episode10 「誰かいるはずだけど」
とは言えだ。
着任当日とはいえ休むわけにはいかない。職務怠慢、私の頭の中の上官がそう叱責してくるのだ。脳内から中々出て行ってくれないこの声は、私が今までいち兵士として従って来た数々の上官の、その集合体のようなもの。なにせ幼少期は上官の暴力と暴言の記憶しかない。頭にこびりついた声が、すぐにでも任に就けと怒鳴る。
私はもう兵士ではないというのに。
移動距離を踏まえ休息する、そんな選択肢は初めから除外している。任地に迫る脅威は、疲労など考慮してくれない。この地において脅威が存在するかは不明だが、必要があるから私が配置されたのだろう。たとえ左遷であろうとも。この地を守護しなければならないという事実は変わらない。
ヤグラが出来次第という話だが、私がこの村ですべきことはただ一つ。守護だけだ。俯瞰出来なくとも、守護という職責は全う出来る。カルムへやってきた際、入り口を護っている者は見受けられなかった。自警団に番人の役割はないのか、それとも偶然いなかったのかは分からないが、ともかく。ヤグラが出来る間、私がその役目を担うことにする。もしカルムに本来の番人がいるなら、いずれ本人から言われるだろう。
思って、鎧を装備する。やはりひらひらとした洒落た洋服は動きづらく、釈然としない、何とも言えない感じだ。その点で言えば形容し難いずれが戻った感覚である。ただ、賜った鎧は性能面よりも造形美を重視したもので、鉄に厚みはなく防御面に不安要素がちらつく。全体的に青に塗装され、引きずりそうなほどの白いサーコートは、果たして本当に必要なのだろうか。しかし、これで戦えと言っているのだ。不良品というほどでもない。いずれ慣れるだろう。ぐっとガントレットを握り、部屋を見渡す。何もない、私が使うには少し広い部屋。持ってきたアタッシュケースと、鎧を収納していた入れ物だけが鎮座している。突如空き部屋に現れた、何日か限定の厄介者。
ロラの家は一人で住むには些か大きい、二階建ての家だった。二階といってもあるのは一部屋だけで、常日頃から使っていなかったという。ではなぜあるのかという話だが、それは私には関係のない話だ。私に関係あるのは、この二階の部屋を貸し与えられたということだけ。
鎧を装着し終えると、一階へ降りる。一段、また一段と足をのせるたび、木の階段はつぶやくようにみしみしと軋んだ。鎧を装備して降りているため、余計に負荷が掛かってしまっているためだろう。
一階ではロラが薬師の作業をしていた。火に掛けられ沸騰した緑色の液体、それを内包した鍋に手を翳している。手は翡翠色に赫奕し、今まさに魔力を注いでいる状態だ。薬師とは彼女が治癒士という立場を隠すための名乗りだろう。正確に分類するなら、ロラは魔法使いという身分に当たり、私(国)にもそう称させばならない。だが、私の任はあくまでこの村を守護することで、管理ではない。ある程度の身分を賜ってカルムへやってきたが、どうでもよい。ロラが薬師だと名乗ったのだ。なら、この部屋は薬師ロラの作業場なのだと覚えておくことにしよう。
「あれ? 騎士様、どこかに用?」
ロラは降りてきた私にすぐさま気が付くと、翳した手はそのままにそう言った。
「はい。入り口に誰もいないようでしたので、警備を」
「えっ、入り口? 誰かいるはずだけど……」
それに、ロラは言っていることがよく分からないという風に首を傾げた。頭の上に疑問符が飛び交う、そんな風。
「ロラに話しかけられるまで、人は見受けられませんでしたので」
「あぁ、確かにそうだったかも」
言って、しかし腑に落ちないという表情でこめかみ辺りを揉はじめる。考えているときの癖なのだろう。ロラはじっと考え込んで、しばらく続きを寄こさなかった。刻まれた眉間の皺が、ロラが抱く疑問の深さを物語っている。
「ロラ。そこまで悩まなくとも、いるならいる、いないならいないで……」
私がそこに立てばいい。
そう言う前に、ロラは一つの思い当たりが走ったように、手のひらを打った。
