episode18 「そう、平気そうでなによりだわ」

 足場が崩れたような、そんな感覚に陥った。急いで頭を触って確認すると、確かにフードは取れている。先刻の戦闘によって取れ、それにしばらく気づいていなかったのだ。

 さっとフードを被り直す。


「……失礼いたしました」


 偶然に不思議を見つけた子供のような好奇なあきれた顔つき。少なくとも、私には巨躯の彼の表情はそう見える。首都にいた頃に嫌というほど見た顔だった。そしてその後、決まって嫌悪したような顔つきへと変化するのだ。表情に出なくとも、玩んでいい物として認識するに決まっていた。

 その前に、この場を後にする。嘲笑は聞こえないことにしたほうがいい。別に聞こえたところで何ということはないのだが、聞かないことに越したことはないだろう。

 嗤いが、少しでも足を止めると、後ろから追いかけてきそうだと思った。巨躯の彼が何か言っているような気がするが、気にしてはならない。どうせ、珍獣を見たような感想に決まっている。村という決して広くないコミュニティだ。ロラの家へ戻り、休息を終えた頃には村中に広まっているだろう。

 どうということはない。

 コミュニケーションが円滑でないことは、今に始まったことではない。そもそも良い関係になることなど考えていない。例え村人にどう言われることになろうが、ここを護ることが出来ればいいのだ。私は、それでいい。

 その足で村の中を進んでいくと、朝日が昇ったばかりの時刻だからか出会う住民もあまり多くない。少ないながらも話しかけてくる者もいたが、決まって昨夜は狼がうるさかったという話だった。

 ロラの家へ入る。早朝という時間からあまり物音を立てないよう扉を開けたのだが、彼女は既に起床しており、家に入った途端に詰め寄られてしまった。


「ちょっとちょっと騎士様、初日から朝帰り? しかもなんなのその傷!」


 頬の傷指しているのだろう、私の顔を指差してそう言う。


「入り口で警護をしていたもので。この傷はそのとき狼に」

「狼!? 野生動物から負った怪我なんて絶対危ないやつじゃん! 治すからここに座って」


 言いながら、作業台の椅子を何度か叩いてここへ座るよう示した。大した怪我ではない、そう言おうとして止める。昨日同じような場面があって、手当てしようする彼女に対して抵抗はあまり意味がないことを思い出したためだ。


「どこで何してるかは聞いてたけどさ、帰ってこなくて心配したんだから」


 住民の誰かに聞いたのだろう。

 抉れた皮膚にロラが手を翳すと、頬に温かい魔法が灯った。ロラから治療を受けるのはこれで二度目となる。それには、戦場の手早く行われる荒々しい処置とは違い、痛みも苦しみはない。止血薬や皮膚に通される針。大体は苦痛を伴うものだ。しかし、ロラが使用する魔法にはそれら一切がない。未だ人が今の技術では再現に至らない領域。

 故に、魔法。

 翡翠の光は微熱を以て傷を修復すると、やがて役目を終えて消える。頬には春風のような暖かみが燃え上がり、烙印めいて残った。


「もう、あんまり無茶したダメだって」


 あまり無茶をしている感覚はないのだが、とりあえず頷いておく。それよりも、だ。


「すいません、伺いたいのですが」

「ん? なになに」

「この村には鍛冶屋がいると聞いたのですが、どちらに行けばよろしいのでしょうか」

「鍛冶屋? あぁ、ブリジットのことかな。鍛冶屋がどうしたの」


 名前から鑑みるに、その鍛冶屋は女性らしい。

鞘が壊れてしまったことをロラに伝えると、昼間になったら案内してくれるという。どうしても、ここの村人は私を寝かせたいらしい。もう一日くらいなら活動出来ると思うのだが、確かにあまり早く訪ねても相手が活動していなければ意味がない。そう自分を納得させる。


