episode8 「痛くねぇのか、それ」
「私の顔に何か」
「痛くねぇのか、それ」
負傷した覚えはないし、よく分からなかった。
「痛い、とは?」
「ここ、血ィ出てるぞ」
そう言って村長は自分の頬を指差した。言われたとおりに頬を拭うと、手の甲には血が付いていた。それは花びらの一片程度の量に過ぎなかったが、私の頭の中に失敗という稲妻が走るには充分の量。
痛みなどなかったため、気がつかなかった。一体いつ、負った傷だろう。刃物のようだが、巨躯の彼の拳でも掠れば頬は切れる。彼らの攻撃は全て防いだつもりでいたが、実際はどちらかの一撃に私は捉えられていた。もし彼らがきちんとした得物で私を攻撃していたのなら、致命傷に至っていてもおかしくはない負傷箇所である。
「……失礼致しました」
もう一度、頬を拭う。
「そんなんじゃ止まらねぇだろ。おいロラはどこだ」
村長がその姿を探すように周囲を見渡すと、射手の彼を介抱するためどこかへ行っていたロラがどこからか姿を現した。私を見て一瞬顔を顰めるが、恐らくその理由は先ほど射手の彼を倒した際に言ったことと同じだろう。一連の巨躯の彼との戦闘。
やりすぎ。意識を失うまでやるなんて。
今回もそうしなければ終わらなかったからそうした。もう一度同じことを言われても、分かり合うことはないだろう。そのため、考えるのはこれきりにしよう。
「ああ、頬切っちゃったんだね」
私の顔を見るなり、柔和な表情でそう言う。
「そのようです。しかし掠り傷ですので」
「だめだめ、感染症とか怖いんだから」
言って、左腕を前に突き出して掌を翳した。
途端、ロラの左手が翡翠色に輝き出して私の出血による熱を瞬く間に消失させる。出血が止まったのだろう。それは紛れもなく、衰退しつつある「魔法」と称される奇跡そのものだった。
「これは、魔法……?」
思わず、そう漏らしてしまった。
魔法はこの世では衰退しつつあるという。私は魔法使いではなく、またその理由に興味もないため知らないが。とはいえ衰退ということは、残ってはいるという意味でもある。
一度だけ、戦場で見たことがあった。隣国と戦争をしたときだ。風を使役する、小柄な女性。彼女は前線でその力を揮い最後まで抗戦したが、敵国が投降したあとあの魔法使いがどうなったかは知る由もない。本当に、その力を揮っているところを見ただけなのだ。私自身は横を通り過ぎただけ。あのときの彼女の風という分かりやすい奇跡に比べ、ロラの魔法は治癒という規模には欠けるものだろう。しかし当然、傷を瞬時に癒すというその現象も不可思議の域である。こうして間近で目撃すると、思い知る。
魔法とは、人智を超越した奇跡なのだと。
「あはは。もし上に報告とかあるなら、しないでくれると嬉しいかな」
苦笑いしながら、治癒行為を終えたロラは軽く肩をすくめてみせた。
「何故でしょうか」
「あたしはこの村のために魔法を使いたいんだ。魔法が使えるって知られちゃうと、街に連れて行かれちゃうからさ」
この村のために。自警団とはまた違った形での、この土地への愛着だろうか。
フリストレールの軍部には魔法使いがおらず、特に治癒魔法の担い手であるロラは連れて行かれれば国に酷使されるだろう。傷ついた兵士を回復し、再び戦線へ投入することが出来る。軍にとっては願ってもない話だ。
だが、ロラはこの村にいたいと望んでいる。
「わかりました」
私がまだ兵士という身分であったら、報告していただろう。駐屯地の状況は常に知らせるべきだ。しかし、今は騎士という身分で、守るべき村の住民が言わないでほしいと言っているのだ。騎士がいる地域は監査が来るという話だが、頻繁というほどではない。それに、ロラに悪意があるわけでもない。なら、それ以上は私が考える事ではない。
「えへへ、ありがと騎士様」
花が咲いたように、ほくそ笑んで見せる。女性的で、それでいて子供のような無邪気さという相反する要素が情感を引きまとめて、狭く何処か引きつけるようなものがあった。その引きつけるように感じるものが何なのか。外見的な愛嬌と、内面的な愛嬌が彼女の魅力になっているのは明らかだった。
そのとき、村長がわざとらしく大きく手を打った。
「じゃあみんな聞いてくれ」
どうやらそれは場の空気を打ち払うのと同時に、注目を自分に集めるために行ったようだ。
「この方が今日、うちの村に来てくれた騎士殿だ。よろしく頼む」
集まった村人から、まばらに拍手が起こる。私が王都の人間であること、並びに自警団の存在から、皆が皆快く受け入れているわけではないのだろう。ならこの村にとって有益な存在となるため、務めるだけだ。ただ信用されようがされまいが、任務全う出来ればそれでいい。
私の肩をこつこつと村長が軽く叩く。挨拶を催促しているようだった。
「本日より着任致します、騎士のエメ・アヴィアージュです」
畏まって挨拶などしたことなどないため、簡易的に済ませる。そしてその言葉に引き金に、また弾ぜるようにしてざわめきが起こった。それは興奮による叫びや騎士様という呼びかけにより構成されており、その地に住む精霊めいて村中に木霊する。
「なんだお前ら、騒がしいな。そんなに騒ぐことでもねぇだろ」
苦笑とも歓声に対する同意とも取れる複雑な笑いかたをして、腕を組む。ただよく聞くと、そのざわめきの中に混じり「自警団はどうするのか」という叫びも含まれていた。そういえば、取り囲む村人達の中には何人か自警団が混じっていたのを思い出す。
「それは昨日説明したじゃねぇか、騎士殿には外敵を追っ払ってもらうってよ。それに騎士殿の腕前は見てたんだろ、まだ納得してねぇのか」
ざわめきがぴしゃりと止むのを感じながら、村長の言葉をほどいていく。騎士殿には外敵を追い払う。恐らくそれが、村長から言い渡される予定であった責務なのだろう。予期せず知るところとなってしまったが、その役目に思うことはない。上官から直前に任務を言い渡されることなどよくあることだ。外敵が何なのかは、相対すれば分かることだろう。
そう自分の中に完結させると、石投げのような喧嘩腰の討論はまだ続いていた。納得していない者がそれなりにいることから、きっと望まれてはいないのだろう。左遷されること自体突然決まったのだ、無理もない。だが先ほど力試しをしたというのに、それでも納得出来ないということは、あの決闘は意味がなかったということなのだろうか。
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