第14話・罠

 高田に焼き肉を奢ってもらった翌日。鷹人は学校だった。探偵事務所自体は朝から開けていたのだが、生憎依頼者は一人も来ず、セラは閑古鳥の鳴く事務所の中でずっと本を読んでいた。


 そろそろ一冊読み終えようかといった頃、事務所の玄関が開き、そこから鷹人が姿を現す。


「おや、早かったな」

「学校終わって、そのまま来たから」


 彼はそう答え、背負っていたリュックサックを助手のデスクへ置いた。白いカッターシャツの上に、学生ズボン、ブレザーを着て、赤いネクタイを締めている。いつものカジュアル装いとは違い、制服姿の彼を見るのは、少し新鮮な気持ちがした。


「うん? まだ車検終わってないのか」


 セラがそう言ったのは、窓の外、事務所の入った雑居ビルの前に、昨日と同じマローダー250が止められていたからだ。普段、彼が事務所に出向いてくるときは、アルトワークスに乗ってやってくることが多い。二日連続でバイクで来ることはまずない。


「学校、車通学禁止だから」


 ちょっと苛立たし気な声色で、若干の不満をにじませながら彼は答えた。助手のデスクの前でするすると学生服を脱いでいき、いつもの恰好へ着替え始める。


 ネクタイを外し、カッターシャツとその下の肌着を脱いだ時、隠されていた彼の素肌が露になる。切創や縫い跡がいくつも奔っている体。十代特有の脂肪がないひょろりとしたそれとは違い、荒事で鍛えた筋肉で彫刻された、スレンダーだがどこか荒々しい体つきだ。


 眉を上げ、目を丸くして身体を見つめて来るセラを鷹人は煩わし気に見返し、言う。


「じろじろ見るなよ」

「いや、傷だらけだなと思って」

「これのせいで、水泳の授業の時に気を使うんだ」


 傷跡を隠すように、彼は急いでTシャツに首を通す。そのままジーンズに履き替え、ミリタリージャケットを助手のデスクに畳んだ状態で置いた。


「今日も誰も来てないのか?」

「まぁね」


 「いつもの事さ」と言うようにセラは柔らかい笑みで答える。鷹人はそれに応えるように鼻で笑った。


「紅茶でも淹れる?」

「あぁ、頼むよ」


 鷹人は助手のデスクから立ち上がり、小さいガスコンロの前へ向かう。茶葉とポッドを取り出し、手際よく紅茶を煮出し始めた。


「さて、助手も来たことだし」


 セラはそう言って、自身が座っているデスクの引き出しから、白いスマートフォンを取り出した。


「昨日の捜査を再開するとしようか」

「例の携帯?」

「そうだ」

「何か手掛かりになるといいんだが」

「何とでもなるさ」

 

 そう言って、セラがスマートフォンの電源を入れる。スリープモードを解除し、まるで自分の物を触る時のようにパスワードをすらすらと解除して、着信履歴を表示する。すらすらと下へスクロールし、ある連絡先で指を止めた。


「おっと、これはいったい誰だ?」


 「うん?」と紅茶を淹れながらこちらの方へ顔を向けた鷹人に、セラはスマートフォンの画面を掲げる。男性名であろう漢字四文字の名前がずらりと並ぶ画面の中央に、一軒だけ非通知設定の着信履歴が表示されていた。


「それが、『坂口京子』だと?」

「……さぁね?」


 鷹人は、歯切れ悪く言ったセラの方に一瞬目を向ける。が、すぐさま紅茶の方へ視線を戻し、抽出し終えたそれを用意しておいたティーカップに注いだ。


「珍しいな。いつもみたく魔法でちょちょいのちょいじゃないのか?」

「……どういう訳か、今日は調子が悪いみたいだ」


 少し嫌味な響きを含ませていった鷹人に対し、セラは唇を尖らせながら答える。いつも通り明るく返してみたつもりだったが、彼女は内心かなり動揺していた。


 この電話番号の先がどこに繋がっているのかが分からない。精霊や使い魔に指令を出しても、魔力をこねくり回してみても、まるで壁にぶつかるような感覚が体を襲うばかりだ。


 魔法が通用しない相手。とある連中の名前が頭に浮かぶ。が、セラはすぐさまその考えを否定した。


 は、私が直々に始末したはずだ。そう自分に言い聞かせてみたものの、一抹の不安がぬぐい切れない。


「なぁ、少年――」

「お茶が入りましたよ」


 顔を上げ、鷹人に顔を向けて言ったと同時に、彼が両手にミルクティーの入ったティーカップを持ってセラのデスクへ来た。左手に持ったカップをデスクに置き、言う。


「さて、そいつを見つければいいんだな?」

「あぁ、恐らくは」

「なら、いつも通り――って訳には行かないんだったな」

「まぁ、方法はあるにはあるんだが……」


 「あるのか?」と目を丸くして言った鷹人に対し、セラはためらいがちにゆっくりと頷いた。


「私たちの間では、かなり野蛮とされてるやり方なんだが」

「誰も気にしねぇさ。なんせ、大多数の人間は魔女が実在するなんて思ってない」

「……それもそうか」


 ちょっとの間、鼻を鳴らして迷うような声を漏らした彼女だったが、納得した様子でそう答え、例のスマートフォンを両手で包むように持った。


「よし、じゃあ始めるぞ」

「どうぞ」


 鷹人が言い、右手に持った紅茶を一口すする。セラの両手から魔法陣が展開され、怪しく発光するそれが、雑居ビルの一室を紫色に照らした。


「……しまった!」


 少しして、セラが突然そう叫んだ。途端、彼女はスマートフォンを放り出し、両手を床に投げたそれにかざす。


「少年! 伏せろ!」


 彼女が叫ぶと同時に、落ちたスマートフォンがひとりでに飛び上がり、空中で止まる。超常現象じみた光景を前に、脳がフリーズした鷹人が動けずにいると、浮き上がったそれが突然強い光を放った。


「おい、なんだ――」

「ファルクス・ニオ!」


 セラの叫び声と同時に、そのスマートフォンが、探偵事務所のど真ん中で爆発した。

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