故意か過失か

奥田光治

第一章 過失致死裁判

※この作品はできる限り現実の法廷手続きを再現するようにしてはいるが、何分素人の作品ゆえ、実際の法解釈や法廷の様子、裁判手続きと違う部分があるかもしれない。その点は作者の認識・調査不足、あるいはあくまでエンターテイメントとしての部分を優先した事によるものであると解釈して頂ければ幸いである。  奥田光治



 二〇一〇年六月十八日金曜日、京都府京都市中京区。日本有数の古都・京都の司法をつかさどる京都地方裁判所は、この区の一角……ちょうど京都御所の南側を東西に貫く丸太町通り沿いに存在する。この日、この京都地方裁判所の小法廷で、ある裁判が行われようとしていた。と言っても、そこまで大きな裁判ではない。裁判員制度対象事件ではないので裁判官も一人だけで、傍聴人も数人のみ。マスコミ関係者の姿もない、ごくありふれた事件の裁判である。

 裁判所二階にある小法廷入口の掲示板には、これから行われる裁判の事件名が無機質に張り出されている。そうした事件の中に、次のようなものがあった。


『平成22年638号業務上過失致死被告事件 被告人・斉川敦夫』


 それが、今からこの法廷で審議される事件の名称だった。


 法廷内に入ると、すでに検察官や弁護人・被告人は自身の席に着いてその時を待っており、数少ない傍聴人たちがひそひそと何かを囁き合っている。やがて開廷時間になると裁判官席の奥の扉が開き、この事件を担当する黒い法服を着た初老の裁判官が姿を見せた。それを確認すると、裁判官席の前の席に控えていた裁判所事務官が声を張り上げる。

「起立願います!」

 その声と同時に検察、弁護側の双方、及び数少ない傍聴人たちが立ち上がり、裁判官に一礼した。そして、裁判官が裁判官席に腰を下ろすと同時に裁判所事務官が「お座りください」と再び発言し、それを聞いてその場の全員がそれぞれの席に腰を下ろす。それを見届けると、裁判所事務官は続けざまに鋭く声を張り上げた。

「事件名、平成22年638号業務上過失致死被告事件!」

 それを聞いて、今度は裁判官が小さく頷きつつ発言した。

「では、始めましょう。被告人は証言席へ」

 その言葉と同時に、被告人席に座っていた被告人が、どこか疲れた様子でありながらも立ち上がって素直に中央の証言席へ向かった。年齢は三十代半ばくらいだろうか。ワイシャツにズボンという格好だが、ネクタイはしておらず、ズボンもベルトを締めていない。これは自殺予防のための意図的な処置であるが、そのためか服装が崩れているように見えるのも事実である。

 そして、そんな彼が席の前に立つと同時に、再び裁判官が発言する。

「それでは人定質問を行います。被告人の名前は?」

 人定質問とは、目の前にいる被告人が本当に本人なのかを確認するために裁判冒頭で行われる法定手続きの一つである。一般人的な感覚ではそんな事を間違えないような気もするが、裁判という人の一生を左右する場では必要な手続きなのだ。幸い、被告人はこの質問に対して素直に答える姿勢を見せた。

斉川敦夫さいかわあつおです」

「生年月日は?」

「昭和五十年五月二十九日です」

「職業は?」

「株式会社『ケイ・プロジェクト』のシステムエンジニアです」

「住所は?」

「京都府京都市東山区××『メゾン平安』四〇八号室です」

「本籍地は?」

「京都府長岡京市●●です」

 型通りの質問に被告人……斉川が答えると、裁判官は頷きながら先を続けた。

「わかりました。では、これから起訴状の朗読を行います。検察官は起訴状を朗読してください」

 裁判官に言われて、厳しい表情を浮かべた京都地検の検察官・諸橋秀長もろはしひでながが短く返事をして立ち上がる。そして、軽く咳払いをすると被告人を一睨みし、腹の底から声を張り上げて起訴状を読み上げた。

