第51話

深夜、高橋は事務所で北星市ミサイル事故の資料を読み返していた。自衛隊艦船から誤射されたとされるミサイルが市街地の百貨店に直撃し、死傷者が数百名にのぼったこの悲惨な事故は16年前に起きた。

当時の日本は今と状況が似ていた。中華連邦との外交関係が悪化し、国民の間には不安と緊張が広がっていた。そんな最中でのミサイル事故だった。事故のニュースが全国に流れると、人々は恐怖に打ち震え、国内外のメディアはこの事故を大きく取り上げた。

高橋はそんな時期の新聞記事や報道資料、当時の防衛省の発表資料を並べてみて、何か手がかりを見つけようと試みていた。彼は特に、ミサイル誤射がなぜ起きたのか、そしてその後の政府の対応について詳しく調べていた。


高橋は捜査資料を丹念に読み返した。事故後、すぐにハッキングによる誤射であることが判明していた。しかし、その事実は政府により公にはされなかった。それは国民のパニックを避けるためだけでなく、安全保障上の問題もあった。

ハッキングを公表すれば、国内外のハッカーに対する挑戦状となりかねない。それは更なる攻撃を招く可能性があった。そのため、政府はハッキングによる誤射の事実を隠蔽し、公式には技術的な誤作動と発表した。

その結果、捜査は頓挫し、ハッキングの犯人を特定することはできなかった。


その後、政府はハッカーからの脅迫状を受け取った。内容は、自国の全てのミサイルが自国に向けて発射されるというものだった。要求に応じなければ、という脅しの文言が含まれていた。

そして、2度目の誤射が発生した。この発射は幸運なことに人的被害を出すことはなかったが、それはただの偶然だった。政府はこの脅威に直面し、事態の重大さを痛感した。


北星市ミサイル事故の後、政府の対応は一貫していた。中華連邦の脅威を煽り、国民に恐怖感を植え付け、DTS法の成立を推進した。その後も防衛費の増額を繰り返し、国家の軍事力を強化し続けた。「軍事国家になるつもりか?」と疑問を投げかける報道も存在したが、DTS法の成立と共にそのような批判的な報道は次第に消えていった。


その後の5年間で経済は大きく衰退した。8年前、スラム街が全国に広がっていた。推計すると国民の3割から4割が生活困窮者であったと考えられる。しかし、公式の統計データにはそのような情報は一切反映されていなかった。しかし、その間に実施された政策についての報道は皆無だった。何も報じられない5年間。これは自然な事象ではない。高橋は疑念を抱いた。もしかすると、政府による言論統制が行われていたのではないか。


不自然さに気づいた高橋は、新聞報道やニュースの内容に深く疑問を持つようになった。大衆メディアが真実を報じていないことに対する違和感は、8年前の状況を振り返るとより明白に感じられた。そこには犯人からの脅迫を受けて、非効率的な政策が次々と採用され、言論の自由が抑圧されている様子が見て取れた。


高橋は、当時新聞社で働いていた記者、堀内良平に連絡を取った。堀内は政治部で長年働いていたベテランで、一線を退いてからはフリーランスのジャーナリストとして活動していた。

「堀内さん、お久しぶりです。高橋です。」

「ああ、高橋くん、何か用か?」

「今、北星市ミサイル事故とその後の政府の対応について調査しているんです。当時の新聞報道についていくつか質問したいことがあります。」

堀内の声には緊張感が漂っていた。高橋の問いに対し、彼は短く呼吸をついた後、ゆっくりと語り始めた。

「その頃のことか。いいよ、何を知りたい?」

高橋はその後、政府の対応や報道の内容、言論統制があったかどうかなど、様々な質問を投げかけた。堀内の回答は、高橋の予想通りだった。

「当時、政府からの圧力があったことは間違いない。具体的な指示があったわけじゃないけど、特定のニュースは避けるべきだという雰囲気はあったよ。」

高橋は堀内の言葉を聞きながら、再び資料を見つめた。犯人からの脅迫、DTS法の成立、経済の衰退、スラム街の拡大… それぞれの事件や現象が繋がり、大きな一枚のパズルを形作っていた。

