8)雪
雪が降り始めた。雪はどんどん降り積もり、次々降り積もり、ますます降り積もり、いつまで経っても降り積もり、さらにますます降り積もり、膝下どころか、とうとう人の腰丈をこえた。ここまでの大雪は珍しい。少なくとも俺は初めてだった。
「ここまでの大雪とは、さすがに予想外であったな」
王都では、雪が積もったところで、せいぜい靴底が埋もれる程度だ。公爵様は垂れ込めた雲から雪が絶え間なく降り続く景色に、顔を曇らせていた。
公爵様や若様のお手元には、光る蝶々が時折やって来ては消えた。
「あれな、フェルナン様からの手紙なのさ」
仲間が教えてくれた。
テオドール様とフェルナン様は、お屋敷にはいらっしゃらない。王都の雪が膝に近づいてきた頃、急遽北へ旅立たれた。北は普段から雪が多く、雪に慣れている地方だ。大雪に備えてはいたものの、過去に一度も例のないほどの大雪だ。春まで備蓄が持ちそうにない上に、雪崩が相次ぎ、幾つもの村が孤立していると、支援を求めてきたそうだ。
出発の日、吹雪の間隙をついて庭に用意された馬車と、山積みの荷物を積んで並ぶ荷車に俺は首を傾げた。馬が居ない。
「ほれ、繋いだ繋いだ」
仲間は俺を急かすが、綱で馬車と荷車を繋げても、馬がなくては走らない。
馬はどこにいるのかと見渡した俺の目に、テオドール様と、お見送りにこられたシュザンヌ様とお子様方が映った。ご家族は本当に仲が良くていらっしゃる。何と言うか、俺もたまには親の顔を見に帰ってやらないといけない気がした。
「誰か一緒に来てくんないか。俺、寒いの嫌いなんだ」
フェルナン様に振り返ると、猫たちがフェルナン様の服に潜り込んでいる真っ最中だった。寒がりのフェルナン様の服は、お針子たちの特製だ。猫用の袋がついている。
「出来た? 」
俺に気づいたフェルナン様は猫の塊になっていた。いつもは袋に一匹ずつのはずだが、明らかにいつもより猫が多い。はみ出ている尻尾や顔の模様もまちまちだ。袋に入れなかったのだろう。フェルナン様の首に巻き付いている猫もいる。
俺はどちらかというと、このくらいで動揺しなくなった俺自身に驚いた。
「はい」
馬車の後ろに一列に荷車を並べて、綱で繋いだが、これに何の意味があるのかさっぱりわからない。馬のない馬車で、荷車を曳けるわけがないし、そもそも綱一本ではいずれひっくり返ってしまう。
「ありがとう。さぁ、テオ、始まりだ」
猫の塊になったフェルナン様の魔法を詠唱する声が響いた。淡く光る何かが次々と雪の上に広がり馬車と荷車を包み込んでいく。
雪の中から次々と氷の馬たちが躍り出た。
「おいで」
テオドール様の声に、氷の息を吐く馬が
いつの間にか馬車も荷車も氷の
魔法使いだ。本当に本当の魔法使いだ。へんてこ魔法ばかりを繰り出すご様子に、すっかり忘れていた。フェルナン様は、魔王討伐隊に参加しておられた魔法使いだ。いつもこういう素晴らしい魔法を見せてくれたらいいのに。
「若様、こっちはお願いしたっすよ」
「まかせておけ」
フェルナン様の氷の馬は、雪の上を助走し、空へと走っていった。
「流石だな」
後を任された若様が、吹雪を突っ切り飛んでいく氷の馬に曳かれた馬車と、その後ろに続く氷漬けの荷車を見送っていた。
若様は王都の道に積もった雪をふっ飛ばして、雪かきの手間を省いてくれた。
「フェルナンほどではないけれど、私も魔法を使えるからね」
若様は、ふっ飛ばした雪を集めて、空き地に大きな雪山をこしらえなさった。子どもたちは雪山を滑り落ちては歓声を挙げている。大人もしっかり混じっていて楽しそうだ。
「俺は若様の魔法が好きですよ」
せめてものお手伝いと思って、俺は毎回同行している。魔法は使えないが、スコップもツルハシも俺の手に慣れた仕事道具だ。ちょっとした場所の雪かきは、魔法よりも人の手のほうが便利だ。
「そうか。せっかくだから、お前も滑るか」
雪山を滑り降りる若様と俺は、子どもたちの笑い声に迎えられた。
「なんとか大事にならずにすんだらしい」
ある日、光る蝶を手に止まらせた公爵様が嬉しそうにお笑いになった。
「二人はそろそろ帰ってくるぞ」
王都を覆っていた吹雪が去った数日後、氷の馬が引く氷の
「二人とも、よくやってくれた」
お二人をねぎらう公爵様は、本当に嬉しそうにしておられた。フェルナン様が連れて行った猫たちは、帰ってこなかった。雪崩を逃れて避難した北の村の人たちに可愛がられて、すっかり気に入ってしまったらしい。帰ろうとはしなかったそうだ。
「あっちで可愛がってもらって、気に入ったんだろうさ。大事にするって約束してくれたし、あの子達には良かったけど。俺は帰り寒かったよ」
猫屋敷の猫はフェルナン様の言葉がわかるのだろうか。寒い寒いと繰り返していたフェルナン様を、猫たちは瞬く間に猫まみれにした。
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