「公訴事実! 被告人は二〇一〇年六月四日午後三時頃、京都市東山区××『メゾン平安』の屋上菜園における作業中に作業に使用していた菜園用のレンガを屋上手すり部分から誤って落下させ、このレンガを当該マンションの近くを歩いていた被害者・家田涼花いえだりょうかさんの頭部に命中させて致死性の裂傷を負わせ、よって死に至らしめたものである! 罪状、刑法211条1項、業務上過失致死!」

 起訴状は、証拠品提出前に裁判官に余計な先入観を与えないため、あえて簡潔に述べられる事が多い。裁判官は起訴状の朗読に頷いて着席を促すと、改めて被告人・斉川敦夫に向き直った。

「では、これからこの事実に関する審理を始めますが、最初に被告人に対して罪状の認否を確認します。この法廷の審理において、これから何度も被告人に質問する事がありますが、被告人には黙秘権があるので答えたくないときには黙っていても構いません。被告人がこの法廷で述べた事は、被告人にとって有利か不利かを問わずに証拠になりますから、その点をよく考えて発言してください。わかりましたか?」

 罪状の認否、及び黙秘権の告知。もはや裁判官にとっては何度も繰り返し続け、一種のテンプレートと化している発言である。が、当然被告人にとっては初めての事であり、斉川はどこか緊張した様子を浮かべながらもしっかり頷いた。

「では、お聞きします。今、検察官が読み上げた公訴事実について、何か間違っているところはありますか?」

 この問いに対し、斉川はすでに覚悟を決めていたのか、前を見つめながら答えた。

「いいえ、全て検事さんのおっしゃる通りです。私がうっかりレンガを落としてしまって、被害者の方を死なせてしまいました」

「罪を認める、という事ですか?」

「その通りです。申し訳ありませんでした」

 そう言って斉川は裁判官に向けて深々と頭を下げる。

「……わかりました。では、弁護側の意見はどうでしょうか?」

 これに対し、かなり高齢の国選弁護人・秋沼将之介あきぬましょうのすけはどこか眠そうな表情のまま会釈して立ち上がり、そのままの表情でこう答えた。

「えー、弁護側といたしましても、被告人の主張と同様であります。被告人がただ今述べましたように、本件の犯罪事実について争う事実は弁護側にはございません。ただ、本件は検察側が主張するような業務上過失致死事件ではなく、刑法210条に定められた通常の過失致死罪であると愚考する次第です。従いまして弁護側としては犯罪事実に関しては認めた上で、本件が業務上過失致死罪ではなく過失致死罪であると主張し、被告人の行為には情状酌量の余地がある事を立証したいと考えています」

 つまり、弁護側としては被告人が起訴状で読み上げられたような犯罪をやったという事実そのものについては認めた上で、具体的な刑罰の軽減に的を絞った弁護を行うつもりだと宣言したのである。

 検察側が今回の事件に対して主張する刑法211条の「業務上過失致死傷罪」は、文字通り業務上の過失による死亡事故の場合に適用される犯罪で、量刑は懲役5年以下または100万円以下の罰金と懲役とそれなりに重いものである。ただ、ここでいう「業務」は職務上の行為のみならず、たとえ私生活上であったとしても社会生活上で反復して行っている行為も該当し、ここから検察側は被告人の行っていた現場屋上での家庭菜園の作業が一定の反復が行われていた法律上の「業務」であると解釈して、その「業務」において必要な注意を怠って人を死亡させたとして「業務上過失致死罪」の成立を主張するつもりなのだろう(例えば「狩猟が趣味の人間が猟銃を片付けている時に誤って発砲して同行者を死亡させた」というような事例は、趣味で行っていた狩猟を反復性のある「業務」であると判断し、業務上過失致死罪の成立が認定される。これ以外だと例えば私的な自動車の運転なども法律上の「業務」に該当し、かつては実際に通常の自動車事故もこの罪状で裁かれていたが、自動車事故の厳罰化を求める世論を受けて二〇〇七年に刑法211条に追加する形で自動車運転過失致傷罪(7年以下の懲役または100万円以下の罰金。二〇一四年からは同じ量刑で過失運転致傷罪に変更)が制定され、さらに飲酒運転など危険な自動車死亡事故に対処する形で同じ二〇〇七年に危険運転致死傷罪(1年以上15年以下の懲役)が刑法208条の2に追加されたため、二〇〇七年以降、自動車事故が業務上過失致傷罪で裁かれる事はない)。