「あぁ、そっか。さてはセシルだなぁ」
思い至り、ロラは一人で納得したようだった。そしてどうやらきちんとした理由があるらしい。しかしどうしてか、ロラはそうかそうかと頷くだけで教えてはくれなかった。ロラの作業が次の段階へと入っていたというのもあるが、今までの彼女の様子から言ってくれるだろうと思ったため、少し意外だ。理由は分からないため、放棄する。
どちらにせよ、セシルという人物が関係しているのは間違いないだろう。そして答えないということは、それ以上は受け付けないということだ。それ自体は兵士時代、上官がよく私へ行っていた事である。違うのは最低限のみ伝え、それ以上は早く行けと催促する様だ。その程度も分からないのか、と。ロラの沈黙がそれと同意であるとは思わないが。
とにかく、私は村の入り口へ行く必要がある。元々その予定だったため、問題はない。違うのは誰かが番人をしており、その役目を担う必要はなさそうだということだ。
作業をしているロラの横を抜けて家を出る。先ほどの広場での喧噪とは違い、村人はまばらだった。農作業へ行っているのだろうか、あれほどいた男性は見当たらず、それこそこの村には女性しかいないのだろうかと錯覚させるほどに。女性達は軒先で農作物を干していたり、花に水をやったりと各々別の作業をしていた。
そんな静まり帰った中でも、村を歩けば声を掛けられた。
「あら騎士様、もう仕事かい」
「はい」
「そうかい、ご苦労さん」
大体はそんな内容だった。違うのは比較的好意的に話しかけてくるところだ。どうやら女性陣には騎士という存在は比較的に受け入れられているようで、不満があるのは自警団の者達らしい。まあ今までこなしていた役割を急に退かされるのだから、反対の意見が生まれるのは分からなくもない。
広場にいた村長と奥様に大人しくしていろと言われるが、その意見は頭の片隅へ置いておく。何もしなくていいという命令を受けたことがないからである。
家々の間を抜けるたびに話しかけられながら、村の入口へと進んでいく。ヤグラで見張る者には視線の矢を、たまたま村内を歩いていた自警団には拒絶感とも疑いとも言えない目線を投げつけられる。直接言葉にはしないが、燻る猜疑心を滾らせているようだった。それに対しまともな反応はせず進む。一々返答していては、今度こそ収拾がつかなくなるに違いない。
そうしてロラに声を掛けられた場所へと戻ってきた。簡易的にアーチ状のゲートはあるが、村の周囲を壁で囲っているわけではないため、あくまで村の範囲を明確にするために建っているのだろう。初見と同じように、特に番人がいるわけではない。
改めて周囲を見渡す。雑木原がつづき、果てまで真っ白く光り波を立てている。そしてひしめき叢る樹木続きの緑の海。考えるに、カルムは森と草原を開拓して作られた村だろう。でなければ、緑続きのこの場所に都合よくこんな拓けた地形があるはずもない。それがいつ頃の話なのか、それは私の知る所ではないしその必要もない。
それよりも問題は、やはりこの場に誰もいないことだ。ロラの口振りを見るに、誰かがここを護っているのだろうと思っていた。先刻来た際は、私が見つけられなかったからなのだと。しかし相変わらず、村の入り口に誰かが立っている様子はない。職務怠慢か、それともよほど隠密行動のスキルが高いのか。事実なのは、ここには誰もいないということだ。
風が吹き、一面仄明るく見える芝草の一本一本が、青白く放電するように逆立つ。一面の平野を風が走り抜けると、突然ひと一人が隠れられそうな岩が現れた。先ほども在りはしたのだろうが、この場をしっかりと見据えて初めて見えた岩。
その岩はどう見ても、この草原に存在するには不自然な異物だった。どうしてさきほどは気が付かなかったのか。あまりにも巧妙に隠れていたのだろうか。そう思うほど、その岩は急に出現したのだった。
「誰かそこにいるのですか」
呼びかける。
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