第51話 その日
上級鑑定士トマベチ洋子は毎朝六時ぴったりに目を覚ます。前の晩、友人に誘われて酒を飲もうが、心配事があって寝るのが遅くなろうが、起きるのはきっかり六時と決まっている。
トマベチは昔からルーチンを守るのが得意だった。起きる時間もそうだし、朝食のメニューだっていつも同じだ。
そのことを友人に話すと「毎朝卵かけごはんなんて、よく飽きないわね? お金はあるんだから、もっと美味しいものを食べればいいのに」と言われるが、彼女は気にしない。
その日も手早く卵かけごはんを掻き込むと、先に仕込んでおいたコーヒーメーカーから熱く香ばしい液体をマグカップに注ぎ、いそいそと書斎に移動した。
デスクにはモニターが三台置かれている。
彼女はそれを見て少し嬉しそうにした。最近、どうしてもトリプルディスプレイにしたくて、わざわざパソコンにグラフィックカードを増設したのだ。
ではその自慢のモニターに何が映し出されているかというと、「死ぬ死ぬマンチャンネル」だ。
中央にメインチャンネル、左にサブ、右にサブサブチャンネル。
彼女はデザイナーズチェアに腰を下ろし、ゆっくりとコーヒーを飲みながら「死ぬ死ぬマンチャンネル」を視聴する。これも日課だ。大切なルーチン。
画面の中では死ぬ死ぬマン──八幡たけしが映し出されている。
まだ眠っているようで、特に面白い絵ではない。
しかし、トマベチは楽しそうだ。何かを期待して、瞳を輝かせている。
これはどうやら、彼女に限ったことではないらしい。
メインチャンネルに表示されている同時接続数は早朝にもかかわらず、五十万を超えている。
日本、いや世界中の人々が今か今と待ちわびているのだ。死ぬ死ぬマンandザ・ファントムズの始動を。
──ズズっとコーヒーを啜り、トマベチは思い出す。つい先日のボス戦のことを。
新宿ダンジョン25階のボスはとてつもないサイズの一つ目の巨人だった。それこそ十階建てのビルに匹敵する程の。
しかし、死ぬ死ぬマン達は怯まなかった。
いつも通りの手順──久保の幻術と死ぬ死ぬマンのバットで簡単にサイクロプスを葬った。
筋肉で出来た緑の山が死ぬ死ぬマンの一撃で、あっという間に崩れるのだ。跡形もなく。
爽快だった。
「30階のボスは何が出てくるのかしら……」
スマホでtwittorを見ると、新宿ダンジョンのラスボスについて様々な憶測が流れていた。
最上位の悪魔、不死の王、神話に出てくる巨大な狼。
どれもがあり得るように思えた。
「クリアしたら、何を願うのかしら……」
一般的にダンジョンは30階までと言われている。つまり、今日ボスを倒せば死ぬ死ぬマン達は新宿ダンジョンを攻略することになる。
「まさか、本当に世界平和を願ったりしないわよね……? ふふふ」
トマベチは死ぬ死ぬマンがテレビ出演した時のことを思い出し、笑った。
『……うぅぅー。皆さん、おはようございます。今は六時四十四分です。素敵な土曜の朝です』
ようやく目を覚ました死ぬ死ぬマンが、メインチャンネルで挨拶をする。コメント欄には「遅い!」だとか「さっさと起きろ!」のような言葉が並ぶが、これはじゃれ合っているだけだとトマベチは知っていた。
死ぬ死ぬマンと視聴者の間には奇妙な信頼関係があって、どんなに煽ったり煽られたりしても、お互いのことを根っこの部分で尊重し合っていた。
その関係の中に混ざるのがトマベチの楽しみの一つだった。
コメント欄に「おはよう」と書き込むと、死ぬ死ぬマンが挨拶を返してくれる。他の視聴者も「トマベチさん! おはござまーす!」と元気いっぱいだ。
独り身のトマベチが最近寂しくないのは、死ぬ死ぬマンチャンネルがあるからかもしれない。
『さて! 本日はいよいよ新宿ダンジョンのラスボスに挑みます! 時間はきっかり八時からです! ご飯やトイレを済ませておいてくださいね! 周りに見ていない人がいたら、声を掛けて欲しいです! 視聴者の数が、俺の力になるので!!」
あと一時間と少し。
トマベチは急に落ち着かなくなり、何度か座り直した後に立ち上がり、キッチンに行って新しいコーヒーの準備をするのだった。
#
『うぉぉおおおお!! 八時になったぜぇぇ!!』
死ぬ死ぬマンが雄叫びを上げると、メインチャンネルの同時接続数は一気に跳ね上がり二百万人を超えた。
コメントと投げ銭が物凄い勢いで流れる。
気がつくと、トマベチは息を荒くしていた。脳内物質が溢れて、頭を痺れさせる。しばらく味わったことのなかった興奮。
『では早速! いっちゃいましょう!! この扉の向こうに新宿ダンジョンのラスボスがいます!!』
大きく映し出されるボス部屋の扉。黒いそれはまるで生きているように脈打っている。明らかに普通ではない。しかし──。
『開けェェェ!!』
──死ぬ死ぬマンは全く躊躇うことなく、扉を開いた。
地響きで画面が揺れる。徐々に扉が開き中が露わになる。一体、どんなモンスターがいるのか……。
『ドラゴンだァァァァ!!』
死ぬ死ぬマンが叫びながら、ボス部屋に飛び込む。ドローンカメラが映し出したのは、サイクロプスよりも巨大な黒いドラゴンだった。
『来い!!』
死ぬ死ぬマンが挑発すると、ドラゴンの前足が振るわれる。
──カキンッ!! と、いつもの甲高い音。HPの壁だ。
大丈夫。どんな強敵にも死ぬ死ぬマン達は負けない。トマベチは自分にそう言い聞かせ、なんとか落ち着こうとする。
『久保!!』
『任せて!! 破ッ!!』
必勝パターン。
久保が印を結ぶと身体が青白い光で覆われ、【幻術】が発動した。
黒いドラゴンの動きが止まる。
トマベチは手を固く握った。もう少し。あと少しで倒せる。
死ぬ死ぬマンが角野さんを握り、叫ぶ。
『ステータス・スワップ!!』
攻撃力二百五十万のバットによる打撃が、ぼんやりとしたドラゴンの体に迫り──。
「えっ……」
──死ぬ死ぬマンの身体が襤褸切れのようになりながら、宙を舞った。
「そんなっ……」
三つのモニターが赤い血で染まる。
「どうして……」
それから十分後、死ぬ死ぬマンチャンネルの配信は完全に途絶えた。
トマベチのルーチンは呆気なく失われた。
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