不在の探偵
深夜
前書きとして
このような端書きを置くべきかについては迷うところもあったが、読者に対してはフェアであるべきだと考える。とりわけミステリにおいては、後発の作品が先発の作品の楽しみを損なうものであってはならない。予告なく他作品の犯人やトリックを吹聴するようなもの、いわゆるネタバレとなる行為は、世に広く憎まれるところの代表だろう。たとえミステリ小説を巻末の解説から読み始めるような人種であれども、こと望まぬネタバレがされていないかについては、慎重にならざるを得ない。言及には繊細な取り扱いが求められるのだ。
一方で、古典的名作になぞらえた、いわゆるパロディやオマージュ、『本歌取り』としての作品があるのもまた事実であり、ことミステリにおいてもこの風習は積極的に行われている。シャーロック某然り、金田一某然り、事前にそれとわかる形で本歌取りを宣言したものに対して、先行作品のネタバレを指摘するのは見当違いであると言えよう。それらは最初から、特定の作品を下敷きに編まれたものであり、読者においても当然承知のものとしてこれを読むことが想定されているからだ。
よって、本作では次のように宣言する。
本作は江戸川乱歩の小説『魔術師』を本歌として扱う。
本作には『魔術師』の根幹に言及する部分が含まれる。
特に犯人と犯行手段について、直接に名を述べずとも、人物相関から容易に特定が可能な書き方をする。読者ももちろん承知のものとしてこれを書き、且つこれを語る。
氏の作品は二〇一五年の著作権失効に伴い、今日では無料のものから有料のものまで様々な媒体で触れることが可能である。未読の読者、特に先行作品の楽しみが損なわれることを嫌う方は、ぜひ先に、氏の『魔術師』を読んでいただきたい。なにせあちらは通俗推理小説の名作と呼ばれる作品である。こんなろくでもない書き物よりもずっと楽しめるはずだ。
しかしまた、同時にこうも書き置くべきだろう。
本作は『魔術師』について触れながら、作中の人物や舞台は『魔術師』と同一のものではない。多少なりとも似通ったものがあったところで、それは似せているだけで、同一のものであることを表さない。似ているということはつまり、同じではないということだ。彼らは誰一人として本人ではない。唯一無二のオリジナルは氏の没により永遠のものとなった。模倣はどれだけ似せたところですべて模倣であり、原作に取って代わることはなく、原作そのものの価値は変わらない。だからこそ、わたしは安心して筆を執る。
わたしはこれを読むものがいることを信じる。信じるがゆえに、これを書き置く。虚空へ向けた書き置きとなるのであれば、いっそ安堵する。読まれる相手のない書き置きは、忘れられることもない。失われることもない。それはあなたにとって最初から存在しないのと同じだからだ。あなたはそこにいるのか? わたしにはわからない。この本は風化し、劣化し、近い未来に忘れ去られる。物体としての本が失われたとき、そこに書かれていたものはすべて存在しなかったことになる。本当にそうだろうか。ただ、あなたはこの文章を読んでいる。あなたはいまそこにいる。あなたがここでページを閉じて、本を置いてしまったとしても、物体としての本として存在する以上、わたしにできるのはこうして文字を書くことだけだ。だから書く。だから書き置く。この文章は徹頭徹尾、あなたのために書かれている。
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