第7談

その麗しい一行が来訪したのは、地上からではなく空からだった。


楽の音は艶やかで、小鳥たちは聞き入るようにさえずりを止め、溢れ出る芳香に花々は恥じて、花弁を閉じる。空は五色に輝いたので、太陽は熱量を収め、七色の雲が空を染め上げるので、白い雲は空から消えた。


「あーあ、とうとう見つかったかぁ」


妓楼の回廊から空を見上げるのは雪玲シューリンだけではない。見習い妓女も口を開けて空を見上げている。今は昼間、普段はぐっすり眠っている妓女たちも、その恩恵を受けようと艶かしい姿で一行に手を振っている。


「私はあんたが出ていくのは寂しいけど、それでも良かったと思っているよ」

翠蘭スイランに背後から頭を撫でられ、嬉しいけれど、雪玲シューリンはそれとこれとは別として口を尖らせる。


「あたしがここから出て行ったら、翠蘭スイラン姐姐ネーサンを助ける人がいなくなるよ」


こう言えば、引き止めてもらえるんじゃないかと期待して、上目遣いで雪玲シューリン翠蘭スイランを見る。だが、翠蘭スイランはその手には乗らないと、柔らかく微笑む。


「私の常連さんがね、今度地方に赴任するんだって。それで見受けしてくれるって言うんだ。あんたみたいな世話が焼ける妹分がいなくなれば、私も後腐れなく行けるんだけど?」


後ろからぎゅっと抱きつかれて、耳打ちでそんな告白されてしまっては、この作戦は失敗だとしか思えない。


「……一晩中、ヤリたかったのに」


「やったことがないから、そんなことが言えるんだよ。いくら高級妓女だと言われたって、所詮、金で買われる身だよ。いろんな男に好きなようにされて、良いことなんかないよ。あんたには本当に好きな男と結ばれて欲しいと思ってるよ」


更にそう言われては黙るしかないではないか!なぜ自分はこんなに空気が読めるのか!眉を寄せて、唇を噛み締めて、拳をグッと握る。ここは聞き分けの良い娘になるしかない。


姐姐ネーサンが新しい地で、身を結ぶことを祈ってるよ。あたしも……頑張る」


「ええ、大好きよ。雪玲シューリン。あんたのこと、本当に妹だと思っていたのよ」


翠蘭スイランが額にちゅっと口付けを落としたところで、仮母の使いのものが来た。どうやら客が【嫦娥の盃】に降り立ったようだ。


「立派な仙女になってね」


「あいよ……」


後手に手を降りながら、雪玲シューリンは心の中で決意する。


誰が清廉潔白な仙女なんかになるもんか。抜け出してやる!



◇◇◇



【嫦娥の盃】の1階には賓客を通す特別な部屋がある。漆塗りの調度品で整えられた部屋は、この国の大臣や皇族が来訪された時以外に使われることはない。


「そんな部屋に仙女様御一行を通すとは、さすが爆炭ババア……」


背中をボリボリ掻きながら部屋に入ると、人の言葉では表すことができないほどの芳しい芳香がした。

部屋に溢れるのは雅な輝き。夜の嵐の後の朝焼けのような、涙が出そうなほどに美しい、人の心を溶きほぐす灯り。


「これが雪玲シューリンでございます」


テメェは誰だ?と言いたくなるほど猫撫で声の仮母が、雪玲シューリンに寄ってきて、その肩を優しく掴む。だけどその手はグイグイと天女の集団へと押しやろうとしている。爆炭ババアは力が強い。


天女たちは一様に白い衣に身を包んでいる。ヒラヒラとした天衣は軽やかで、ふわりと浮いた羽衣ういは彼女たちの徳の高さを表しているようだ。俗世とは無縁な彼女たちは、それでも妓楼が物珍しいのか、くすくすと笑いながら周囲を見ている。


雪玲シューリン、妾は奏糜そうび山に住む仙女、峰花フォンファ。西王母様のご命令で貴女を迎えに来ました」


3人いる仙女は同じ衣装に見える。それでも身分差があるのだろうか。真ん中に座る仙女が雪玲シューリンに声をかけてきた。少し垂れ目がちな大きな目の下には、黒いホクロがある。ぷっくりしたは唇は昇る太陽のような橙色で染められ、彼女のために作られた色のようだ。


できるな……雪玲シューリンは心の中で峰花フォンファを推し量る。この間の妖怪とはレベルが違う。彼女達から逃げる術はない。周囲を興味深げに見ているふたりですら、変な素振りを見せたが最後。首根っこ掴まれて、なす術なく気を失わされるだろう。


雪玲シューリンです。お出迎え感謝いたします」


ふわりとした笑い方は妓楼で習った。客をもてなすために殺気は必要ない。あくまで女性らしく、儚げに笑うことが必要だ。


「お迎えと言われましても、ほら、この子には元手がかかっておりますし……」


仮母はチラリチラリといやらしく仙女達を見る。その姿を見ながら雪玲シューリンは自分に更に課せられた借金を思い出す。


妖怪から翠蘭スイランを助け出した雪玲シューリンに仮母は自分は見ていないと言って金はくれなかった。なのに、なぜか屋根と庭の修理代は雪玲シューリンの借金としてかさ増しされた。あれには納得いかなかった。それだって見ていなかったはずだと。


峰花フォンファはクスリと笑い。その豊満な胸元から、ずるり、ずるりと長い象牙を取り出した。


どこからあんな長さのものが出てくるんだ……と突っ込みたいけど、キラキラと目を光らせ、更によだれまで垂らしそうな仮母を見てるとそれもできない。


「世の通りはわきまえておりますわ。これは……我々には薬の材料ですけれど、あなた方人間には、別のものとして扱われるのでは?」


象牙の価値は高い。しかも滅多に見ない美しさと大きさを兼ね揃えて要ることは、象牙を見たことがない雪玲シューリンでも良く分かる。


万事休す……雪玲シューリンは心の中で呟いた。

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