「堀内さん、ありがとうございました。これからも引き続き調査します。何か新たな情報が入ったら、また連絡させてください。」

「ああ、了解だ。お互い気をつけてな。」

通話を終えた高橋は、深呼吸をして自分を落ち着かせた。


高橋は、当時自衛艦の乗組員だった松本智也に接触を図った。松本は現在、引退して地元の釣り具店を経営していた。高橋との面談に応じ、当時の状況について語り始めた。

「あの日は忘れられないな。通常の任務をこなしてただけなんだが、突如として警報が鳴ったんだ。ミサイルが発射されたと…。でも、誰もボタンを押してない。そんなはずはないと思ったが、レーダー上には明確にミサイルの軌跡が映っていた。」

松本は、その後の混乱と慌ただしい行動、そして自衛隊全体が激震を受けた事実を高橋に語った。そして、2度目の誤射があった時には、その恐怖と混乱はピークに達したという。

「それからは、我々も何が何だかわからなくなった。結局、誤射の原因がハッキングだったという事実は、退役するまで知らなかったよ。」

松本は深く頷いて、続けた。「そういえば、事件が起こったその日、我々の中に一人、行動がおかしい自衛官がいました。彼は通常とは異なり、何かに神経質で、常に周囲を警戒しているような様子だったのです。その日だけ彼の様子が明らかに違っていたんです。」

高橋は、次の質問を投げかけた。「その自衛官、2度目の誤射の時も船に乗っていたんですか?」

松本は僅かに驚いた表情を見せながらも、思い出すようにしばらく考えた後、頷いた。「そうです、彼はその時も船にいました。2度目の誤射時も彼の様子はおかしかった。神経質で、何かを隠しているようでした。」


自衛官の名前は三島裕司だった。彼の履歴を探り始めると、意外な経歴が浮かび上がった。ミサイル誤射事件の前、彼は石田建設の従業員として働いていたのだ。これは驚くべき事実だった。なぜなら、石田建設は斉藤大臣と密接な関係があるとされ、T-RFIDの設置にも関与していたからだ。この発見は、ミサイル誤射事件と斉藤大臣、そして石田建設との関連を示唆していた。


三島裕司の背景を掘り下げると、彼の思想が浮かび上がってきた。彼は自衛隊の強化や国防政策の強化を訴え、強硬な外交政策を支持していた。それは斉藤大臣の政策と驚くほど一致していた。

彼らが直接的な面識があったのか、それとも三島裕司が斉藤大臣の思想に感銘を受けて行動していたのかははっきりしなかった。しかし、彼が斉藤大臣から何らかの形で指示を受けて行動していた可能性は高いと高橋は考えた。


次に高橋は、石田建設について調べ始める。石田建設は大手ゼネコンの一つで、国内外の大規模なインフラ建設を手掛けていた。高速道路からダム、さらには新興都市の開発まで、その業務範囲は広大だった。しかし、それ以上に高橋の興味を引いたのは、同社のもう一つの顔だった。

石田建設は防衛省の主要な契約者であり、自衛隊の基地や施設の建設を担当していた。航空基地の滑走路、艦船のためのドック、そして最新の防衛システムを内包した軍事施設など、その手掛けるプロジェクトはいずれも国家の安全保障に直結する重要なものばかりだった。

そして、ここで一つの仮説が浮かんだ。三島裕司が自衛隊と石田建設の間を行き来していたのは、この関係性によるものだったのではないか。自衛隊でのミサイル発射システムの知識と石田建設での施設建設の経験が、彼を誤射事件へと引き寄せたのかもしれない。


高橋は更に調査を進める。そして、石田建設が自衛隊の情報システムに関するプロジェクトも手掛けていたことを突き止めた。そのプロジェクトは、自衛隊の通信ネットワークを強化するためのもので、その中心には防衛情報の集約と分析が行える最先端のシステムが位置づけられていた。

このシステムには、ミサイル発射システムの操作情報も流れ込む仕組みだった。つまり、三島裕司がこのシステムにアクセスできる立場にいたなら、自衛隊のミサイル発射システムに直接介入する能力を持っていた可能性が高まる。そして、それは彼が北星市ミサイル事故の犯人である可能性を、更に高める事実だった。


