第30話 折檻
「申し開きはありますか?」
襖に遮られた畳の間の下座で正座する俺に静謐さを切り裂く声が投げられる。
上座に座るのは和子叔母さん。こうして直接面会するのは一年ぶりで、前よりもだいぶ老け込んだように感じる。髪の毛の何本かは末端まで白く枯れ果てていて、茶託にしゃなりしゃなりと添えられた指は古びた押し花のようになっていた。
「神原さんと付き合っていることを報告しなかったことについて深く反省してます」
「それもありますが、他にも言うべきことがあるでしょう」
伯母のしわがれた声が俺を咎める。
動画と同じ内容を繰り返すことにはなったが、事情は全て説明する。
雑誌のモデルに惚れて付き合ったこと。
そのモデルとは別のモデルとの恋愛が取り上げられたこと。
その誤解を解く為にやむなくSNSの動画投稿サイトにて釈明の動画を投稿したことを神原涼香ではなく俺の視点で話した。
「……事情は理解しました。この際、女の件は他所に置いておきましょう」
和子伯母さんは茶托から湯呑みを持ち上げると、これから行う折檻の前振りかのごとく喉を潤す。
「その前に貴方が私に話した転校の理由を洗いましょう」
カチャリ。湯呑みが茶托に戻される。
「牧は四月の末尾に私にこう報告しましたね? より高度な授業を受けたいから転校したい、金は奨学金で賄う。と」
「……はい」
「ですが、本当の目的はその女と逢瀬をしたいが為にその学校に行くこと。間違っていますか?」
「……いえ。間違っておりません」
「それについての申し分は?」
「……転校の理由を学業レベルの向上と偽ったことについても同様に反省しております」
俺は今の学校に転校する際、叔母に対して嘘を吐いていた。
ありのまま理由を話しても許して貰えるはずがないので俺は勉学の為と表明していた。それがバレた今、叔母の怒りは絶頂に昇っていた。
「貴方が一人暮らしを始める前に言いましたよね。毎日メールで一日の報告を欠かさぬようにと。それとネット、SNSなどには手を出さないと。そして恋愛などに現を抜かすのは言語道断であると。……メールは虚偽と隠し事。SNSでは騒動を。恋愛ではどこかも知れやぬ女と……」
和子叔母さんの声は徐々に苛立ったものに変わっていった。
「私が思うに、このように世間様を騒がせる原因を作ったのは、貴方の私生活のだらしなさにあると思います。女性二人との色恋を騒がれるなんて情けない!」
厳しい叱責が飛ぶ。
「親も親なら子も子ですね。清吾も貴方のようにして女を引っかけて出て行きました。だから私は貴方を育てることに反対したのです。野良犬にでも食わしてしまえばよかった」
たたみが軋んだ。顔は伏せているので見えていないが、どうやら和子伯母さんは席を立ったようだ。
「今後は弁えるように」
和子伯母さんは襖を開く。
「待って下さい!」
「まだ何か?」
和子伯母さんは足を止めて訊ねる。
さっさと終わらせろ。そう言わんばかりの冷たい声色だった。
「……先ほどのお話しですが、まだ続きがあります」
和子伯母さんは無言で続きを促す。
「実は転校したのには本当の理由があります」
はっきり言って、俺は和子伯母さんのことを信頼してはいない。
「本当の理由ですか?」
でも、和子伯母さんからは両親のことに関して聞き出さなくてはならない。
それには俺と和子伯母さんとの間に信頼関係がないとダメだ。
そして、信頼関係というものは歩み寄らなければ得られない。
「実は神崎夏菜……話に出てきたもう一人のモデルと別れたことが原因です」
俺は和子伯母さんに隠していた事を話す。
「私に分かるよう説明しなさい」
和子伯母さんはそう言って座布団に座る。話は聞いてくれるみたいだ。
「その前に和子伯母さんは神崎夏菜を知っていますか?」
「……存じ上げません。誰なのですか?」
「SNSで有名なモデルです。フォロワ……彼女を応援してくれるファンは100万人を達成し、日本では今一番勢いがあるモデルです」
SNSに疎い和子伯母さんでも話した内容で凄さが伝わったのだろう。
「その方と貴方がお付き合いを?」
言外にお前のような奴がそんな凄い人と付き合えるわけがないと疑っていた。
「有名になる以前の話です」
「……なるほど。理解しました」
和子伯母さんは俺の反応を見て、全てを察したようだった。
「その方との噂を否定するために、別の女性とスケープゴートのような真似をした、と」
「はい」
俺は和子伯母さんの言葉を肯定する。
結果的に神原さんも有名になって両者得しかなかったが、場合によっては本当にスケープゴートになってしまうところだった。
「では、先ほどの話は世間様を欺いた芝居ということですね」
「ええ。世間には最初に話した成り行きを公表しています。俺たちが打ち明けないかぎりはバレません」
ここでの「俺たち」の中には和子伯母さんも入っている。話した以上は共犯者だ。
「ですが、それは世間様に対する嘘ではありませんか?」
「和子伯母さんは世間体が大事だと仰っていましたよね? その為ならば世間に対して多少の嘘は仕方ないとも。和子伯母さんも経験がお有りではないのですか?」
和子伯母さんは「言うようになりましたね」と曲がりなりではあるが、認めてくれたようだ。
「……わかりました。色恋など証拠が上がるわけでもありませんし気にはしません。貴方はこれ以上出しゃばらないようにだけ心掛けなさい」
言われなくとも俺はもうこのままフェードアウトする気満々だ。カップル継続の証明として神原さんのSNSにたまに映るくらいで丁度いい。
「和子伯母さんも両親のことで俺に隠し事をしていませんか?」
俺は今度こそ離席しようとする和子伯母さんに話を切り出した。
「はて。なんのことでしょう?」
和子伯母さんは一瞬だけ驚いたような表情に変わったものの、何もなかったかのようにシラを切る。
「俺は全て話しました。大人の礼儀として、其方も包み隠さず話すべきでは?」
「大人の礼儀? 勘違いなさらぬように。貴方は私にどれだけの恩があるのかわかっていますか?」
「それとこれとは……」
「関係あります。貴方は子供。大人の礼儀と言うのであれば、それなりの地位に立ってから申しなさい」
和子伯母さんは無理矢理話し合いを終わらせると、
「……一度こちらに帰ったのでしたら、初瀬さんのお家に挨拶して帰りなさい」
それだけ伝えて襖の向こうに行ってしまった。
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