 その一方、弁護側の主張する刑法210条に定められた通常の過失致死罪には懲役刑がなく、最高刑が罰金50万円という微罪である。つまり、弁護側としては被告人が事故当時行っていた屋上菜園の作業は「業務」ではないと主張し、ここから本件が通常の「過失致死罪」であるとして懲役刑の回避、あるいは最悪業務上過失致死罪が認められたとしても執行猶予が付くように、犯罪事実そのものは認めて量刑を軽くする事を狙った弁護をするつもりなのだろう。いずれにせよ、この冒頭のやり取りで裁判の方針はある程度決まったようであった。

「わかりました。では、被告人、先程の席に戻ってください」

 裁判官にそう言われて、斉川はその場で小さく一礼すると、再び弁護人席の前にある被告人席に戻った。ここまでが前座であり、いよいよここから本格的に刑事裁判手続きが始まっていく事になる。

「それでは、証拠調べ手続きに入ります。まず、検察官がこれから証拠によって証明しようとする事実を冒頭陳述として述べますので、被告人はよく聞いておいてください。では検察官、冒頭陳述をお願いします」

 そう言われて、再び諸橋検事が立ち上がる。

「本件に対し、検察が証拠により証明しようとする事実は以下の通りであります。第一に、被告人の経歴・身上であります。被告人は京都府長岡京市に生まれ、長岡京第三高校卒業後に大阪の阪神大学経済学部に入学。卒業後に現在の勤務先である株式会社『ケイ・プロジェクト』に就職し、五年ほど前から現在の住所である東山区のマンション『メゾン平安』に居住しています」

 そこまで一気に読み上げると諸橋は一度言葉を切り、チラリと斉木の方を睨んだ上で言葉を続けた。

「第二に、本件に至る経緯であります。被告人は今から二年ほど前に余暇目的に家庭菜園を行う事を思いつき、自宅マンションの『メゾン平安』管理人・金下源蔵かねしたげんぞうの許可を得て、同マンション屋上の一角にていわゆる屋上菜園を作っていました。この屋上菜園は開始した二年前から事件当日に至るまでほぼ継続して行われており、その際に本件で使用されたレンガや肥料などの重量物を屋上に運び込んで使用する事も日常的に行われていたものであります」

 つまり、検察としては斉木の屋上菜園やレンガの使用が日常的に継続して行われていた法律上の「業務」であるという事を証明するつもりだという事である。その上で、諸橋はいよいよ事件当日の内容についての陳述に移った。

「第三に、本件の犯行状況であります。被告人は平成二十二年六月四日金曜日午後三時頃、会社の休日だった事からいつも通りに自宅マンション屋上の屋上菜園にて育てていた野菜の手入れ作業を行っていましたが、その作業中に菜園の周囲を囲っていたレンガの一部が風雨により破損しているのを確認し、そのレンガの入れ替え作業を行う事を決断しました。その後、マンションの倉庫から持ち出した新しいレンガと古いレンガを取り換えようとしたものの、この時古いレンガの撤去作業に手間取った事から取り換えるために持ち込んだ新しいレンガを不注意にもマンション屋上の手すりに置いた上で作業を続行し、作業開始から五分ほど経過した際、手すりの上にレンガを置いた事を失念してその場で立ち上がった際にレンガと体が接触し、その結果レンガが手すりからマンション下へと落下。このレンガがちょうど下にあるマンション脇の通路を歩いていた被害者の家田涼花さんの頭部に命中し、彼女は致命的な裂傷を負ってその場に昏倒。すぐに過失に気付いて下を覗いた被告人が自ら救急車を呼び、自身もすぐに一階に駆け下りて救命を試みますがそれもかなわず、結果的に被害者を死に至らしめたものであります」

 そこまで一気に言って一呼吸置くと、諸橋はこう続けた。

「以上の事実を証明するために、検察側は以下の証拠を請求します。まず、甲号証としては以下のものとなります」

 一般的に、裁判において提出される証拠品は「甲号証」と「乙号証」に分類される。甲号証は目撃者や被害者などの供述調書や各種物的証拠など外的な証拠。乙号証は被告人の経歴や前科、自白調書など被告人自身にかかわる証拠である。やや長い上に裁判であるがゆえにかなり冗長ではあるが、諸橋は何の感情も込める事なく淡々と証拠を列挙していく。

