第52話☆ シャーリー
翌日、噴水広場で待っているわたしたちの元にマチルダ様がやってきました。一昨日伴っていた従者の少女も一緒です。
待ち合わせの時間は今日もお昼でした。午後も闘技場で試合が行われるはずなのですが、ヴォーディアット伯爵家は剣武杖祭のためにこの街に来ているのに、彼女は観なくてもいいのでしょうか。
ロランさんがマチルダ様に本日の観光コースを説明しています。その後でマチルダ様が従者の少女に説明していました。
まるで年の離れた小さな妹に対して接するような彼女の姿は慈愛に満ちていて、とても優しい人なんだと感じます。
最初に向かうのは洞窟から流れ出す清流と差し込む陽の光が幻想的なシンフォニーを奏でることで有名なレンリの滝です。そこでお昼ご飯を取って後はシュバルニ魔導学園へ移動して学園の中を観光するとのことです。
学園の案内はわたしに一任されました。上手にアテンドできるでしょうか、今から緊張です。
それから今日は事前に借りておいた三頭の馬での移動となります。
フォーメーションは単騎のロランさんを先頭に、マチルダ様と従者の少女、わたしとアルカナに別れて騎乗して隊列を組みます。
ロランさんが馬に乗れるのは容易に想像できますが、マチルダ様も馬の扱いには慣れているようです。伯爵令嬢ともなれば馬術はたしなみの一つなのでしょう。
そして、実はわたしは学園の授業で馬術のバの字を体得しています。
まだまだ自由自在とはまではいきませんが、ライディングポジションは完璧だと馬術のアイリン先生のお墨付きをいただいています。
さて、目的地のレンリの滝ですが猫鍋亭で給仕係として働くリーネさんから「すごく良いところだから」と聞いていたとおり、いえ、それ以上に幻想的で素晴らしい場所でした。
予定通り、わたしたちは美しい景色を眺めながら近くの岩場でしばしのお昼休憩です。
静かです。滝を流れる水の音に日々の疲れが癒されます。
普段はカップルや観光客たちの姿があるそうなのですが、今日は誰もいません。わたしたちだけの貸し切りです。
流れが穏やかな川のほとりで水面を見つめている従者の少女を見つけたわたしは、「こんにちは」と後ろから声を掛けました。
大きなフードを頭からすっぽりかぶっているので表情は見えないけど、慌てた様子で振り返った少女は、「ご、ごきげんよう」と言ってスカートの裾を摘まんで膝を軽く折ります。
さすが貴族の従者さんです。如何なるときも優雅に挨拶できるのですね……、わたしも自然にこんな素敵な挨拶ができるようになりたいです。
「自己紹介がまだでしたね、わたしはイノリと言います。よろしくお願いします」
「わ、わたくしは……いえ、わたしはシャ、シャーリーです。よろしくお願いします……」
「ねえ、シャーリー、せっかくだから川に入ってみませんか?」
わたしは何気なく彼女にそう聞きました。
「え?」
彼女がキョトンとした顔をしたのです。
そんな変なことを言ったでしょうか?
「どうやって?」と彼女が不思議そうにわたしに訊ねます。
どうやって?
どういう意味で言ったのか分からなかったわたしは、「えと、こうやって?」と靴を脱いで裸足になり、ズボンが濡れないように裾を捲ってたくし上げました。
「えっ!?」
すると彼女は驚いて口許を手で覆ったのです。
「えッ!?」
彼女の驚き様にわたしも驚いてしまいました。思わず口許を手で覆います。
ふたりで口許を隠していたそのとき、ロランさんがやってきてわたしに言いました。
「あー……イノリ、上流階級の人たちからするとそれは淑女としてはしたない行為なんだ……」
それを聞いた途端、わたしは恥ずかしのあまり全身の温度が上昇するのを感じました。自分でも顔が赤くなっているのが分かります。
「別にいいじゃない」
わたしとロランさんの間に割り込んできたのはアルカナでした。
靴を脱ぎ捨てたアルカナは、「そんなもんあたしたちの知ったことじゃないわよ」とズボン裾を捲り上げ始めたのです。
「ほら、あんたも。早くしなさいよ」
事もなげにアルカナはシャーリーに手を差し出しました。
従者の少女、シャーリーは振り返ってマチルダ様の方を見ます。微苦笑を浮かべたマチルダ様はうなずきました。するとシャーリーの顔がパッと花が咲いたような笑顔になったのです。
靴を脱いだシャーリーはわたしとアルカナに手を引かれて恐る恐る川に入りました。
「冷たい……、冷たい! 冷たい冷たい冷たい、冷たい! 気持ち良い!!」
くるぶしほどが水に浸かっただけなのにシャーリーは声を上げました。
まるで無邪気な子どもの様に、まるで生まれて初めて水に触れた様に感動しています。
たったこれだけのこと、そう思ってしまいますが彼女にとっては特別な体験だったのでしょう。
頭を覆っていたフードが外れたことも気にせず、シャーリーは弾けるような笑顔を見せてくれました。
なにより彼女の素顔は思わず見入ってしまうほど綺麗だったのです。
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