「大丈夫大丈夫。あたしブリジットとは仲いいから」


 嫣然と彼女は笑う。案内するとのことから、仲介してくれるのだろうか。私としては場所さえ教えてもらえればいいのだが、確かに友人と出向けば円滑に事は進みそうではある。


「友人なのですか」


 にっと頬に笑みをたたえてロラは私に無邪気な目を向ける。


「あたしとブリジットは小さいときから一緒にいたんだ。幼馴染ってやつ」

「幼馴染」


 反芻する。

 その言葉から推測出来るのは、例の鍛冶屋がロラと同い年くらいであること。それに、物心ついた頃からの仲だということだ。確かに、彼女の元へ行くならロラに一任したほうが無難なのかもしれない。

 ただそれには、昼まで休息しておけということを含んでいる。今から休息に入るとしても何時間ばかし。即ち星霜。そんなに休んでしまったら、眼が腐り落ちてしまわないか心配だ。


「まあブリジットのところに行くなら、あたしに任せてよ」


 そう笑みを宿す。

 それに、私は「分かりました、お願いします」と伝えるとロラを横目に寝室に続く階段を上り始めた。

 途中、頬に触れてみた。傷はすっかりなくなっていて、そこにはただただロラが触れた温かさだけが在る。まるで、負傷などなかったかのように。

 その業に感嘆しながら、二階の部屋へと上がった。


 ◇


 誰かいる。

 なんとなく、そんな気がして目覚めた。まだ眠りに入って何時間も経っていないだろう。物音がしたわけではない、ただ気配がある。それも私に向けた、攻撃的な気配だ。


「あなた、起きているわね?」


 その声に敵意は感じられなかった。しかし、間違えなく敵意を向けていた主は彼女であり、その意図を推し量ることが出来ない。敵意を向けた相手が起きていると分かったのなら、すぐにその場を立ち去ればいい。それに声を掛けてきたということは、自らの正体を明かしているも同意だ。

 考えられる理由は二つ。素人か、或いは敵意を失ったかである。


「なにか御用でしょうか、エステル様」


 眼を開く。その低い特徴的な彼女の声を、忘れるはずがなかった。黒髪と、ひらひらとした特有の装い。ただ今は、星のような煌めきは見えない。


「夜の警護で怪我をしたと聞いたものだから、その」


 心配で、という表情にはとても見えない。ただ先ほど感じた敵意は既に消え去ってしまったのも事実で、彼女が私に害ある者であるとは断定出来なかった。


「痛み入ります。ですが私はこのとおり、何ともありませんので」

「そう、それは良かったわ」


 淡々としていて、水のような言葉だった。ロラの家に何故彼女がいるのか、その意図も含めてまったく分からない。もしかしたら田舎ではさも当然のように他人の家に入るのだろうか。もし、もう一度眠ったら、再び敵意を向けてくるのだろうか。流石に、そんな馬鹿なことはしないか。

 そもそも覚えがないのだ。彼女から敵意を向けられる、その理由に。戦場で会ったというわけでも、街中で歌っているのを見た、というわけでもない。完全に、この村で出会ったのが初対面なのだ。


「あの、」

「なにかしら」

「以前、どこかでお会いになりましたか?」

「……いいえ」


 私が覚えていないだけだと思ったが、そういうわけでもないらしい。ただ、先ほど感じた敵意は、分からないで済ませていいものなのだろうか。首元に刃物を突き付けられたような、あの感覚を。


「そう、平気みたいでなによりだわ」


 そう言って、踵を返す。

 このまま彼女を帰していいのか。分からないまま悩んでいると、階段を降りる音と扉を閉める音が聞こえた。見るからに怪しい存在なのに、判断に迷った理由についてだが、私にもよく分からない。普段なら逃すはずもないのに。

 答えは出ないため、頭の隅に寄せることにする。

 するともう一度、扉が開く音がした。


「騎士様、ちゃんと寝てるかな」


 どうやら声の主はロラのようで、彼女がどこかへ出かけていたことが窺える。残念ながら、今は眠っていない。歌うたいとの事のお陰で、すっかり覚醒してしまった。

 ただ、何故ロラは歌うたいに対して気に留めなかったのだろう。それだけが、私の中で少しだけ引っ掛かった。

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