episode6 「だがな、オレらにだって意地がある」
「じゃあ遠慮なくいくぞ」
どうぞ、そう返事する必要はないだろう。なぜなら私が返答するその前に、拳による攻撃が振るわれていたのだから。振るうと同時に巻き起こった風の音が、受け止めるのではなく避けたほうが得策だと知覚させる。
振るわれた拳を屈んで避けると、辺りに烈風が吹きすさんだ。斧でも振るわれたような一撃は、当たれば骨くらいは砕かれるだろう。体幹から、射手の彼のような体崩しが通る相手でもない。
すぐさま放たれる第二打目。私の顔面を狙って的確に穿たれた膝蹴りを、真上へ跳びあがることで躱す。着地点は突き出されたままの彼の肩。一般的な体格の人間では着地するには狭すぎるため不向きな場所だが、恰幅の良い彼の肩であれば着地点として機能する。そのまま顔面へ蹴りを叩き込むと、ゆらゆらと水の上を漂うようによろめいた。鼻から血が口から顎を伝って石畳の地面を汚す。
「ってえな畜生」
なんとか足取りを取り戻した彼は憎々しげにそう呟いた。滴る鼻血を手で拭うと、いま一度拳を握り構えの姿勢を取る。どうやら彼の灯火はまだ消えていないらしい。
「一応降参を推奨しますが」
「するわけねぇだろ」
そうだろうとは予想していた。両足を据えて立ち、負傷らしい負傷は鼻からの出血のみ。私も同じ立場であれば、問題なく戦闘を続行するだろう。
踏み込むと同時に飛んでくる大振りの左フック。相変わらずに顔面を狙ってくるところを見るに、精度は衰えていない。おぼつかない足取りから復帰した一撃としては、誇っていい練度と精神力だ。惜しい点を挙げるとすれば、大振りになったことで点ではなく線の攻撃になったところか。前への攻撃よりも横への攻撃は軌道が読みやすく、回避しやすい。
そうやって一打目の拳を避けると、すぐさま彼は右腕での攻撃動作へ移行する。下から突き上げる、私の顔を狙ったアッパーカットはしかし、彼のサイドへ移動することで躱す。そして拳を下からえぐって鳩尾に入れた。硬い壁を殴りつけたような感触。支えをなくした巨躯の彼の体は、前のめりになり崩れ落ちそうになるが、なんとか片足を付き出すことで踏ん張った。彼の腹筋が強固なのも要因の内の一つだろうが、恐らく倒れなかったのは彼の意地によるものだろう。
別に私は彼を制圧したいわけではないため、追い打ちはしない。続けるなら立つといい。それでより証明になるのなら。
呼吸が戻っていく様子をただ見つめる。その様子から、呼吸さえ整えば今にも私を攻撃するという意思が感じ取れた。
「降参は」
「……しねぇ」
ようやく整ってきた呼吸で、絶え絶えに答える。きっと射手の彼と同様、彼も意識まで奪わなければ最後まで立ち向かってくるだろう。まだ二人だけで評価するには早いのかもしれないが、一人一人に存在する誇りの高さは、近衛兵と比べても敬服に値する。
膝に片手をついてゆっくりと立ち上がる。
「強ぇな、それは認める」
それは称賛と受け取るべきなのか。私自身、別に戦闘能力に自信があるわけではない。出来ることをやるだけ。一度だって凄いと褒められた記憶はないのだ、その評価は果たして素直なものか。それとも劣勢な状況を覆すための時間稼ぎなのだろうか。
「だがな、オレらにだって意地がある。いきなり来た奴にはいそうですかって譲るプライドはねぇ」
そう言って拳を構えた。膝を軽くまげ、私が急に飛んできても反応できる体制だ。太ももの筋肉に血液が集まり、今にも一撃を放てるという風である。
分からない。生まれた地に命を賭けるという心持ち。その土地を護るという気持ちを力に変える、私には持ちえないもの。誰が守ろうと、守れればいいのではないのか。特定の地を守るという役目なら私にも経験がある。防衛戦。国防。その地に愛着なんて私にはない。やれと言われたから戦っていた。命を賭けていたのはあくまで手にした武器に対してだけ。守り切ったところで、とりわけ思うこともない。私もこのさきカルムを守っていけば、彼らのようにそんな感情が芽生えるのだろうか。否、故郷すら分からない私がそんな暖かいものを抱けるわけない。よく考えなくとも分かりきった話だった。いまはただ、目の前の巨躯を倒すことに意識を向けるべきだ。
じっと、目の前の巨躯が動くのを待つ。その巨体に自ら飛び込むのはいまはあまり得策ではない。彼が放つ一撃には、この決闘を終わらせる程度の破壊力がある。決して余裕など持てない。冷静に拳を見極めて、しかるべき部位にカウンターを打ち込む。いかに彼が多くの筋肉を纏っていようとも急所への一撃は有効だ。鳩尾への攻撃が、こうして有効だったように。
