第9話★最悪な一日ですわ

想像は現実を越えてくる。つまり、異様と言えば異様な光景がそこに広がっていた。

リックに抱かれたエリーと、その隣にハイド、向かい側にはヒューゴがいる。三人の子どもたちが予想していたのは、鬼の形相で各地に指示を飛ばす父親の姿。だけど実際はどうだろう。

父親は午後のティータイムだったようで、しかもエリーの人形にも、お茶をいれて、楽しそうにくつろいでいる。



「あ、エリーたん。もういいの?」



そう尋ねる声に、小型怪獣として暴れていた娘を放置した罪悪感はない。



「癇癪で人は死なないさ」



物言わぬ息子たちの視線に、お茶を飲みながら笑って答える。誰もが言葉を失ったのは、およそ想像とは真逆の父親、というだけでなく、初めて感じる違和感そのものだった。



「お人形。私の」


「これはエリーたんが、くれたからね。大事にしているよ」


「あっ、あげてませんわ。それは、お兄さまが私にくださったのよ」


「だって、エリーたんは、もういらないから新しいのを欲しがったんだろう。オレの方がうんと大事にできるよ」


「だめよ。それは私のだもの」



リックの腕から飛び降りるようにして、エリーは父親の元へ駆けつける。そうして小さな手が人形に触れる寸前で、ヒューゴは人形を片手でつまみ上げた。



「ごめんなさい、は?」


「え?」



呆気にとられたエリー同様、兄二人も口を開けて固まっている。

執事は、お茶を入れるはずが床にこぼしてしまい、慌ててメイドに布巾を持ってくるように指示していた。可哀想に。主人の奇行に、長年連れ添った執事でも対応に混乱するらしい。



「なんて言ったの?」


「エリーに謝るように言った?」


「あの、父さんが?」



リックとハイドがお互いに状況を確認しあう。それをどう思ったのか。呆れた息をひとつ吐いて、「悪いことをしたのだから謝るのは当然だろう」と、父親の姿をした人物は平然と告げてくる。

常識で考えればそうであり、息子たちに対してはそうであった。いや、もっと厳しかった父親が、そこにいる。エリーが誕生して七年。すっかり激甘、溺愛、親バカ、となり、挙げ句の果てに落ちぶれた伯爵とまで呼ばれるようになっていたのに、これはどういうわけか。理解が全然追い付かない。そして、もっと理解できないだろう。

エリーは、わなわなと顔を真っ赤にして震えていた。



「おとうさま、だいっきらい!!」


「……っう」



心臓にダメージをくらったのだろう。胸を押さえてうずくまった父親の隙をついて、エリーは人形を引ったくって走り去っていく。

残されたのは、兄二人と使用人。最初に口を開いたのは末弟のハイドだった。



「そんなにダメージを受けるなら言わなければ良かったのに」


「うぅ、それじゃダメなんだ」


「ダメって、なにが?」


「それは」



その瞬間に廊下から聞こえてくる悲鳴と泣き声。どうやらエリーが廊下でこけたらしい。元気一杯走ったからこそ、盛大にこけて、ひざでも擦りむいたに違いない。

メイドの一人が、慌てて医者を呼びに行くのが見え、同時に兄たち二人が部屋を飛び出そうとした。



「きみたちは学校に戻りなさい」


「可愛いエリーを放っておけって?」


「きみたちは少し過保護すぎる。まだ理解できていないことも多いが、あの子のことはオレに任せて欲しい」



エリーの泣き声が響き渡るなか、しばらくの沈黙。ほぼにらみ合いに近かったが、やがて「わかった」と折れたのはリックの方だった。



「なに言ってるの。父さんらしくないよ。リック兄さんもなんで言い返さないのさ」


「行くぞ」


「ちょ、リック兄さん」



目の前で消えた息子二人に構っている暇はない。邪魔物が消えたのであればそれでいいと言わんばかりに、ヒューゴは廊下から聞こえてくる騒音の中心へと足を運ぶ。



「うわぁぁあぁん」



床に座り込んで泣くエリーのひざは、ほんのちょっぴり赤くなる程度の傷でしかない。もちろん、泣くほどのものではない。数秒程度で切り替えられる打ち身に、大袈裟な反応を示すのは、いかにエリーが過保護に育てられたかを物語っている。健康で頑丈にもかかわらず、蝶よ花よと、か弱い少女として意識付けられた弊害が現れていると言ってもいい。

何より、本人が本気で泣いていないところが、それを如実に現している。



「はぁ」



わざとため息を吐いて、それをエリーがしっかりと聞いていることを確認して、ヒューゴは使用人たちを下がらせた。彼らは総じて「信じられない」という顔をしていたが、出来ることがない以上、どうしようもない。主人の指示に従って、しくしくと泣くお嬢様を置き去りに、各々仕事場へと戻っていった。



「エリーたん」


「……っ……ぅ」


「エリーたんは、アーノルド王子のことが、好きかな?」



効果絶大な一言に、ピタリと止まったエリーの涙。わかりやすい反応に少し笑って、「よかった。まだ間に合う」などと意味のわからない言葉を呟いて、ヒューゴはエリーの前でしゃがんだ。

ちらっと。小さな手の隙間から黒い瞳がヒューゴをうつす。しっとり潤んだ瞳は愛らしく、それだけで何でも聞いてあげたくなる気分に駆られるが、生憎、そういうわけにもいかない。



「こ」


「こ?」


「こんやく?」



こてんと、すべてが擬音付きの仕草は、すでに計算高く確立されたものなのだろう。思わず縦に頷きそうになった自分をグッとこらえて、ヒューゴは「んー」と何とも言えないうなり声をあげる。

そんな父を見上げたままでいたからか。すっかり泣くことをやめたエリーの瞳は期待で輝き、次の言葉を待ちわびていた。



「婚約できたとしても、王妃になれるかどうかはエリーたん次第かな」


「エリーは王妃になれますわ。五歳から王妃教育を受けていますのよ」


「でも今のままじゃ、エリーたんは王妃になれないよ。だけどそうだな。まずは、その王妃教育で学んだこの国のことをどこまで知っているか、教えてもらおうか」



鼻息荒く立ち上がり「お安い御用ですわ」と構える姿に、七歳らしい一面が垣間見える。そして、驚くべきことにエリーからヒューゴの手をつかんで、勉強部屋へと先導していった。



「では、どうぞ」



執事がいれてくれたお茶を飲みながら、ヒューゴはエリーの講義を促す。エリーはわかりやすく、王子との婚約を勝ち取ろうと意気込んでいて、饒舌に語り始めた。

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