第10話 戦闘①

 暗雲の兆しはすぐそこまで迫っていた。

 山道を行く乗合馬車の二百メートル後ろに、黒い四頭立ての荷馬車が迫ってきていた。


 「多分この乗合馬車、尾行されてるかも……」


 熟練度の高い探知魔法持ちなら、魔力の特異性から行使する者を割り出すことが可能。

 ヴォルガルが追っ手を用意するのなら、俺やヘレナの魔力を探知魔法持ちに覚えさせることぐらいはしそうな話だ。

 それ故に魔法を行使しての逃亡は避けざるを得なかった。


 「ロットヴァイルの街からずっと後ろをつけられているってことか?」

 

 ヘレナの感じていた違和感には俺も同意だ。

 確証がないからこそ、手をこまねいていたと言ってもいい。


 「乗合馬車の発車は二時間ごとだったはずだから……あれは多分追っ手」


 ヘレナは他の客に聞こえないように声を潜めて言った。

 二時間も後に街を出る馬車が、すぐ後ろにいるはずはない。


 「補足されたのか……いや、尾行されているというのは結論を急ぎすぎだ。あれが追っ手ならおそらくは国境を固める気だろう」

  

 何れにしても憶測の域を出ない。

 それに俺たちは補足されるような真似はしていないはずだ。

 野宿の痕跡だって念入りに消して来たし、人のいる場所への立ち入りは可能な限り避けてきた。

 仮に後ろの馬車が追っ手だとして連中は俺たちの捜索と追撃を優先しているはずだから、乗っている人数はおそらく御者役を除いて三人か……。

 そして荷馬車の積荷は、さしずめ野営の道具といったところだろう。

 国境で警戒線を張るのなら、やはり俺たちが国境を超えていないことを何らかの形で知っているというわけか……。

 これで追っ手に探知魔法持ちがいることは確定だな……。


 「ヘルベティア共和国に入るまでに、始末する方がいいと思う……」


 ヘレナは実力排除を提案してきた。

 だが奴らは鷹や鳩を用いての連絡を密にしているはずだ。

 それが途絶えれば俺たちの行動がある程度バレてしまう。


 「後々厄介の種になりそうだが、ここでことを起こせば俺たちの移動方向を敵に教えてしまう」


 わざわざ南に向かっているのはアルプスという天然の要害があるために逃走者が一番選びたくない逃走経路だからだ。

 普通に逃げるのなら、街道伝いに東西の隣国へと逃げればいい。

 或いは北の沿海州まで行って船で逃げたってよかった。

 

