episode15 ※défense
握り拳よりも小さい石ころだったが、今はこれで充分だ。それを察してか、巨狼はより体をこわばらせた。石の投擲が充分脅威であることを、狼という生き物は知っているのだ。
礫を投擲する機会は、一度しかない。もう一度石ころを拾おうものなら、そのときは明確な隙として襲い掛かって来るだろう。
そうしてしばらくの間、巨狼との眼が結びついたまま時間が流れた。正確には一分もなかったと思うが、その時間はもう少し長く感じられた。
距離にして両腕を広げた大人4人ほど。群れが来るまで、あまり時間はないはずだ。奇襲に転じられなかった時点で、優位性はないと言っていいだろう。思って、巨狼に向かって石礫を投げつける。
野生の獣の急所である、脚部への投擲。当然それに合わせて巨狼も回避行動を取り、一直線に投げた石は目じりへと当たって落ちた。野生という環境において最も嫌がるであろう、足の負傷。それを狙っての投石だったが、警戒している相手に攻撃が当たった、今はそれだけでいい。傷ついた巨狼は鳴き声をあげて飛び上がった。はっきりとした、巨狼の隙。石がもう少し大きければもっと大きな隙となっただろうが、そんなことは言ってはいられない。
怯んでいる巨狼目掛けて、護身用に持っていた短刀を放つ。左の眼球。先ほど石が当たった目尻の少し上、動かない相手にその投擲は容易だった。
眼球に短刀が突き刺さったことにより、空気を引き裂けるような悲鳴を上げる。同時に水が飛び散るように血が噴き出して、左目周辺は赤黒く染まった。
大剣の柄を握る。
手負いの獣相手に油断をしてはならない。目の前の個体の殺しどきは今なのだと、分かってはいても追い打ちに転じられないのはそういった謂れがあるからだった。生存に全身全霊の力を振り絞るのだ、容易に斃せるはずがない。
だがいまこのとき、この場面で斃さなければ、仲間の狼によって私は不利になる。目の前に迫る危機から、目を逸らし睨み合うことは出来ない。
刃先を後方にして、グリップを肩に乗せるような形で剣を構える。後は駆け、その頭に剣を振り下ろすだけ。
そう思った、そのときに。
傷ついた個体の後ろから新たに4匹の巨狼が、暗がりから影のように現れた。臓腑が焼けるような焦燥。残りの1匹ならどうにかなると思っていたが、5匹ともなると自分の運のなさを嗤ってしまう。当然、もう何匹か増える可能性も含めて。
負傷した仲間を視認し、巨狼達は私への怨嗟の視線を向ける。
ここで斃れることは許されない。私が死んでしまえば、村の中へ侵入を許してしまう。ダメージはどうだっていい。ただ、任務を全う出来なくなるのは、私としても不都合だ。
後援2匹が疾走を始める。
狼達は二手に別れて、挟み込むように左右から私へ向かって来ていた。後ろの2匹も、ゆるりとこちらへ近づいている。狼の狩りは持久戦だ。獲物に追従し、疲れたところを捕らえる。今の私は、狼達の獲物なのだ。しつこく付きまとうことで私を疲弊させ、後ろの狼達がその隙を狙っているのだろう。
つまり、多少この場から離れても私を追ってくるということだ。内一匹へ隠し持った短刀を投げつけると、そのまま地面を蹴る。短刀は巨狼の眉間へと突き刺さり、そのまま絶命した。
駆けたのは、鞘の元へ移動するためだった。昼間地面に突き刺し、少し離れた位置でそのままになった備品。
私が走り出した途端、後方の2匹も走り出した。何かする、それを察知したのだ。普段隠し持っている短刀も、最早一本となってしまったため、迫り来る獣を全て屠るのは難しい。使える物は使っていかなければ、この窮地は切り抜けることは出来ないだろう。
鞘の元へ辿り着けたときには、既に前衛の1匹が迫ってきていた。大剣を地面に突き刺し、鞘へと武具を持ち変える。最早巨狼は、私の喉元を食い破ろうと飛び上がった後だった。上空から迫りくる獣に、そのまま鞘を投げつける。
神経が集中した鼻先、狼への攻撃箇所としてはやはりこの部位が一番だろう。強い衝撃があれば当然怯む。中空で鞘と衝突した巨狼は、そのまま地へと墜落した。苦しそうに呻き悶え、地面に転がるその身躰。そこへ、脳天目掛けて大剣を振り下ろす。
だが後衛の一匹が、既に私へと到達していた。
顔面へ向けられた爪での一撃はしかし、背を逸らすことでなんとか直撃だけは避ける。狼爪は左頬の肉を抉り、血しぶきを飛び散らせた。焼け石を押し付けられたような痛み。歯を食いしばって、なんとかそれに耐える。無事に朝を迎えたなら、またロラに怒られるのだろうか。
しかし、向こうは私の痛覚が収まることなど待ってはくれない。すぐさま地面に着地すると、間髪入れずに私の肩へ体当たりを喰らわす。鉄槌のような衝撃に襲われたかと思えば、次の瞬間には視線は空を向いていて、その次に地面に叩きつけられた。
後衛のもう1匹、そして眼を負傷していた個体も復帰してこちらへ向かってくる、そんな音がする。何とか立ち上がらなければ。しかし目の前の狼がそんなことを許すはずもなく、私の体を跨いで蔽いかかる。
蹴り飛ばそうと腹部に一撃を入れるが、その巨体は動かない。仰向けになっていて勢いが付けられないのも要因だろう。だらりと涎が滴って、私の真横へ落ちる。
そして命を刈り取らんとする牙が、私の喉元へ喰らい付く。
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