第2話 異形

 時は砂の如くサラサラと流れゆく。


 時の流れに従って、異形はスクスクと育つ。


 それを望む者が居ようと居まいと関係なく、スクスクと異形は育っていった。


 育てば育つほどに、他人との違いは際立つ。


 それについては、王にも、従者たちにも、また異形自身にも、止められることではなかった。


 そのことは、異形を忌み嫌う囁き声についても同じ事が言えた。


「ほらご覧、なんと醜き姿」

「王様のなされる事とはいえ、理解は及ばぬ。ああ、疎ましい」

「何事も起きなければ良いが」


 囁きは風のように異形の傍らにあった。


 絹の衣で姿を隠すように包んでいても、風は吹いてくる。


 吹くことを知っていれば、対応はできる。


 異形にとって悪意ある囁きは風と同じ。


 撫でるようにして異形という存在を露わにしていくことはあっても、内側の柔らかな芯をえぐって破壊されることはなかった。


「気にする事はありませんよ、異形」


 世話係の柱は言う。


 そう言われると、逆に気になるのは何故だろう。


 傷付いてしかるべきである、と、言われているように感じるのは、何故だろう。


「異形。あなたは、とても澄んでいて、清らかな存在です」


 柱は、本心からそう言っているようだった。


 その言葉で、異形は逆に自分が分からなくなる。


 醜い異形。


 単純に醜い存在でいられたのなら、かえって楽だ。


 醜いという言葉は常に異形の身近にあった。


 清らか。

 神聖。

 尊い。


 そんな言葉も、異形の回りには転がっていた。


「イヤなことは、水に流してしまえばよいのです」


 促されるまま、異形は風呂へ入った。


 広い浴槽は、異形だけのものだ。


 たとえ他の者が入れたとしても、同席する者は居ないだろう。


 聞くまでもなく異形には分かっていた。


 開け放たれた窓からは、城外が見渡せた。


 広く広がる大地は乾いていて、砂漠と言っても差し支えないほど荒れている。


 所々に池があるはずだが、窓から見える範囲には見当たらない。


 この国では、城が一番、水に恵まれていた。国で一番大きな湖の横に城があるからだ。


 柱が言う。


「この浴槽にある水だけで、どれだけの人々が乾きを癒せるでしょうね」


 柱は、いつも柔らかな視線で異形を見守ってくれている。


 だが、異形の心にさざなみを起こすのもまた、いつも柱の役割だった。


「ではこの水を、城外の者に配ろうか?」


 そう言って異形が浴槽から出ようとすれば、


「たったこれだけでは仕方ありませんよ。配ったところで、新たな争いを生むだけです。ですから気にせず、ゆっくり浸かって下さい」


 と、柱は笑うのだった。


 冗談と本気の区別は難しい。


 異形はいつも思う。


 柱のそれは、特に区別が難しい。


「お前の冗談は難しいな」


 思ったままを口にすれば、


「それは私が、城外の生まれだからでしょう」


 と、柱は笑う。


 異形自身、城外の生まれだ。


 だが記憶に無い以上、それはさして意味を持たない事なのかもしれない。


 城外で生まれるか、城内で生まれるか。


 この国では、そんなつまらない事が、人生を決めていくのだ。


 城内に生まれるだけで幸せが補償され、城外に生まれるだけで不幸が確定してしまう。


 柱から聞く城外の暮らしは、異形の想像を超えている。


 現実とは思えないほどに。


 いつも話の最後で柱は、こう呟く。


「私は恵まれているのですよ」


 そう呟くことで、自分が語っているのは真実なのだと、伝えてくる。


 だが異形には、逆の意味も伝えているような気がした。


 わずかな言葉から真意を読み取るのは難しい。


 柱が城に連れて来られた理由を、異形は聞いてはいない。


 だが、察してはいた。


 幸せを保障された城内の者に、異形を育てることなど無理だったのだろう。


 だから世話役として柱は連れてこられたのだ。


 実際は、さらわれたのか、買われたのか。


 いずれにせよ、幸せなことではなかろう。


 そう思っている異形に、深いところを聞く勇気はない。

 

 世界は個人を中心に回りはしない。


 だが、個人は個人の人生を振り回すには十分な存在だ。


 特に、異形の場合は。


 黙って側に仕える柱と同様、異形も黙ったまま窓の外を見つめた。


 眼下に広がるカラカラに乾いた土地。


 そこに作物が実るとは思えなかった。


 同様に、人が住んでいるとも思えなかった。


 だが実際には人が住み、作物は実る。


 量は十分でなくとも実る。


 異形には、分からない事がたくさんあった。


 まだ幼く、疑問を素直に言えた頃、異形は王に聞いた事がある。


「城外の者は、なぜあのような荒地に放置されているのですか?」


「彼らに現世で課せられた役割だからだ」


「なぜ彼らは自分達が食べるのにも事欠くのに、城へ貢ぐのですか?」


「それもまた、彼らに課せられた役割だからだ」


 王は異形の疑問、全てに答えをくれた。


 だが異形には、納得出来る事と出来ない事があった。


 しかし王は、異形が納得しようとしまいと、そこに関心はないようだ。


 それは異形にとっても、たいした意味を持たない。


 異形が納得しようとしまいと、世界は変りなどしないのだから。

 

 柱は言う。


「あなたは他人とは違う。王とはもちろん、城外内の民とも、城外の民とも違う。その異形さゆえに、疑問が持てる。疑問を持たないものに、現状は変えられない。でも、あなたなら変えることができるでしょう。城内の者が変えようと思わないこの現状を。そして、その異形さゆえに、人心を集める事が出来るでしょう。改革者となりえるでしょう。王の跡を継ぐべきなのは、あなたです。いつの日か、この世を良き方向へ導いてください」


 異形は、柱の願いを叶えてあげたいと思った。


 だが。


 自分にそんな力があるとは、とても思えなかった。


 良き方向に導くとは。どういうことなのだろう。


 どうすれば良いのだろう。


 どうなれば良いという状態なのかも、本当のところ異形には分からない。


 それに王には息子である後継が居る。


 跡を継ぐ者が居るとすれば、それは後継だ。


 異形はそう思ったが、柱の目に宿る期待に邪魔されて口には出せない。


 窓から乾いた風が吹き込み、浴槽の水を物欲しげに撫でていった。

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