第9話 生まれたことが罪だなんて


 晴れた日の日課となった野外ヨガを終え、私たち三人は屋敷へ向かっていた。


 そのとき、私は奥の森から不穏な気配を感じた。

 ヨガの力で、体中にマナが満ちて、感覚が敏感になっているからいつもでは感じられない空気を感じる。


 私はクンと匂いを嗅いでみる。

 すると、花と緑の薫りに紛れて、不快な匂いが漂ってきた。


 この匂いは……、血だ!


 私はハッとしてあたりを見回した。


 狐耳をピンと尖らせ、音を探る。微かにうめき声が聞こえた。動物の鳴き声ではない。


 だれか、怪我してる!?


「これって……?」

<気がついたか>


 私が思わず呟くと、ライネケ様が固い声で答えた。


<光の可能性……>

「どういう……?」


 私は、言葉の意味を尋ねる。

 ライネケ様はそれには答えない。彼は、というか、彼ら精霊は気まぐれなのだ。


「どうしたの? ルネ」


 お母様に問われて、私は慌てて作り笑顔を作った。


 心身ともにか弱いお母様に、怪我人などを見せたら卒倒するかもしれないわ。


「あの、ちらっと、ウサギが見えたから。私、ちょっと追いかけてくる!」

「うさぎ?」


 お母様は不思議そうな顔をした。


「あ、あの、狐の本能がそう言ってるんです」


 しどろもどろに嘘をつくと、お母様は納得したように頷いた。


「きっと、私たちにはわからないことがあるのね」

「はい」


 私は、罪悪感を感じながら微笑んだ。


「私もついていく」


 リアムが言い、お母様が不安そうな顔をした。


「お兄様は、お母様をお願いね」


 私がウインクすると、リアムは渋々と言ったように頷いた。


 リアムは私といるときには、感情表現が豊かだ。私はそれが嬉しい。


「では、行ってきます!」


 私は、お母様たちに手を振ると、森へ向かってかけだした。



*****



 ライネケ様の耳をもらってから、体が軽いわ。


 私は飛ぶように駆けながら思う。木の根をピョンと跳び越える。

 木の枝は私を見ると勝手に避けてくれるようだ。森の中の長い距離も気にせずドンドン走れる。


 森がまるで自分の庭みたい。とっても気持ちが良い~!


 鈴なりに咲いているアセビが風に揺られて、今にも音楽が鳴り出しそうだ。ふと足を止めて見上げると、半透明姿のライネケ様が現れた。


<あの木には毒がある>

「知らなかった! ライネケ様は物知りですね」

<この森や、この国のことなら多少はわかる。あの赤い実はヘビイチゴ。あのキノコは食べられない。ああ、血の匂いがするからそのヨモギを摘んでいけ>


 足もとにはまだ青々とした草が生えていた。葉の裏には白い毛が生えている。


<よく揉み、患部に貼れば止血になる>

「ライネケ様はすごいわ」


 思わず呟く。


<そうだろう>


 フフン、とライネケ様は笑った。


<こっちだ、ルネ>


 ライネケ様の声に従って先を急ぐ。


 ヒクヒクと狐耳が動く。

 ガサガサと草木をかき分け、匂いのもとを探していく。


 すると、錆びた鉄のような匂いが漂ってきた。


<ここは血なまぐさい、穢れる。我が輩は、ここにはいたくない。キツネたちよ、必要なものをルネに与えよ>


 ライネケ様はそう言うと姿を消した。


「ライネケ様!?」


 呼んでも、もうライネケ様は答えない。

 すると、大きなキュウリのよう果実を咥えたキツネが現れて、私の足に頭突きした。周りにはリスやウサギなども集まってきている。


 動物たちは我先にと案内をはじめた。彼らに着いていくと、そこには小さな男の子が倒れていた。

 細い手足に、金髪の髪。やつれてはいるが美しい子供だ。

 平民というにはこぎれいな服装、しかし、貴族的な派手さはない。


 こんなにキレイな金髪……、王族でも珍しい。


 私は一瞬、前世の夫を思い出していた。ガーランド王国の王族は、代々金髪の人が多いのだ。しかし、王太子でもこれほど見事な金髪ではなかった。


 その上、この子供の足首には、罪人の印の足輪が付けられていた。鉄製の足輪は、政治犯に付けられるものだ。


 ルナール領はガーランド王国の北にある。高い山に囲まれた盆地で、平地が少ないのだ。交通の便は悪く、陸の孤島と呼ばれている。

 そんな事情から、罪の軽い高貴な罪人の追放先ともなっているのだ。彼らは、ルナール領の外れにある修道院で、魔法の足輪を付けられ、労役を課せられるのだ。


 ルナール領に送られることを、王都の人々は『山流し』と恐れていた。贅沢な暮らしに慣れた貴族からすると、不便な辺境の地で田舎暮らしをすることは、それだけで罰だったのだ。

 

 親が罪を犯した有力者なのかしら? こんな小さな子、自分自身の罪じゃないでしょうに……。


 私は気の毒に思った。家族の罪の連座として、子供も一緒に罪を問われることもあるのだ。


 私のせいで、関係のないお父様とお兄様が犠牲になったように。


 私はふつふつと怒りが湧いてくる。


 罪人の子供と言う理由で、見捨てるなんてできない!


