第3話 あれが受付嬢のようです

 ウォーレス伯爵領の町を取り囲む、魔物の侵入を拒む強固な防壁。

 しかし、十五年前のある日を境にパタリと魔物が消える。馬車でニ日以上かかる地域まで行かなければ、魔物に遭遇することがなくなってしまったのだ。

 防壁の必要性が無くなるとともに、町に訪れる冒険者をほとんど見かけなくなった。武器屋、防具屋などは次第にその数を減らし、冒険者ギルドはガラの悪いゴロツキどもがたむろする酒場と化していた。


「――なかなか良い値段で売れましたね、ベルお嬢様」


 伯爵家の馬車に戻るやいなや、私服姿のマリーが金貨の詰まった袋を確認する。


「う~ん。そうなのかしら? お気に入りのドレスを十着も売ったのよ。それなのに、金貨四十枚にしかならなかったわ」

「流行とかありますからね。仕方ないですよ」

「わたくしが、もう少し上手く交渉できていれば……」


 店主に足元を見られ、購入した額の半値以下に買い叩かれたのは事実である。


「いいですか? 平民が一ヶ月働いて得られる収入は、だいたい金貨一枚といわれています。そう考えると大金だと思いますよ。しかも、装飾品を売ったぶんも合わせると、金貨百枚を超えます。これからは、平民の金銭感覚に慣れていかなくてはなりません」

「そ、そうね。わかったわ」


 すまなそうに頷くベルフェルミナは、クローゼットの中で一番地味だと思うドレスを着ていた。冒険者ギルドで目立たずに、やり過ごすためである。それでも、生まれ持った美貌と平民には無い気品が滲み出し、お嬢様オーラを隠しきることはできなかった。


 そこで、次に二人が向かったのは、


「ここです、ベルお嬢様。庶民の服を何着か買いに行きますよ」


 小さな婦人服の店であった。若者の客層を対象としていないため、色合いやデザインはかなり落ち着いた服が多い。マリー曰く、自分の身は自分で守るためにも、先ずは危険人物の目に止まらないようにすることが大事らしい。


「あら? マリー? お金を忘れているわよ」


 せっかく換金して得た金貨百枚以上入った袋を、馬車に置いてきてしまったようだ。


「お金ならあります」


 ポーチから取り出したマリーの手には、金貨が一枚だけが握られていた。最も安いものでも、金貨五枚はするドレスを着ていたベルフェルミナである。いくら、平民一ヶ月分の収入だとしても、にわかには信じ難い。


「何着も買うんでしょ? 金貨一枚で買えるの?」

「これだけあれば十分です。何着でも買えますよ。とりあえず、パーッと五着くらいは買いましょうか」

「え? 五着?」


 ドレスは仕立て屋を屋敷に呼んで作らせていたので、町で売られている服の相場など知りようがない。服屋に並んでいるワンピースを見たベルフェルミナは、衝撃を受けることになる。


