魔女と少年と探偵稼業
車田 豪
第1話・セラという名の女
とある部屋。辺鄙な路地裏にひっそりと佇む、寂れた三階建ての雑居ビルの中の一部屋だ。そこで、セラという名前の女が金髪を振り乱しながらベッドから起床した。
黒のタンクトップに黒いショーツ姿。言うまでもないが寝間着姿だ。彼女はその白く、透き通るような綺麗な手で頭皮をボリボリと搔いた。続いて大きなあくびを一つかまし、思い切り背中をしならせて伸びをする。どこかの骨がポキリと音を立てた。
喉から猫なで声を漏らし、壁に掛けてあった時計に目をやる。午後二時半過ぎ。起きるのに適した、静かな朝、とは程遠い時間帯だ。
「……ん、よく寝た」
彼女はそう言って、ベッドから立ち上がる。近くには埃をかぶった金のトロフィーや、汚れてせっかくの輝きを失った宝石類が無造作に詰め込まれた段ボールが何段にも積みあがっている。
それらに目をやることもなく通り過ぎ、彼女は寝室に備え付けられている小さなガラス張りのシャワールームへ、服を脱ぎ捨てて入った。天井から直接お湯が流れてくるタイプで、滴る水流が彼女の体の稜線をなぞる。
大半の男なら、その体を前に理性を保つことは難しいだろう。濡れそぼった金髪が艶やかに艶めき、妖艶さがいや増すばかりだ。
シャワールームの壁面から生えた銀メッキのスイッチを押下すると、天井から降り注ぐ熱湯がひたと止まった。壁に手をつき、頭を下に垂らした体勢から身を起こし、両の手で濡れる金髪を後ろに掻き揚げた。目の前の鏡にしぶきが飛び、写っていたいた彼女の体の上に水滴が浮かび上がる。
エメラルドグリーンの瞳が、鏡の向こうから彼女を見つめ返している。セラ自身の瞳の色だ。
彼女はシャワールームから出ると、出てすぐの場所に置いていたバスタオルを手に取って、頭と体を拭きながら、寝室の隣、彼女の仕事部屋へと向かった。
重い木でできた両開きのドアを開き、セラの探偵事務所へと入る。自宅から徒歩一分未満。通勤時間が長ければ長いほど、人間はストレスが溜まりやすくなるというが、そういう観点で見れば理想的な職場だろう。
仕事場、探偵事務所のクローゼットを開き、中から新しいショーツを履き、黒い細身のパンツに足を通す。ハンガーに掛けていた、黒いニットを手に取った時、探偵事務所の入り口が唐突に開いた。
「あぁ、いらっしゃ――なんだ君か」
客かと思い振り返った彼女の顔が、少し残念そうに歪む。ただ、心のどこかで彼の到着を待ちわびていたかのような、そんな期待するような声色にも思えた。
「あぁ、俺だよ」
そう言って、探偵事務所の正面玄関を閉めた少年は、セラのほうを振り返り、「うおっ!」と驚愕の声を上げた。
「服は!?」
顔の前に右手を掲げ、眩しいものを遮るかのような格好で、彼は今しがた閉めた玄関扉まで後ずさる。あたふたする彼を見て、セラは満足そうに笑みを浮かべた。
「少年、なかなかに
「うるせぇ! こちとら健全な青少年なんだよ!」
「なるほど。一番多感な頃、というわけか」
「その言い方やめろ! なんかすげぇいやらしい感じがする!」
両手で目元を隠す少年に向かって、セラはわざとらしく前かがみの態勢で近づいていく。彼女は現在、上半身半裸の状態。肩から掛けたバスタオルが辛うじて乳房を隠しているものの、彼女がそんな態勢で歩くものだから、その振動に合わせ、バスタオルの端が左右に揺れるのだ。
そんなだから、歩くたびに彼女の形のよい乳房が見え隠れする。少年が、名乗った通りの健全な青少年であれば、非常に刺激の強い光景だ。
むろん彼女は全部分かった上でやっているのだが。
「ヘイヘイ少年、何をそんなに焦っているのかな~?」
「おのれこのパツ金ダイナマイトボディ女」
褒めてるの貶しているのかわからない事を口にしながら、少年はセラの脇をすり抜けて探偵事務所の中へ転がり込む。片膝立ちの状態で起き上がると、着ていたオリーブグリーンのミリタリージャケットを彼女に向かって放り投げた。
「とりあえずその立派なもんを隠せ! それから服を着やがれ!」
投げ渡されたそれを受け取り、彼女はジャケットを羽織った。
「まったく。つれないな、君は」
からかうような声色で、だがどこか残念そうな様子で彼女は言った。仕方なく、といった様子でクローゼットの前へ戻り、セラは新しいタンクトップを着、その上から黒のニットタートルネックに腕を通す。
その間、少年はずっと窓の外を向いたままだった。ふざけて何度か彼の名前を呼んでみたのだが、彼は頑として彼女のほうを向こうとはしなかった。
服を着替え、セラはジャケットを彼へ返す。その際、ホルスターに収まった状態で、いつものリボルバー拳銃が彼の腰のベルトに引っかかっているのが見えた。
スタームルガー・ブラックホーク。三五七マグナム弾仕様。
彼のような高校生の持ち物としては、あまりにも物騒な代物だ。
しかし、セラ自身、彼のその銃に何度命を救われたか、分かったものではないのだ。
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