オタク特有の早口ってこういうことですか

「知ってますか、メンダコって飼育するのが難しいんですよ」

「へぇ」

「だから水族館で見られるのは珍しいんです」

「へぇ」

「ちゃんと聞いてます?」

「もっと珍しいものを知ってるからさ」



 等身大の肉塊とか。



 深海に生息するためか光などに敏感で、ゆえに薄暗い空間の中。

 俺は隣に屹立する肉塊もとい草壁菜々花に不鮮明な笑みを向ける。

 彼女は不思議そうに首を傾げているが、こちらからすればメンダコよりも遥かに珍しいものだ。



 メンダコは水族館という飼育環境では長く生きられないそうだが、残念なことに致命傷を負いまくっていると考えられる肉塊は、この世界のありとあらゆる法則に反して、数ヶ月も前から――というか十数年前から存命である。

 化け物かな? 化け物だったわ。



 もはや「世界の不思議な生き物図鑑」的なやつを読んでも驚かなくなってきた。だって普通に超越存在が跳梁ちょうりょう跋扈ばっこしてるし。

 


「いやぁ本当に可愛いですね」

「うん」

「写真とか撮りたいんですけど、禁止ですからねー」



 菜々花は肩(らしき場所)にかけた鞄からパンフレットを取り出すと、残念そうに肩(らしき場所)を竦めた。もしも彼女に顔が存在していたら無念気に双眸は細められていただろう。



「まぁ記録じゃなくて記憶にしか残らないことってあるから」

「ロマンチックな台詞ですね。化野さんから出てきたとは思えないです」

「もしかして馬鹿にしてる?」

「いえいえいえ! 普段の言動から生じた偏見でございます」



 これが仮に隣にいたのが草壁雪花であったら――ゾンビと一緒にお出かけなど勘弁願いたいが。肉塊も同様に――「ずいぶんロマンチックな台詞ね? 家を出る前にネットで調べてきたの?」みたいな辛辣な言葉を吐かれていただろう。



 やはり姉妹とはいえ性格は違うものだ。見た目からも違いの甚だしさは読み取れる。十人十色とは言うには色が多すぎる気がするけれど。



 その後も薄暗い通路を手をつなぎながら歩いていた。

 数分もすれば怖気も引いて、今は鳥肌の気配もない。

 


 そして成人が三人ほど横に歩けるくらいの大きさの通路の曲がり角に到着したとき、突然空間の広がりが圧倒的なものになり、また同時に目に飛び込んできた巨大な水槽に、俺と菜々花は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。



「おぉ」

「ジンベイザメですね……」

「でかい」


「やはり日本において展示されている水族館が限られるだけのことはありますね。世界中の温帯から熱帯の沿岸および外洋に生息する世界最大の魚類ですから……こうして眼前で悠々と泳いでいると、圧巻です」


「朝食Wikipediaだったの?」

「普通にバタートーストです」

「あ、そう」



 突如として流暢に喋り始めた菜々花。

 一般常識レベルの知識をやや超える気がする。

 もしかして魚とかが好きなのだろうか。

 肉塊が魚好き、とだけ聞いたらグロテスクな場面しか思いつかない。



「本当に大きいですね……」

「幻想的だねぇ」


「何だか魚たちが健気に咲き誇る花のようです。ジンベイザメは『サメ』と名前に付いてはいるものの、非常に大人しい生き物で小型の甲殻類やプランクトンを食べるんですよ。だから一緒に魚を泳がせておいても大丈夫なんですね。見て下さい。薄暗い水族館の中、色とりどりの魚たちが思い思いに水という空を翔けるさまを。柳暗りゅうあん花明かめいとはこのことですね」


「昨日寝る前に自然描写が顕著な小説でも読んだ?」

「いや普通に少女漫画読んでました」

「あ、そう」



 本当に菜々花が饒舌になってしまった。

 肉塊が普通に少女漫画を読んでいるという、明らかに無理筋な取り合わせですら、自然なように思われるくらいに。

 ついでに現在は春ではないので柳暗花明を使うと意味が微妙に違うのだが、それすらもどうでもよく思えた。



「そういえば肉とか魚とか苦手なんだっけ」

「はい」

「それって魚が食事的な意味じゃなくて生物的に好きだから?」

「考えたこともなかったですけど……もしかしたらそうかもしれませんね」



 また一つ草壁菜々花豆知識が増えてしまった。

 非常に要らないどころか今すぐ海馬から消去したいくらいである。

 


 俺は彼女による水族館豆知識に脳内リソースを割きつつ、相変わらず手は繋がれたままで、水族館を回っていく。



「水族館は動線などがよく考えられて作られているのです。だからそういうのに目を配りながら回ると楽しいですよ」

「へぇ」



「都市圏や郊外にある水族館だとスペースの配置が違うんですね。ショー展示などの大きさに着目しても楽しいです」

「あ、フードコート」

「そろそろお昼の時間ですね」

「何食べる?」

「じゃああれで」



 水族館を完全に満喫して外に出たころには、すでにあたりは赤くなりつつあり、かなりの時間を過ごしていたことに気がついた。

 自分一人ではスタコラと踏破してしまっていただろう。なぜか友人であるはずの肉塊がスタッフのような振る舞いをしていたから、有意義で楽しい体験になった。



 俺は新鮮な空気に触手を伸ばしている菜々花に向き合って、軽い感謝の言葉を伝える。



「……どうしたんですか?」

「何が」

「化野さんがそんなに素直だと、明日槍でも降るんじゃないかなと」

「少なくとも雷は落ちるかな」

「冗談です」



 ふふふ、と微笑をともなって艶やかに回転した菜々花は、肩にさげた鞄のショルダーストラップをつまむと、触手を一本向けてきた。



「実はですね、私は水族館が好きなんですよ」

「知ってる」

「……どうしてバレてしまっているのですか?」

「逆にあれでバレないと思っていたの?」



 あんな頭の中にスタッフでも飼っているような言動をしておいて。



 俺達は斜陽に横顔を晒しながら向き合っていた。

 二人の間には微妙な空気が漂っている。

 しかしそれは決して気まずいものではなく、心地のよい沈黙だった。

 肉塊と一緒に居て心地がよいというのもおかしな話だが。



「だから今日は化野さんと一緒に来られてよかったです」

「さようか」

「ふふふ、ありがとうございます。一生の思い出です」

「さようか」



 流石に外に出たこともあり手は離された。離されたのだが、距離感は先程までと大して変わらず。

 つまりSAN値が危険で危ない状況なのは変わらなかったのだけれども、俺の心境はあまり不快感を抱いておらず、駅までの道中は楽しいものであった。

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