「大丈夫!?」


 声をかけた瞬間、男の子は木の枝を私に向けた。

 脂汗を掻き、息も絶え絶えだ。しかし、金のつり目は爛々と燃えている。

 反撃などできそうもない弱々しい姿なのに、必死に威嚇する様子が痛々しい。


 動物たちは驚いて、私の背中に隠れる。


「早く外さなきゃ! 足が腐っちゃうわ!」

「腐る!?」


 子供は知らなかったのか、顔を青ざめさせて足を見た。

 鉄の足輪のあいだから、じゅくじゅくと紫色の泡が漏れ出ている。 


 鉄の足輪には魔法がかけられており、逃げだすと魔法が発動するのだ。内側から細かなトゲが出て、擦り傷を作る。

 擦り傷程度と思うだろうが、そのトゲには毒が仕込まれており、傷口から広がり、肉が腐り動けなくなる。


 私は子供に手を伸ばした。


「さあ、早く!」


 子供はブンと木の枝を振り回す。


「近寄るな!! そう言って殺す気だろう!」

「だって、このままじゃ、あなた、ここで腐って死ぬわよ? 逃げ出した罪人は木になると言われなかった?」


 私の言葉に子供はブルリと震える。


「聞いたけど、そんなの……脅しだろ?」

「いいえ、腐って土にしみこんだあと、そこに木が生えるの。その木には足輪が嵌まっているわ。見たことない?」


 街道沿いにはそう言った木がたまに生えているのだ。そして、その木は、足輪に書かれた名前で呼ばれている。

 死んだあとも木が枯れるまで、見せしめにされ続けるのだ。


 足輪は、懲役をすますか、病気などで修道院で亡くなれば外される。

 

「あの木は、本当に……」


 子供もきっと見たことがあるのだろう。恐れるように私を見た。

 警戒の中に、戸惑いが見える。


 両手を挙げてみせた。


「ほら、なんにもしないよ」


 しかし、子供はブンブンと頭を振った。


「ほっといてくれ!」

「だって、このままじゃ、死んじゃうよ?」

「俺なんか死んだほうが良いんだ!」


 子供は吠えた。


「なに言ってるの!」

「だって、俺が生まれたせいで母さんは殺された。俺を庇って殺された。今だって、修道院へ行くはずの馬車が襲われた。きっとみんな殺された!」


 彼は修道院へ護送される途中を襲われたらしい。


「どうして、修道院に送られることになったの? あなたの両親が叛逆したの?」


 私が尋ねると、男の子は唇を噛んだ。


「違う!! 俺たちはただ、静かに暮らしてただけなんだ。それなのに、急に役人がやってきて、俺を捕まえた。母さんが、命だけは助けてくれって、そう言って、そうしたら『大人しくルナールの修道院で暮らすなら命までは奪われない』って。だから、俺は修道院に行くことにしたんだ。それなのに……母さんは殺された」


 男の子はギュッと目を瞑ってから、顔を上げた。


「俺たちなんにも悪いことなんかしてない。ただ普通に生きてただけだ。それなのにここへ送られるってなら、生まれたことが罪なんだ! 俺なんか生まれなければよかった! こんな俺が生きてる意味なんてない!」


 子供は涙を瞳にためながら、めちゃくちゃに木の枝を振り回している。


 生まれたことが罪だなんて。この子はなんにも悪くないじゃない!!

 

 私はギュッと胸が痛くなった。自分自身にも覚えがある感情だったからだ。私は、モンスターによる襲撃のどさくさに紛れて捨てられた子供だ。


 迫り来るモンスターの前で、私は父に助けを求めた。

 父は、弟だけ抱き上げて、私をモンスターの前に取り残した。父に似てない私は、ときおり父から暴言を吐かれていた。父にてない私を産んだ母も、同様に責められていた。

 ただ飯食いで役立たずの女はじゃまになると、言い捨てた父。母はごめんねと呟いて、私を見捨てて逃げた。


 私には帰る場所がないのだと悟ったのだ。そして、がむしゃらに逃げた。


 今こそ侯爵家で幸せに暮らしているけれど、なんど、生まれなければよかったと思ったことだろう。


「そんなことない! 生まれたことが罪だなんて思わないで!!」


 私は自分自身に言い聞かせるように叫んでいた。

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