高橋は携帯を取り出し、石川遼太郎の名前を探した。押し入れのような小さな個室で、彼の電話番号を押す。短いコールの後、彼の声が響いた。

「高橋さん?どうしたんですか?こんな時間に。」

高橋は、これまでの調査結果を全て石川に話した。三島裕司の石田建設と自衛隊との関わり、そして、その中での彼の役割について。

石川は、話が終わるまで何も言わなかった。そして、高橋が話を終えると、彼は深い息をついた。「これは大きい。」彼の声は、真剣そのものだった。「これが本当なら、我々も動かざるを得ないでしょう。」


数日後、石川遼太郎と高橋は、三島裕司の自宅に向かった。三島は彼らを静かに迎え入れ、彼らの質問に答えた。

「あなたが自衛隊の情報システムにアクセスできる能力があったのですか?」高橋が尋ねた。

三島はしばらく黙って考えた後、頷いた。「そうだ。だが、それは職務上必要だったからだ。」

「あなたが北星市ミサイル事故に関与していたのですか?」石川が厳しく問いただした。

三島は再び黙って考え、そして深い息を吐いた。「はい、私がやりました。」彼の声は小さく、しかし確かだった。「しかし、私はただの一部分だ。全ては…」彼の声はここで途切れ、何も言わなくなった。


三島は深呼吸をし、自らの罪を告白し始めた。「私が行ったのは、全て自らの意思です。誰からの指示も受けていない。」彼の声は堅く、決意に満ちていた。

「私は自衛隊の情報システムにアクセスし、北星市にミサイルを誤射させた。それと同時に、外部から情報システムをハッキングした。」三島は続けた。「しかし、それは全て偽装だった。ハッキングの目的は、外部からの攻撃を受けたように見せかけるためだった。」

彼の告白に、石川と高橋は驚愕した。「つまり、捜査本部や自衛隊が探していた外部からの脆弱性攻撃は、全て偽装だったのですか?」高橋が尋ねると、三島は頷いた。

「そうだ。外部からの攻撃を受けたと考えさせ、真実から目を逸らす。それが私の目的だった。」三島の言葉は冷静で、あたかも他人事のようだった。


「目的は、防衛費の増強だった。中華連邦との緊張が高まっていた状況で、この国を守るためには、防衛費を増やす必要があった。だが、政府は経済や平和を優先していた。私はその流れを変えるため、外からの攻撃を偽装した。」三島は言う。

「つまり、あなたは政府を脅したのですか?」石川が尋ねると、三島は黙って頷いた。「脅迫の条件はほとんど意味がなかった。大事なのは脅す行為自体だった。」

実際、脅迫の条件は、ほとんど意味がないものだった。政府は脅しに屈したが、条件はほとんどのんでいない。しかし、脅されて正常な判断が出来なくなっていた。


政府は、脅迫が外国からのものだと信じ込んでいた。そのため、斉藤一郎が望む通りに防衛費を増強し、情報を統制し、統計データを改ざんした。そして、全てが頂点に達した時、DTS法が成立した。

「それはまさに斉藤一郎が望んだ通りだった。」高橋は三島の告白を聞いて、冷たい現実を受け止めた。「彼の目的は、この国の軍事力を強化し、自身の権力を握ることだった。」

この国は外国に負けたのではなく、外国の幽霊に負けていた。それが、この国で8年前までに起こった真実だった。


「斉藤大臣が逮捕されるかどうかはまだわからない」と石川は深刻な表情で語った。「三島が斉藤の指示だと自白しない限り、斉藤への捜査の手は及ばない。」

「首相官邸のドローン襲撃に関しても同じです。斉藤の秘書、山本真琴が自分が指示を出したと主張している。彼女が罪を被った理由はまだはっきりしていない。しかし、それが斉藤大臣の指示だったという証拠はない。」

高橋は思考を巡らせながら、石川の言葉を聞いていた。そして、彼は言った。「それでも、斉藤一郎の政治生命はこれで終わったと思います。自分の秘書が首相官邸を襲撃し、その責任を中華連邦に擦り付け、戦争にまで至ったのですから。そして、彼の下で、我々の国が無実の"幽霊"に恐怖し、自己破壊に陥ったのです。この事実が明るみに出れば、国民は彼を許さないでしょう。」


高橋の予想通り、斉藤大臣は議員を辞職した。スキャンダルが表面化し、彼の支持率は急速に落ち込んでいた。不明確な真実と疑惑の中で、彼が留まる余地はもはやなかった。それは星の誓いの日からちょうど2週間前のことだった。

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