「甲1号証、凶器の菜園用レンガ。これは被害者の遺体の傍で発見されたものであります。甲2号証、被害者・家田涼花の司法解剖記録。被害者の死因が甲1号証のレンガによって生じた頭部の裂傷によるものである事を証明するものであります。甲3号証、凶器のレンガに関する鑑定記録。甲1号証のレンガについての鑑識の鑑定記録であり、このレンガから血痕が検出された事、被害者の血痕以外に特筆すべき指紋や付着物等が検出されなかった事、及びこのレンガと被害者の頭部の傷口が一致した事を証明するものであります。甲4号証、レンガに付着した血痕の血液鑑定記録。レンガに付着していた血痕が被害者のものである事を証明するものであります。甲5号証、遺体付近の地面で発見されたへこみの写真。遺体近くの地面に確認されたへこみの写真であり、被害者の頭を直撃したレンガが地面に落ちた際についたものであります。甲6号証、甲5号証のへこみについての鑑定記録。問題のへこみから甲1号証のレンガと同一成分の石粉が検出された事を科学的に証明するものであります。甲7号証、遺体発見現場の写真。遺体発見当時の現場写真であります。甲8号証、マンション入口の防犯カメラ映像。マンション入口に設置された防犯カメラの事件当時の映像で、事件直前の被告人の行動、及び被告人が事件直後にマンションから出てくる姿を記録したものであります。甲8号証、事件現場近くのコンビニの防犯カメラ映像。事件直前の15時7分にコンビニ前を通過する被害者の生前最後の姿を記録したものであります。甲9号証、アパート管理人・金下源蔵に対する取り調べ調書。被告人が屋上菜園をする事に許可を出した経緯、及び被告人が日頃から継続的に屋上での家庭菜園を行っていた事を証言したものであります。甲10号証・アパート住人の平野小次郎ひらのこじろうに対する取り調べ調書。普段の被告人の様子について証言したものであります。甲11号証……」

 その後もしばらく証拠の列挙が続き、それらを一気に言い終えると、諸橋はいったん言葉を切って一呼吸おいてからさらに続けた。

「次に、乙号証としては以下のものとなります。乙1号証、被告人に対する取り調べ調書。被告人が取り調べで行った供述について記述しています。乙2号証、被告人の経歴・身上についての捜査報告書であります。乙3号証……」

 今度は乙号証の列挙が続き、それを一通り読み終えると諸橋はもう一呼吸置き、その上でこう締める。

「以上であります」

 その言葉と同時に諸橋は着席する。それを見届けた上で、裁判官は秋沼弁護士に尋ねた。

「よろしい。それでは弁護人、これら検察官の証拠調べ請求に対するご意見はどうですか?」

 その問いかけに、秋沼はゆっくり立ち上がって見解を述べた。

「えー、弁護側といたしましては被告人が自身の罪を認めている事を鑑み、基本的には事実認定についての証拠の請求には同意するつもりです。ただし、いくつか事実関係を確認したい部分がありますので、甲9号証及び甲10号証についてはいったん不同意とし、該当する証人尋問を行った上で納得できるようならば同意するという手続きを取りたいと考えています」

 穏やかな口調で言ってはいるが、弁護側が不同意をしたのは問題の屋上菜園が日常的に行われていた事……つまり法律上の「業務」であった事を証明する証拠ばかりである。不同意された証拠については、検察側は証人喚問を行って証人に対する尋問を行う事で証拠の立証を行わねばならず、同時に弁護側にはこの際反対尋問の権利が与えられる。ここで検察側が証拠の有用性を立証できなければ証拠は裁判所に受理されず、すなわちその証拠を判決の根拠にする事が不可能となってしまう。そのため、弁護側からすればこの証人尋問でどれだけ相手を崩せるかが法廷における最重要問題と言っても過言ではなかった。