「――これなんてどうですか?」


 マリーが暗いブラウンのワンピースを勧めてきた。

 フリルもレースも刺繍も無く、触ると生地がゴワゴワしている。


「た、たしかに、安いわね……」


 値札を見ると、たったの銀貨五枚だった。金貨一枚で二十着も買えてしまう。

 ただし、気に入った服は一着もなさそうではあった。


「試着してみますか?」

「……え、ええ。似合うといいのだけれど」

「選り好みしている時間はありませんよ。サイズさえ合えばいいのです」

「そ、そうよね……」


 もう二度と好きなデザインの服を着れないのだろうか。改めて、貴族令嬢ではなくなるのだと実感する。

 結局、少しでも気に入った服を選びたいベルフェルミナは、二十着以上も試着しておきながら、購入したのはたった一着だけであった。


 ◇  ◇  ◇


 屋敷を出た時には一番高い所にあった太陽も、あと少しで西の空から消えようとしている。

 ねばるベルフェルミナの服選びに、想定外の時間を費やしてしまった。既に疲労困憊なのだが、本番はこれからである。


「さあ、いよいよ冒険者ギルドですね」

「ええ。少し怖いわ」

「変な奴が近づいてきたら、すぐ私の後ろに隠れてくださいね。ベルお嬢様には指一本触れさせませんから。シュッ、シュッ」


 まったく脅威を感じられないファイティングポーズから、なんとも弱々しいパンチが繰り出される。それでも、マリーが頼もしく見えた。


「マリーは護身術とか習っていたの?」

「いいえ。まったくです」

「そう……よね。見たことないもの」

「あ~しまった。旦那様の使わなくなった杖を用意すればよかったですね。ベルお嬢様は知的な雰囲気をお持ちですから、きっと大魔法使いに見えると思います」


 マリーの言っている杖は、歩行補助具のほうである。


「そうかしら? でもたしかに、杖があるだけで冒険者っぽく見えるわね」

「あと、応接室の壁に剣が飾ってありましたよね。剣さえあれば、私だって」

「マリーは女剣士ね。しかも、凄腕の」

「私が、凄腕の女剣士ですか? ああ~、スカウトされたらどうしましょう」

「可能性はあるわね」


 これでも二人は至って真面目に考えているのだが、剣や杖を持っていたところで、買い物中のお嬢様と付き人にしか見えない。

 さらに『どうすれば嫌味なく冒険者からの誘いを断れるのか』という心配無用の話に盛り上がっているうちに、馬車が路肩に止まった。


「お、お嬢様? すごく危険な香りのする建物ですね」

「年季の入った看板に、荒々しさが滲み出ているわ」


 幾度となく、冒険者ギルドの前を馬車で通り過ぎてきた。まさか、この野蛮な建物に入る日が来るとは思いもよらなかった。しかも冒険者になろうとは。


 二人は意を決して馬車を下り、ぴったりと寄り添いながら冒険者ギルドの扉を開く。


「――――ひっ」


 思わずマリーは悲鳴を上げそうになり、両手で口元を塞いだ。


 薄暗くタバコの煙が立ち込める中、想像をしていたより何倍も悪人面の男たちが、酒を酌み交わしていたのである。全身に下卑た視線を浴びる二人は、猛獣の檻に入れられるような恐怖に陥った。


「い、い、いくわよ、マリー」

「うぅっ。ま、待ってください、お嬢様」


 震える足を無理やり前へと動かし、ベルフェルミナは受付カウンターを目指した。馬車での威勢が嘘のように、すっかり怯えてしまったマリーが隠れるように後を追う。



 カウンターには円熟した色気を醸し出す化粧の濃い女が一人、暇そうに爪を手入れしている。胸が大きくはだけたブラウスに、太股が露わになった短いスカート。男を誘惑するような服装に、ベルフェルミナも目のやり場に困ってしまった。


「あ、あの、申し訳ございません。お尋ねしたいことがあるのですが……」


 妃教育仕込みの笑顔を取り繕ったベルフェルミナは、おそらく受付嬢であろう女性に声をかけた。


「ああ? なんだい? お嬢ちゃん? クククッ」


 受付嬢はいかにもカフェが似合いそうな二人を見て、あからさまに嘲るような笑みを浮かべた。いつも接客態度が上質な店にしか行かない貴族令嬢にとって、この無作法な接客は衝撃的であった。

 それでも、笑顔を崩さないベルフェルミナは、礼節をもって訊ねた。


「わたくしたちは冒険者になりたいのですが、手続きをお願いできますでしょうか?」

「はあ? あんたたちが? アーッハッハッハッハッハ! なんの冗談だい? ここはお嬢ちゃんが来るような場所じゃないんだよ。目障りだから帰んな」


 受付嬢はお腹を抱えて笑い飛ばし、野良猫でも追い払うかのようにシッシと手をはらった。


「し、失礼ですよ! お嬢様は本気でおっしゃっているのです! ギルドの職員なら、きちんと話を聞きなさい!」


 見かねたマリーが無礼な受付嬢を睨みつけた。しかし、普段はもっと恐ろしい形相で凄んでくる男たちを相手にしているのだ。この受付嬢が怯むはずもなく。


「でけえ声出すんじゃねえよ! つまみ出されてえのか!」

「あ、あなたのほうが、よほど大きい声を――」

「マリー落ち着いて。喧嘩をしにきたわけではないのですよ」

「お、お嬢様」

「たいへん申し訳ございませんでした。わたくしたちは冒険者ギルドに入ったのが初めてでして、少しばかり興奮していたようです。我々の非礼をどうかお許しください」


 ベルフェルミナが割って入ると、我に返ったマリーも一緒になって深々と頭を下げた。二人の丁寧な謝罪を前に、受付嬢も怒りを鎮めるしかない。


「チッ。で? あんたら、魔法とか使えるのかい?」

「い、いいえ。魔法は使ったことありません。ダ、ダメでしょうか?」


 やはり実技試験があるのでは? ベルフェルミナが恐る恐る訊ねる。


「べつに。じゃあ、この用紙に書かれている内容を読んだらサインして、登録料の金貨六枚をよこしな」

「は、はい。わかりました」


(ひとり金貨三枚ですって? 絶対に怪しいわ、この女。くうう、事前に相場を調べておけば……)


 受付嬢に聞こえないようマリーがブツブツと呟く。下手したら五割以上ピン撥ねしていることも考えられる。疑いつつもマリーは金貨を差し出すしかなかった。


「それじゃあ、名前の横に血判を押してくれる?」


 そう言って、受付嬢は太い針が一本だけの剣山をカウンターに置いた。いったい何人の冒険者が使用したのか。何層にも血が塗り固まって黒ずんだ針の先端を見た二人は、鳥肌が立ちゴクリと唾を飲み込んだ。