 「確かにお兄ちゃんの言う通り……。でもそれは相手が何も仕掛けて来なかった場合に限る……」


 ヘレナが俺の選択の盲点を突いたときだった―――――。


 「グェッ!?」


 乗合馬車の一番端に腰掛けていた男の首筋に矢が突き立った。


 ◆❖◇◇❖◆


 「全く……お頭もひでぇよなぁ……よりにもよってアルプス送りかよ」

 「全く暇でしょうがねぇ……」


 東西南北、暗殺目標の考えられる逃亡先のほぼ全てにニザールの手の者が送られていた。


 「それにこの毒液、本当に効くのかもわかんねぇしなぁ」


 男の一人はそう言うとおもむろに銀の容器を取り出した。


 「ちょうどいい、前の馬車で試してみたらどうだ?」

 「そいつはいい」


 元はと言えば、暗殺集団ニザールはならず者の集まり。

 彼らが一般常識的な良心など兼ね備えているはずもなかった。


 「おいおい後始末が面倒だから、やめてくれよ」


 唯一、分隊長の男だけは難色を示したが他の三人が、それを聞くはずがなかった。

 猫が獲ってきた鼠をいきなり捕食せず玩具オモチャにして弄ぶように、彼らは快楽殺人さえも厭わない。

 ニザールに所属する人間たちはそれぞれに戦闘のエキスパートでありながら、その経歴若しくは性格において重大な問題点を抱える人倫を踏まない暴力装置なのだ。


 「そんなこと言ったって、この中で人の血を見るのが何よりも好きなのは隊長だろうが」


 男の一人が鏃を毒液へと浸すと自身は左手に革の手袋をはめ、矢をつがえた。


 「俺は止めたからな?後から片付け手伝えよ?」

 「あいよ」


 男は軽口を叩くと弦を引き絞ると何の躊躇いもなく矢を放った。


 ◆❖◇◇❖◆


 「グェッ!?」


 乗合馬車の一番端に腰掛けていた男の首筋に矢が突き立った。


 「チッ、仕掛けて来たか!!」


 馬車の乗客たちは途端に悲鳴をあげ騒ぎ出した。

 唯一幸いだったのは、矢を受けた男が苦しみもがく暇すらなく死んだことだろう。

 お陰で乗客を襲う感情は恐怖のみだった。


 「おい、人が殺されたぞ、馬車を止めろ!!」

 「と、峠に駐在する騎士に助けを求めよう!!」


 乗客は各々好き勝手なことを口走り、御者は困惑を露わにした。

 

 「御者、聞こえているか!!」


 ここで速度を緩めるのは悪手、こういう時こそ相手との距離を稼ぐべく移動速度をあげるべきなのだ。


 「は、はいっ!!」

 「速度を上げながら目的地まで急げ。速度を落とせばそれだけ敵の矢が当たる」

 

 乗客たちの様子から状況を把握した御者は、震えるように頷くと馬に鞭をくれた。


 「ヘレナ、危ないことは百も承知だがここでアイツらを始末するぞ」


 魔物と人とではその戦い方は大きく異なる。

 そして相手は魔法攻撃ではなく飛び道具による攻撃を行ってくる。

 物理攻撃は魔法攻撃よりも容易く準備時間が少ない。

 ともなれば魔力を感じる直感的な戦闘ではなく、相手の動きを見極める観察力が重要になるわけだ。


 「お兄ちゃん、馬車が直線に入った」


 ヘレナは次の犠牲者が出る前に打って出ようと言いたいらしい。


 「わかった。ならカウント三つで飛び降りるぞ?一、二の、三!!」


 馬車の荷台の縁を蹴って飛び出すと乗客たちは


 「二人飛び降りたぞ!!」

 「で、でも助ければ私達も道連れなのよ!?」


 と騒ぎ出す。

 だがそのおかげで、敵もまた俺たちの動きにすぐさま気付いたらしかった。


 「うっひょービンゴってか?手柄は頂きだな、死ねぇぇっ!!」


 男は狙いを荷馬車の乗客から俺たちへと向けた。


 「任せて!!」


 ヘレナは短剣を抜くと勢いよく投擲した。


 「ぬおっ!?」


 弓を構えた男は短剣を避けようと咄嗟に身体をひねり矢は、明後日の方向に放たれた。

 

 「こっちもいるんだが?」


 男の意識のそれたタイミングで、俺も短剣を放った。


 「ぬおっ!?避けられない!!」


 それが男の最期の言葉だった。

 鈍い音ともに男の眉間に深々と短剣が突き立った。


 「ふん、魔法戦闘がメインだとは聞いてたが近接もいけるとは……ふん、少しは楽しませてくれそうじゃねぇか?」


 荷台から降りてきたのは痩身の男。

 男の放つ濃密な死の気配に俺の足は僅かに竦んだ。


 「お兄ちゃん……?」


 察したのか心配そうに俺を見つめるヘレナ。

 俺はたった一人の家族を守りたい、その一心で強くなろうと努力してきたはずだった。

 なぁ、そうだろう……?

 答えのない自問自答。

 いや、俺自身が行動で答えるべきなんだ。


 「問題ない。いつものように殺るだけだ」

 

 深呼吸を一つ、これまでヴォルガルによって与えられた任務で場馴れしていたおかげか、気付けばいつものように落ち着いていた。

 

 「この俺相手にも落ち着いたままでいられるとは見事じゃねぇか?」


 男はニヤリと笑うと槍を構えた。

 それに合わせて他の二人もまた各々の得物を構える。


 「ヘレナ、行くぞ」

 「ん、任せて」


 息を合わせるでもなく俺たちは同じタイミングで地面を蹴った―――――。

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