「検察官、意見は?」

「しかるべく」

「結構です。それでは弁護側が不同意した以外の証拠を受理します」

 諸橋が頷き、受理が認められた証拠が裁判所書記官に提出される。これで、提出された証拠に関しては判決の判断に使う事ができるようになったというわけである。あとは弁護側が不同意した証拠品に対する証人尋問を行うだけだ。

 ……なお、ここまでの流れ(特に検察官による各種証拠品の列挙部分)についてかなり冗長に感じたかもしれないが、これでも刑事裁判の証拠の数としては少ない方である。比較的シンプルな過失致死事案だからこそこの証拠数で収まっているのであり、これが全国ネットで報じられるような大規模な殺人事件であれば、その証拠の数は数百に達する事もざらである。まして連続殺人や組織犯罪ともなれば個々の事件や一人一人の被告人に対して膨大な数の証拠を立証せねばならず、証拠の数はさらに跳ね上がる。

 その上、今回は被告人が罪を認めているがゆえに弁護側も大半の証拠の提出に同意し、その結果証人尋問も最低限となって裁判がスムーズに進んでいるわけだが、仮にこれが被告人の全面否認という状況になれば弁護側は全ての証拠を不同意してくるため、そのままでは裁判所に証拠を提出できなくなってしまう。そうなると不同意されたすべての証拠について検察側はわざわざ証人喚問を行って尋問を行い、法廷内で一つ一つの証拠を立証する必要性が生じる。当然、とんでもない時間が消費されるのは間違いない話であり、ただでさえ証拠の数が多い連続殺人や組織犯罪で被告人が否認すればどうなるかなど考えたくもない話だろう。まして「被告人が否認している組織による連続殺人」ともなれば、下手をすれば数十年単位の時間が裁判ですっ飛んでしまうのである。かつて発生した某宗教団体による裁判が数年単位となってしまったのもこの辺りに大きな理由があると言われており、一般人が参加する裁判員裁判でこれをどれだけ短縮できるかも大きな課題となっているという。

「それでは、証人尋問に移りたいと思います。検察官、証人の準備はできていますか?」

「マンション管理人の金下氏については控室に待機しています。もう一人の平野氏については本日都合がつかず、後日という事にしたいのですが……」

「何日ならば可能でしょうか?」

「二十一日と二十五日であれば可能と聞いています」

「弁護人、いかがでしょうか?」

 裁判官が弁護人に視線を送る。秋沼はゆっくりと手帳をめくって発言した。

「えー、申し訳ありませんが二十一日は大阪地裁で別件の裁判がありますので不可能です。二十五日であれば午後一時以降であれば大丈夫です」

「検察官はいかがでしょうか?」

「では、二十五日の午後二時からでどうでしょうか? それ以前はこちらも別件の公判がありますので」

「弁護人?」

「それで構いません」

「わかりました。では、次回公判は六月二十五日午後二時からという事で。それでは早速、金下氏に対する尋問を行いたいと思います。検察官、準備をお願いします」

 裁判官の言葉に検察官が頷き、傍らにいた検察事務官が準備にかかる。その間、傍聴席は一瞬ざわめきに包まれるが、そんな中、裁判の様子を、後ろの傍聴席で黙って見つめている人影があった。

 一人は四十歳前後と思しきくたびれたスーツ姿のサラリーマン風の男。もう一人は女性物のスーツを着たショートヘアの若い女性。一見するとよくわからないコンビであるが、その正体を知ればますますどういう関係なのかわからなくなること請け合いであろう。

 男の方は東京都内に事務所を構える元警視庁刑事部捜査一課警部補の私立探偵・榊原恵一さかきばらけいいち。女性の方は同じく都内の私立東城大学法学部の一年生で、榊原の助手を自称する深町瑞穂ふかまちみずほである。二人はジッと法廷の様子を見ていたが、やがて瑞穂が少し緊張した風に榊原に問いかけた。

「どうですか、先生?」

「さてね……色々考える事はあるだろうな」

 榊原はそう答えながら、実際に何かを考え込んでいる様子だった。


 なぜ、この二人が京都地裁で行われているこんなありふれた事件の法廷を傍聴しているのか。それは今から一週間前に榊原に対して行われたある依頼にまでさかのぼる……。

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