開戦前夜〈2〉

「早速だが、国王陛下からの大命と大聖座からの回勅を伺おう」

「まずは私めから。この度国王陛下は勅書を発せられました。読み上げても?」


 侯爵の呼びかけに騒動を巻き起こした無礼者が素早く応える。しかし懲りたのだろうか。一言赦しを賜った後、歩み寄って勅書を侯爵に手渡しすると誦んじ始めた。



「聖なる三位一体の名においてアーメン。

 フラスヴェールの最も尊き名において布告する。

 東方より死・無秩序を齎す龍が唸りを上げた。

 フラスヴェールの全諸侯は騎士を引き連れてディジェーニュ公国に急ぎ集結せよ。

 尚、以下四諸侯は授かりし土地を守護し、王国に仕える身として責務を全うせよ。

 ディジェーニュ公・ブールリューブ伯・ワルトワ伯・グイスガルド侯


 高貴なるフラスヴェール人の第一人者、神の恩寵による世界の支配者にして正教の擁護者たるバシレイアのシャルル」



  使者が勅書を誦んじ終えると直ぐに、侯爵は使者の隣に列席する聖職者に回勅を簡潔に説明するよう求める。聖衣カズラの男は自身をピエール司教と名乗った後、同様に侯爵へ文書を手渡しして内容を誦んじる。



内容自体はほとんど変わらないものであったが、「預言者ペードロの代理人にして全人類の救済を執行せしめる大聖座の教皇パライオロゴス」の名を以て下されていた点は異なる。


 

 部屋を静謐が支配する。皆が一様に頭を回転させている。


 初めに口を開いたのは侯爵であった。

「――差し詰め牧者と成るべきだろうか?」

「…!いいえ、帝国皇族は最早再堕落ルラプスした卑しき者ども。牧会する余地も、自ら悔い改める余地も、既に潰えました」


 侯爵の問いかけに対して、慌てて答えたのは国王使者。そのやり取りに従士団の多くが頭の上に疑問符を浮かべながらも、固唾を飲んで注視した。


「ならば我々は無名荒野に入り、挑戦を受ける。…使者殿、意思表明としてはこれで宜しいか?」

「え、ええ!十分です!私は他の諸侯の下へ急ぎ回る必要が有ります。ではこれにて失礼!」


 先程の手早い行動は居心地が悪くなったためであったのだろう。使者は侯爵から返答を受けると、駆け足気味に退室する。直後、部屋中に安堵の吐息が幾許か漏れ出す。



「ピエール司教はこれから如何様に?」

「…私めは終わりまで見守らせていただきます。『敬虔侯』殿」


 司教は真剣な眼差しで、先日教皇猊下がグイスガルド侯キルデベルトに与えた「二つ名」を用いることで最大限の敬意を表明し、以降の行動を伝える。


「止して頂きたい。私には過ぎた名だ」

「これも猊下自ら親書を以て殿下の成したことを讃えてのこと。何を謙遜する必要がありましょうか」


 これ以上は失礼に値するか、と言って侯爵はそれ以上何も言う事は無かった。



 前時代、北方異民族のノルデント人には次のような評価がなされていた。

 「粗暴にして礼儀作法を知らず無知蒙昧。

 王は臣下共々に同胞はらからとなって混じり合い、上位者たる尊厳を知らず。

 然しながら逆境を耐え忍び、外敵に対して手斧を以て蹂躙し駆ける様は正に尚武の民と呼ぶに相応しい」と。


 しかしキルデベルト侯はその評価にそぐわぬ活動をしてみせた。まだラグナルスとそう変わらない年齢の頃に伝手・・で帝国内の魔導学校へと留学。

 そこで得た知識を元に領内の徴税機構を整備、侯国の安定化に努めた。

 また文化政策も振興したが、その最たるものが二つ存在する。


 一つは『奴隷の待遇に関する一般憲章』の布告である。

 王国法に保護されない無産階級を形成する奴隷身分であるが、グイスガルド侯国内においては都市法に服することが可能とされた。

 仔細な法整備は漸次的に進められて、実態としては遅々として法適用は進まなかった。

 しかし旧来より『世界の凡ゆる正教地域においては法の保護を受けられないという意味で、奴隷とは憐れむべき者である』という方針を採っていた大聖座はこれに歓呼した。



 そしてもう一つは領内に聖アンブロジウス教会を私財で建立したことである。

 先代からの蓄財を投入して作られたこの教会は、王家・公家が建立するものに匹敵する程には巨大で絢爛、それでいて朴訥とした雰囲気を漂わせた。

 一般的に王侯貴族の私財を投じた教会建立とは喜捨行為として見做される。

 

 大聖座は喜捨を『現世での俗物的・物質的貨幣を投げ得ることで、天国への居場所を先行して確保する。 謂わば正教集団エックレシアを介した、神と人間との信用取引である』といった王国歴二世紀中庸に活動していた神学者アルクィンの見解を取っていた。

 

即ち『グイスガルド侯キルデベルトの己が領分を遥かに上回る喜捨行為は清廉にして模範的。清貧のなんたるかを弁えた全き人としての行いである』と大聖座はこれも嬉々として肯定的に捉えたのだ。

 

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