暇と言えば暇だが、それほど暇ではない

「曜くんって暇なんですか?」

「悪意がある質問だな」

「まぁ、ちょっと」

「ちょっとあるんだ」



 聞き覚えのある会話だった。

 というか昨日した会話だった。



 月曜日になって学校が復活したので、昼休みに襲ってくるゾンビから逃れるために訪れた図書室。その奥でひっそりと読書をしていると、昨日と同じように向かいの席に座ってきた逆瀬川さんが質問をしてきた。

 今日は悪意があるようである。多分、悪意というより悪戯心だけど。



 彼女は意味ありげに『解けない恋の方程式』なる文庫本の背表紙を見せつけてくるが、ほとんどがピンクでところどころに緑が装丁されていることしか読み取れない。

 次に出してきたのが『不平等な社会』という本。明らかに図書室で気軽に読むには気位が高すぎるが、逆瀬川さんが――というより、ジガバチが読むには相応しい気がする。ジガバチに相応しい本って何だよ、などという感情は無視して。



「はぁ……」

「ため息をつくと幸せが逃げるらしいよ」

「幸せを捕まえるためにため息をついているんです」

「変わってるね」



 まるで物わかりの悪い部下を相手にしている課長のように、逆瀬川さんは額を押さえた。片手には『名前で呼んで』という文庫本。

 一体どれだけ本を持っているのだろうか。



「やっぱり世界って不平等じゃないですか」

「昼休みにする話題にしては重すぎない?」

「だから身近なものから解消していくべきだと思うんですよ」

「確かに」

「…………ね?」

「何が『ね?』なの?」



 はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜。



 図書室に響き渡るようなため息だった。

 もちろん比喩表現だが。

 それほどまでに深い感情が込められていそうなため息。

 俺には彼女が何に悩んでいるのか理解できなかった。

 ジガバチの悩みなんて人間には解消できないだろうけれども。餌となるイモムシやアオムシが見つからないという悩みだろうか。



「察しが悪い男の人ってどう思います?」

「一般論でいい?」

「曜くんの主観で」

「クズだね」

「そうですか」



 逆瀬川さんはクズを見るような視線を向けてくる。

 ますます意味がわからない。



「曜くん」

「何?」

「逆瀬川さん」

「……何」

「曜くん」

「…………な」

「逆瀬川さん」

「………………」



 続けて「曜くん」と続けようとしたところで、流石に察した俺は手で制す。

 逆瀬川さんはきょとんとした様子で――十中八九演技だろうが――首を傾げた。



「……えーと」

「何ですか?」

「…………」

「ふふ」



 正面切って発するとなると恥ずかしい。

 今まで名字で呼んでいただけになおさら。

 


 俺はしばし逡巡して天井を見上げるが、それすらも面白いようで、彼女は頬に手を添えてこちらを眺めている。まるでショーウィンドウのトランペットを物欲しげに見つめる黒人少年のように。

 誘導されているようで腹立たしいが、ここで反抗するのも格好悪い。据え膳食わぬは男の恥とも言うし、一息で言ってしまおう。

 この場合は据え膳の意味が変わってくる気がするが。



美穂みほ

「ふふ」

「…………」

「曜くん、何か言いました?」

「…………美穂」

「はい、何でしょう」



 逆瀬川美穂は実に楽しそうに、今まで提示してきた本を机の上に並べる。

『解けない恋の方程式』

『不平等な社会』

『名前で呼んで』

 一番最初の本の意味は本当に理解できないが、とりあえず二つ目と三つ目の本が示すのはそういうことだろう。

 実に腹立たしい。



「おや、どこへ行くんですか曜くん」

「トイレ」

「じゃあご一緒しましょうか」

「性別考えてくれる?」



 俺をおちょくるためだけに恥すら捨てるか。

 何が彼女を駆り立てるのだ。

 愉悦、あるいは悪戯心由来の悦喜えっき

 どちらにせよ憤懣ふんまんやる方ない。



 立ち上がろうと引いた椅子を元の位置に戻して、逆瀬川さん――美穂の、虫の顔だというのに、不思議なくらい感情が読み取れる表情を眺めて、大きなため息をつく。

 どかりと少々荒っぽく座るのも無理はない。

 今週の当番であろう図書委員が迷惑そうにカウンターから視線をくれるが、文句を言うなら美穂に言ってくれ。多分俺は悪くない。



「知ってますか? 間もなく校外学習があるんですよ」

「知ってる」

「クラスごとに目的地を決めるので、おそらく私たちは違うところですけど」

「うん」

「同じところだったら嬉しいですね」



 別に。

 名前呼びをさせるために婉曲なイジメをしてくるジガバチと、何が悲しくて校外学習に行かなくてはならないのか。

 同じ行き先だったら最後、延々とからかわれる気がする。



 少し前まで大人しい文学少女だったはずなのに、一体何が彼女を変えてしまったのだろう。ジガバチは肉食動物だから、文学少女という草食動物の皮を捨てただけかもしれないが。



「ところで、せっかく私たちがポップを作ったのに、あんまり人が増えていないですね」

「そりゃ――」



 あんな三回見たら死にそうなポップがあっても、興味を持って入室しようとする人いないんじゃない? などという感想は、間違いなくからかいが反撃となって飛び出してくるので、喉の奥で飲み込んだ。

 


 それだというのに、どうにも美穂は読み取ってしまったようで。

 微笑を噛み殺しながら、両手で机に頬杖をついて、わかりやすく状況を愉しんでいた。俺は何も愉しくないのに。

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