「……あのっ。ちょっと、いいですか? この針に指を押しつけるのでしょうか?」


 たまらずマリーが訊ねる。


「ああん? 見りゃあ、わかるだろ?」

「すみません。血判をしたことがなくて。それと、この針を綺麗に拭っても――」

「ごちゃごちゃと、うるっせえんだよ! いいから、さっさと押しな! どうせ冒険者になったら、もっと汚ねえ魔物の牙や爪に傷つけられるんだからよ!」


 額の青筋をピクつかせ、受付嬢が苛立ちを募らせる。


「……ギルドカードのためよ、マリー」

「はい。ベルお嬢様……」


 何度も深呼吸した二人は顔を見合わせ、ブルブル震える親指を針に押しつけた。その間、受付嬢が冷ややかな視線を送っていたのは言うまでもない。


 その後、登録用紙を持って奥の部屋に引っ込んだ受付嬢が、シルバーのプレートを持って現れた。


「ほら、これがギルドカードだ。紛失したら一年間は発行できないからね。大切にしな」

「はい。ありがとうございます」


 ギルドカードを受け取った二人は、胸元で大事に握りしめた。あとは、一刻も早くこの悍ましい建物から脱出するだけである。


「それから、今あんたらは最低ランクのFランクなんだけどさ。クエストを受けるなら、どこかのパーティーに入ったほうがいいと思うんだよね。なんなら紹介してやろうか?」


 ニヤリとほくそ笑んだ受付嬢が、酒盛りをしている冒険者の集団に人差し指を向けた。その中でもひときわ悪人面の大男が、こちらに興味を示している。日焼けした坊主頭に蛇の入れ墨、もし町の外で出会ったなら盗賊と間違えてしまうに違いない。


「い、いえ! けっこうです。ありがとうございました」


 ベルフェルミナとマリーは一目散に逃げだした。背後から聞こえる受付嬢の下品な笑い声を振り切るようにして。


 ◇  ◇  ◇


「――おう。さっきの上品な姉ちゃんたちは何だったんだ? ギルド職員の面接に来たのか?」


 ほろ酔いの冒険者がジョッキを片手に受付カウンターまでやってきた。坊主頭に蛇の入れ墨、二メートルを超す巨漢、名をルードという。


 意地悪そうな笑みを浮かべた受付嬢が、カウンターに身を乗り出す。


「それがさ~、聞いてよ。あの二人、冒険者になるんだってさ~。笑えるだろ?」

「本気か? あれが冒険者だって? ガハハハハハ! お前、また登録料をふんだくったんじゃねえのか?」

「しっ。でかい声で言わないでおくれ。いいんだよ。あんな苦労も知らずに生きてきたお嬢様は大嫌いなのさ」

「くっそ~。もったいねえことしたぜ。あいつら冒険者だったのかよ。いつもみたいに、無理やり俺のパーティーに入れてやれば楽しめたのによ。ゲへへへへ」


 醜悪な顔をさらに歪ませたルードが下劣に笑い飛ばす。訓練だとか嘘をついて山奥に連れていけば、無垢な美少女にやりたい放題できるのだ。


「また、カモがきたら斡旋してやるよ。その代わり、ちゃんと見返りはもらうからね」

「わかったよ。あんな女はいくら頑張っても戦闘じゃあ使えねえ。だったら、あっちのほうで奉仕するしかねえだろ。どうせ、潜在魔力もゼロだったんじゃないのか?」

「あ~、そう言えば結果を見ていなかったねえ。潜在魔力がゼロの場合は、初心者講習をしなくちゃいけない決まりだったよ。チッ、また上に怒られちまうじゃねえか」


 登録用紙に血判を押すと、用紙の裏に変化が現れる仕組みだ。魔力の大きさによって特定の色の魔法陣が浮かび上がる。


 今さら確認しても遅いのだが、ゼロじゃないことを祈りつつ、受付嬢は重い足取りで奥の事務室に入っていった。


 そして、ベルフェルミナたちの登録用紙を挟んだファイルを開く。


「――はああああっ!! あんなヤツが? うそだろっ!?」


 ベルフェルミナの用紙を見た瞬間、受付嬢は愕然とした。

 金色に輝く魔法陣が刻まれていたのである。金色はSランク以上の魔力を示す。


「こ、こんなの見たことないし……ありえないって……どうすんだよコレ……金色は本部扱いなのに、バレたら捕まっちまうじゃねえか……」


 十年にひとり、現れるかどうかという勇者クラスだ。

 しかも、金色が出たら直ちにギルド本部に連絡し、指示を仰がねばならない。決して勝手に冒険者の登録を認めてはならないのだ。それを怠った者には厳しい罰が下される。


「冗談じゃないよ、ちくしょう! あのくそったれ女のせいで、この私が! うわあああああああああああ!」


 己の軽率な行動を悔いるどころか逆ギレした受付嬢は、クシャクシャに丸めた登録用紙を床に叩きつけた。ギルド職員になった時に誓う規律や規約の遵守など、すっかり忘れてしまっている。


 この受付嬢には二つの選択肢があった。一つは、今すぐ荷物をまとめて逃げる。もう一つは、多額の賠償金を背負わされ投獄される。因みに、逃げた場合は上位ランクのアサシンに追跡され、処分されてしまう可能性が高い。どちらにせよ、この受付嬢には抗うことのできない絶望と地獄が待ち受けているのであった。

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