第3話

 それからは、本当に慌ただしい日々が続いた。



急遽連絡を回し、エミリーやアカデミーの友人たちに別れを告げる。



どこへ行くにも、必ずオランドが同行した。



「アデル!」



「エミリー」



 久しぶりの再会に、アカデミーの広間で固く抱き合う。



「驚いたわ。本当に急なんですもの。ノアさまはご存じなの?」



「連絡は入れたんだけど……」



「ったく。マジでタイミング悪いよな」



 ポールは、くしゃりと前髪をかき上げた。



「俺もシモンに連絡入れたけど、返事は返ってきてない。なにやってんだアイツら」



「仕方ないわよ。だって、大切なお仕事なんだもの」



 そうだ。



どんな事情があろうとも、王族に生まれたものならば、私情より公務を果たすのが義務。



ノアの判断は、決して間違っていない。



そしてそれは、父の判断もオランドの判断も同じこと。



ノアだって、大切な仕事の前には、彼らと同じような判断を下すのだ。



「アデル?」



 エミリーがのぞき込む。



「顔色が悪いわ。落ち着かないのね」



 彼女の手が頬に触れる。



私はその柔らかな温かい手を、そっと握り返した。



どんなことがあろうとも、心の内は決して表に出してはならない。



悟られてもいけないのだ。



それが親しく大切な人であればあるほど、余計な心配はかけたくない。



私はにっこりと優雅に微笑んで見せた。



「ありがとう、エミリー。本当に急な話しで、忙しくて。あなたはどこに居ても、いつまでも、私の大切なお友達よ」



「ねぇ、何か助けになることはない? 私に出来ることなら、なんだって手伝うわ」



 本当に私の望みが叶うなら、今すぐここを抜けだしたい。



王宮を飛び出し、ノアのところに走りたい。



偽物の婚約者なんかでいたくない。



王女という立場だっていらない。



何もかも捨てて、今すぐ……。



 だけどそれは、私がここへ来た数年前にも、同じように願った望み。



そして今度は、それが叶ったのだ。



「いいえ、エミリー。ここであなたと過ごした日々は、本当に楽しかった。私の大切な思い出よ。あなたもポールも、いつまでもお元気で」



 ここへ全てを残し、去ろうとする私に、これ以上迷惑をかけることは出来ない。



どうせなら、思い出は美しいままであってほしい。



そして、かつて私が血を吐くような思いで願った望みが叶うのなら、きっとこの瞬間に生まれた新しい望みも、いつの日にか叶うのだろう。



「アデル……」



「ありがとう。大好きよ」



 だから今は、それを信じるしかない。



私の望みがいつか叶うと約束されるなら、私は今は、その流れに従おう。



だって、そうすることしか、そう思うことしか、私には出来ない。



許されていない。



 アカデミーで急遽開かれたお別れ会は、終わりを告げた。



集まった大勢の人々との別れを惜しむ。



オランドも私の隣で挨拶を交わした。



「アデルさまがお世話になりました。ぜひシェル王国へもお越しください」



 あらゆるところへ手紙を出し、別れの挨拶を済ませ、荷物の準備を進める。



大した贅沢をしていなかった私たちにとって、それは比較的簡単なことだった。



衣装や靴が、次々と木箱の中に梱包されてゆく。



書斎の引き出しを整理しようとして、ふと小さな封筒が目に入った。



「これは……」



 ノアが誕生日にくれた品だ。



中を開けてみる。



何かの植物の種が入っていた。



私には分かる。



ノアからの最後のプレゼントは、これになってしまったのね。



初めてプロポーズを受けた、あの黄色い花の種だ。



王宮に咲かない花は、やはり咲けない花だった。



国へ持ち帰りこの種を蒔いたところで、知らない土地に置かれ人知れず枯れてゆくだけの定めなら、ここに置いていく方が……。



廊下に足音が聞こえ、それを片付ける。



「アデルさま。入りますよ」



 オランドだ。



手紙の束を手にしている。



「アデルさま宛ての手紙が届いております。随分親しい友人が沢山おられたのですね。この方々は、どういったお方ですか?」



「アカデミーや、サロンで知り合った方々です」



「ふむ。ところで、一つお聞きしてもいいでしょうか」



 彼はその手紙の束を、机に置いた。



「アデルさまには、確かこの国に婚約者がおられたはずですが……」



「ノア……。の、ことですか」



「あぁ、ノアさまですか。今はどちらに?」



「遠くの、地方へ視察に出ております」



「なるほど。どうりでご挨拶できないわけだ。実際には不仲な仮面夫婦だと聞いてはおりましたが、今度のことは手紙でお知らせを?」



「連絡は差し上げました」



「返事は?」



 首を横に振る。



ノアが、ノアがもしここに居てくれたら……って、思うことは、もうやめた。



私は、自分の意志で動かなくてはならない。



ノアはもう、自分の意志を示している。



「私たちは、それはもちろん、親しくさせていただいておりましたが、それは表向きのことでしかありませんでしたので」



「う~ん。ですが、さすがにこのままお別れというわけにもいかないでしょう。アデルさまがそれでもよろしいのなら、私は構いませんが」



「公務で地方に行かれています。それできっと、お忙しいのでしょう。私もノアさまも、分かっていたことです」



 ノアとの別れ。



いつか来る日が、いま来ただけだ。



そんなもの、早ければ早いほどよいに決まっている。



今というタイミングが、遅すぎただけなのだ。



あの日壁にかかっていた、アリフの荒野を思い描く。



ノアはもう、話しは聞いているのだろうか。



ノアならこの状況を、どう切り返すだろう。



「きっと、プリプリ怒っているかもね」



 だけど、どれだけ思い悩んでも、きっと私と同じ決断を下すはず。



それだけ長い時間を、私たちは共に過ごし過ぎた。



「お怒りでしょうか?」



「さぁ、どうでしょう」



 オランドに背を向け、窓の外を眺める。



明るい部屋から見る窓には、私を見下ろす彼の姿しか映っていない。



「使節団が到着すれば、数日は滞在し、歓送迎会が催されると聞いております。そこで正式にお話しをされては?」



「婚約は、解消となるのでしょう?」



「そうですね。互いにその場で円満に解消を宣言された方が、今後のためにもよろしいかと」



「元に、戻るだけですものね」



「そうです。本来あるべき、正常な状態に戻すのです」



 だから言ってたんだ。



私はどうして、セリーヌや他の人たちの言いつけをきちんと守っていなかったのだろう。



こうなることが分かっていたから、みんな私のためを思って……。



「またそこから、始めればいいのです。今度こそ、互いが対等な立場にたって、お互いの存在を確かめあうべきだと。きっとそういうことなのよ」



 オランドがこの館に現れてから、友人たちから送られてくる手紙が読めない。



もちろんそれを取り上げられているわけでも、隠されているわけでもない。



私自身が、その封を開けられないまま、机に積み上げている。



ノアの字ではない文字で、ノアの言葉を見たら、彼の動向を知ってしまえば、他の余計なことまで考えてしまいそう。



オランドが置いた新しい手紙の束にも、やはり一番見たい手紙は含まれていない。



手紙はちゃんと書くって、あれほど約束したのにね。

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