episode12 「あなたが、今日来たっていう騎士かしら」

 静かで平穏な時間だ。何も起こらない、誰もやってこない、何も私を脅かさない。現状は。

 まだ昼過ぎであるにも関わらず、周辺は食後のように落ち着いている。野草がこすれ合う音と、たまにやって来る小鳥の囀り。村の中では時折話し声が聞こえてくるが、自分の任には関係のないものだ。それこそ、木か石であるかのように。頭上では先ほどまで晴れていた空に、いつの間にか雲が湧き出ていた。それらは音を立てない代わりに森のほうから丘のほうへと絶え間なく走り続けている。

 雲は絶え間なく現れては、次々に吹き流れていった。雲の流れが速いときは、天候が崩れる兆しだという。それでどうして天気が悪くなるのかなど知らないし、ましてや何故雲の流れが速くなるのかなど教わったことはない。ただ、上官の「雲の流れが速いから急げ」という言葉の後には必ず雨が降っていた。そのため、この辺りの天候は恐らく近い未来崩れるのだろう。

 雨風程度ならば、特に支障はない。問題は、その強さだ。豪雨、強風、果ては台風。悪天候にまで至るなら、任の遂行だけではなく村事態に影響も出るだろう。それに乗じて盗賊等に侵略行為を受ける可能性もある。まあ、台風が来ているときに略奪行為をする賊など、それこそ雨風を防ぐことが出来る魔法使いか、あるいは略奪そのものを目的にしている者だと思うが。

 そうして雲が少し陰りを見せ始めた後、私は一人の男性に声を掛けられた。曰く、自分は双剣の彼女の夫だと。入り口には彼女が立っているはずなのに、お前は何者なのだと。彼はちょうど今日、出稼ぎから村に戻ってきたらしい。村人である彼女の名前を知っているということは、少なくともカルムの者だと判断していいだろう。つまり私は、双剣の彼女にいいように利用されたのだと思う。帰ってくる夫を、家で出迎えるために。ただそれで諍いが回避されるのなら、利用されたことなど私には些事である。

 夜が近くなってくると、自然に囲まれた風景が徐々に翳ってゆく。それと共に、外から帰る村人も頻繁になってくる。誰かが作業を終わらせると一斉に伝播していくのか、それとも明確にこれまでにしようという合図をするのか。それは分からないが、ともかく一斉にどこかから村人が舞い戻ってきた。

 その中には昼間見かけた顔もあれば初見の顔もある。射手の彼は私を見つけるとふんっと、嫌そうな音を鼻から出して早足で去って行った。気にくわないのだろう。その姿を見ていたのか、巨躯の彼が呆れ顔で話しかけてきた。


「おう」

「お疲れ様でございます」


 軽く頭を下げる。射手の彼とは違い、その目に敵意はない。村長の言う通り、彼は心持ちの切り替えが上手いらしい。その手には斧が握られており、何らかの作業をしてきたことが見受けられた。


「女が一人いたと思うんだが、あいつはどうした?」


 双剣の彼女のことだろう。確かに、彼らからするとここにいるはずの人間は彼女である。しかし、彼女は番人という役割に対し明らかに気を抜いていた。加えて私には、早く任に就かねばという焦燥がある。従って、彼女の都合とはいえ今この場に私は都合のいい存在のはずだ。

 それらを伝えると、巨躯の彼は呆れたらしい笑いをもたらした。それが彼女に対してなのか、それとも別の要素に対してなのかは分からなかった。


「しかし来た初日に番人をやるたぁ殊勝なもんだ」


 軽口を叩くものの、しかしその表情に弛みはない。拒絶はしていないが警戒心があるのは変わらないらしい。


「斧を持っているようですが、そちらは?」

「これか。ヤグラを建てるのに木材が要るってんでな、木を切ってた」


 彼がその腕力で木を切り倒し、他の者が運んでそれを材料として組み立てる。木がそんな経緯を辿るのは彼も分かっているはずだ。自分を倒した、私のために建てられるヤグラ。彼があまりいい思いで作業をしたわけではないのは私でも分かるが、黙々と切り倒す最中で感情を整理したのだろう。少なくとも、先ほどの決闘の際に発していた敵意は感じ取れない。


「しかし朝までか、これから一雨来そうだしご苦労なこった」

「ご心配頂き感謝致します」

「そんなんじゃねぇよ」


 じゃあな、そう言って去っていく。名前を教えてくれなかったことを考えるに、まだ信用には至っていないらしい。信用されるということは、私にとっては重要なことではない。つまるところ、この土地を護ることが出来ればいいのだ。これは私一人だけが就いた任で、そこに信頼関係を築く必要があるとは思わない。戦う必要がある場面では、騎士である私は恐らく一人だろうから。

 任に妨げとなる行為を受けなければ、それでいい。

 そうして夜になった。ほぼ全ての家の軒先にランタンが灯され、広場にも巨大な燭台に火が燃ゆる。幾つもの蜂蜜色の光は、黄昏どきのように村中を薄い光の膜で覆う。いつまで点いているのかは分からないが、しばらくは持参の灯りを使う必要はないようだ。

 立ち続けて何時間経過しただろうか。国の守護と違い、随分とゆったりと時間の流れる任務だった。むしろ、一日にこんなにも話しかけられる経験がないため、そちらのほうに気疲れしてしまいそうではある。

 今一度村の灯りを見つめた。幾つものランタンが、まるで催し事でも行っているかのような独特の雰囲気を醸し出している。陽だまりにでもいるような、不思議な安心感。一陣の風が吹いて、外套のフードを掠っていく。

 だが草を踏む音がして、すぐに剣の柄を握りしめた。


「あなたが、今日来たっていう騎士かしら」


 相手の声と同時、即座に振り返る。私が武器を持ったというのに、その声に動揺は一切感じられない。全身に黒という色を纏う人だった。ランタンの灯りが、彼女の黒髪をより鮮やかに紫光らせる。


「……あなたは」


 その人物には見覚えがあった。彼女が私の姿を認知しているのかは不明だが、その姿は確かにヤグラの上で昼刻を謡った歌姫その人だ。


「エステル。街で歌うたいをしながら、ここで暮らしてるわ」


 不思議な装いだった。基本的な造形は黒いワンピースのようだが、ボタンが首元から腹部に掛けて着いているので前からはだけるような構造のようだ。そこへ青い花の装飾が散りばめられており、とても華美な洋服という印象を受ける。


「珍しいかしら、この服が」

「はい」


 じっと見ていたのを察せられたのか、見せびらかすようにひらりと一回転した。


「とても素敵なお召し物です」

「ありがとう、故郷のとても大事な服よ」


 髪色から異邦人だろうとは思っていたが、彼女にとってその事実はとりわけ隠すようなことでもないらしい。故郷によほど誇りも持っているのか、或いはカルム村の人々がそんなことは関係ないとばかりにそれを受け入れてくれているのか。

 いいや、そんなはずはない。イメージで頭を振る。彼らだって、私の白髪を見たら誹るに決まっているのだ。そう、今まで会ってきた者達のように。


「私はエメ・アヴィアージュと申します」


 胸に片手を添えて、祈るような丁寧さでお辞儀した。元上官にもそんな所作はした記憶はない。どうしてか、そうしなくてはという雰囲気が彼女にはあった。

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