そうして動かないまま、虚空で空中戦だけが激化する。あちらも下手に動かないほうがいいと感じたのだろう。先手必勝とばかりに攻撃してきた開幕とは打って変わって、山はじっと私を見据えている。鳥のように、その目はけわしい。
私も視線をそらすことなく、巨躯の彼の目をまっすぐに見つめた。何か深く思ってのことではない。ただ先に視線を外したほうが不利になる、それだけを考えて見ていた。
そうやって目を交わし合い、時間だけが無音の微風のように吹き過ぎていく。どれほど経ったか。いや、実際の経過はそうでもないのかもしれないが、ともかく巨躯の彼は動き出した。山のようにそそり立つ圧力。それが、落石のような勢いで突進してくる。
空中で風が爆ぜた。彼が思い切り右腕を振るった音だった。私は重心を左に傾けることでそれを躱したが、烈風のような拳圧が私の頬を叩く。ひとかたまりの風が吹き上げて、フードの留め具が外れそうになる。これを晒すわけにはいかない。留め具を押さえてそれを防ぐが、彼の左腕は既に振り上げられていて二発目が用意されていた。烈風を受けた右頬が、日照りにひりつくように響く。この一撃を受けてはいけないと、頬が警告しているのかもしれない。
斧を斜め上から叩き込むような、そんな拳。フードを押さえているため両腕でブロックすることも出来ず、後方へ跳んだ。後退はなるべくしたくはなかったのだが、恐らくバックステップでしかその一撃は躱せなかっただろう。
当然のように距離を詰めてくる。地面に足を着いて踏ん張ることが出来ないため、中空にいる私は恰好の的だ。その隙を逃さずに巨躯の彼はこちらへ接近し、そのまま拳を放った。体の外側から内側へ向かって曲線的な軌道を描く、サイドからの一撃。空中という状況に対してフックという横からの攻撃は、私を狩るために最適な一撃だと思う。
などと、冷静に分析している場合ではない。中空では体を捻ったところで大して避けにはならない。流石に戦斧のようなその拳を喰らうわけにはいかないため、防御態勢を取る。狙いは明らかに顔面だ。顔の前で腕を交差させることでその一撃に備える。
しかし、盾を模して腕を突き出したその瞬間。その行為は間違えだったと悟る。今の私は鎧を身に着けていないのをすっかり失念していたのだ。無理矢理着させられた、洒落た服。殴ってくる上司はもういないとはいえ、繊細に作られた洋服を損壊させるのには忍びない。
防御力なんて当然なく、その膂力は遮るものもなく私を貫く。津波に飲み込まれるかのようだった。盾を模した腕には鋭い衝撃が走り、後方へ吹き飛ばされる。空を走る稲妻が、自分の腕に痛みとなって現れたようだった。さほど痛くはない。ただ、骨の髄まで染み入る熱と衝撃が雷を連想させた。
幸い服に損壊はない。拳圧で吹き飛ばされた先で着地すると、既に巨躯の彼は距離を詰めるために走り出していた。一撃を加え吹き飛んだ私へ追い打ちを掛けるためだろう。
「思いっきり殴ったはずなんだがな、ガードの上からとはいえ効いてねぇのか」
立ち上がる私を見て、いまわしい言葉を投げつける。全力に相応しい衝撃だったとは思う。実際、防御したにも関わらず私の身は後方へ吹き飛んでいる。拳で怯まなかったのは、私が鈍いからだ。それで彼の腕力の価値が下がるわけではない。距離を詰める速度も彼の巨躯に反して素早く、戦士としての練度も相当だろう。
「いいえ、それに相応しい威力だったかと」
「はっ、けろっとした顔で言う言葉じゃねぇだろ」
泥を投げつけるような誹り。思ったことをそのまま言っただけなのだが、どうやら彼には不評らしい。
「まあいい、オレは全力で殴るだけだ。顔面を思いっきり殴れば、流石にぶっ倒れるだろ?」
確かに。偽りなく、同意するように頷く。あの威力をまともに急所に受けたら、いくら私が鈍いとは言え、感覚より先に意識が飛ぶだろう。そうなれば実力を証明出来ず、私は騎士として着任出来ない。それだけはなんとしても避けなければならない。
彼が指の関節をほぐす動作をすると、錆びたようにぎこちなく軋む音がした。ぽきぽきと、肉食獣が威嚇するかのように。臆病な草食動物なら、それで本当に逃げ出してしまうのではないかという威圧感。
唇が硬く結ばれる。軽く膝を曲げて拳を握り、今すぐにでも私を殴りかかってきそうなほどに殺気を放つ。次に放たれる拳は、いま防御した一撃よりも重く、そして強力に違いない。従ってもう一度防御するのは難しいだろう。
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