に横たわっている。目と口を大きく開け絶命した死体。手足が無い損傷の激しい死体。ベルフェルミナは激しくなる動悸を抑えるため、胸元を強く握り締めた。


 そんな、血の臭いと土埃が立ち込める中に立ち尽くしていたのは、


「レーベンさんよ! リックさんもロイさんも無事だわ!」

「……ああ、よかった。みなさんが御無事で」


 ベルフェルミナの声に、マリーがほっと胸を撫でおろした。お金で繋がった依頼主と護衛の関係だとしても、共に焚き火を囲み、食事をすれば情も湧く。


「さすがDランクの冒険者ね。こんなに強かったなんて」


 死体の数と逃走した人数を考えると、山賊は十人以上いたであろう。自分たちより三倍以上も多い人数を相手に戦っていたのだ。今すぐ馬車を飛び下りて、熱い抱擁と感謝の言葉を伝えたい。


(…………。)


 そうしたいのは山々だが、たくさんの返り血を浴び、赤く染まった武器を手にする姿にベルフェルミナはたじろいでしまった。


「ベルお嬢様? 彼らに護衛を依頼してよかったですね」

「うん。だから言ったでしょ…………あら? ちょっと待って」


 ここで初めて、ベルフェルミナが違和感に気付く。


「どうかなさいましたか?」

「御者の二人がいないわ」

「まさかっ!? あの二人がやられてしまったのですか?」

「違うの。どこにも見当たらないのよ」

「もしかして、私たちを置いて逃げたのでは? いいえ、絶対にそうですよ!」

「彼らが逃げるなんて……」


 自分たちが護衛対象ではないことまでは想定していた。しかし、プライドの塊といわれる護衛騎士が、逃げ出すとは思いもよらなかった。

 僅かに顔色を変えたベルフェルミナが、口元を手で隠して考え込む。


「まったく。王家の護衛騎士ともあろう者が、山賊を前に逃げ出すとは情けないっ」


 散々、嫌がらせと偉そうな態度をしてきたくせにと、道中を振り返ったマリーが、ふつふつと怒りを募らせていく。


「本当に逃げただけならいいのだけれど……山賊に襲わせるため、御者たちがここへ連れて来たのかもしれないわ」

「そ、そんなの考えすぎですよ。ベルお嬢様のお命を奪うつもりでしたら、初めから投獄して処刑するのではないでしょうか? わざわざ、こんなことをする必要がありません」

「たしかに、そうなのよね……」


 うーん、と小首を傾げるベルフェルミナの背後から、不安を和らげるようにマリーが優しく抱きしめた。健気に妃教育を頑張っていたご主人様は何も悪くないのに、バカな王子のせいで大変な目に遭わされているのだ。疑心暗鬼になるのも仕方がない。


「大丈夫……大丈夫ですよ。ベルお嬢様が笑って暮らせる日は、必ず来ますから……」

「……うん」


 頼もしく柔らかいマリーの腕から温もりが伝わってくる。悪いことばかりを考えても仕方がない。取り敢えず、窮地は脱したのだから前に進めばいい。

 ベルフェルミナの表情に明るさが戻った――次の瞬間。


「――止まれ! それ以上、近づくな!」


 レーベンのただならぬ叫び声が、ひと時の静寂を切り裂いた。

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