第五話 肉人さん

「ああ――三ツ橋さんの紹介っすよ」

 上越新幹線の指定席でカツサンドを頬張りながら、武藤克也は人懐っこい笑顔を見せた。

 僕は、同じ学部の後輩――一度も話したことのない――の陽に焼けた丈夫そうな手首に巻かれた測定装置に目をやり、不憫に思った。彼も三ツ橋にわりのいいアルバイトと言いくるめられたクチなのだろう。

「間宮さんは三ツ橋さんの友達なんすか?」

「友達じゃない。知人だよ」

 被害者でもあると言いたいところをぐっと我慢する。

「ひでえなぁ。仲いいって言ってましたよ向こうは」

 武藤は快活に笑うと、ペットボトルのお茶をぐいっとあおり、カツサンドを飲み込んだ。

「あの人、羽振りいいっすよねー。あの安っぽい派手なシャツ何万もするらしいすよ」

 そう言いながら武藤は割り箸を割り、三色丼に取り掛かった。

 武藤が食べているのは東京駅限定のとんかつ屋「まい泉」の三階建て弁当だった。さらにカツ丼の段が残っているのだが、このペースなら余裕で平らげるだろう。

 僕は見てるだけで胸焼けしそうになり、缶コーヒーを啜った。

「にしてもあのイスルギさん? なんか、アレっすよね。ホラーゲームとかの狂言回しに出てきそうな……」

「不気味で気持ち悪いよね」

 僕が心底嫌そうに言うと、武藤は「なんでそこだけ話乗ってくるんすか」と苦笑した。

「あの顔で田舎の怪談話に興味あるって言われちゃ、本当にホラーの冒頭のくだりみたいっすよねぇー」

 そぼろ煮を口の端につけながらうまそうに頬張る武藤を斜に見やり、僕はひっそりと溜め息を吐いた。

 新幹線で向かっているのは、武藤の祖父母が暮らしているという田舎だった。国内でも有数の豪雪地帯で、冬は雪に閉ざされるという。かといって夏が涼しいわけでもなく、やはり災害級の暑さだそうだ。

 そんな場所に、村の案内役である武藤と共にローカルな怪異を体験しに行くことになったのである。

 関東圏から出たことのない僕は、田舎というものをよく知らなかった。イスルギは——せっかくの夏休みだ。費用は全額負担するからきれいな空気でも吸ってリフレッシュしてきたまえ——などと恩着せがましく言っていたが、仕事なんだから経費を出すのは当然だろうと思う。

「なんだっけ。未確認生物の棲み処があるんだっけ」

UMAユーマっていうより……どっちかっつうと妖怪みたいな?」

 武藤は僕の目を見て聞き返してきた。——こっちに問われても困る。

「なんか、そいつを食べると永遠の命が手に入るらしいっすよ」

 へえ、と僕は相槌をうった。

「人魚伝説みたいだね」

「そうそう。ガキの頃に巻物みたいの見せられて——こんなかんじだったんすよね」

 武藤はおもむろに三色丼を座席テーブルに置いた。ボールペンを鞄から取り出し、駅弁のレシートの後ろにさらさらと書いて見せてきた。

肉人にくびとさんです」

 ――人魚じゃない。

 アンデルセンの下半身は魚、上半身は美少女を想像していた僕は唖然とする。

 ぐねぐねと波打っている楕円の中に、たるみを思わせる短い波線が幾つも描かれている。なんだか、溶けかけたソフトクリームとかきたての餅を思わせる物体だった。

 それにしても絵心がない。幼児の落書きの方がよほど上等なものを描くと思う。

「これが目、鼻、口っすね」

 武藤は楕円の中に描かれた波線をペン先でなぞってみせた。言われれば、顔のパーツに見えてくる。

「顔だけの妖怪なの?」

 僕がぎょっとしたように問うと、武藤は「あ、忘れてた」と楕円に細くて短い枝のようなものを四本描き足した。

「手と足です」

「……顔に手足が生えてるってこと?」

「そうそう。顔オバケ」

 ——完全に化け物である。絵の稚拙さも相まって、非常にグロテスクだった。

 一方で武藤は「我ながらすげえ上手い」と自画自賛している。

「こんなわけわかんない化け物に、さんづけなんだね」

 じいちゃんがそう呼んでたんすよと武藤は笑うと、不意に改まった顔をした。

「実はこの肉人さんが出るところ——村でって言われてるんですよね」

 えっと僕は目を瞬いた。武藤は気まずそうに背後頭を掻く。

「ガキの頃、遊びに行くたびにじいちゃんやばあちゃんに近づくなってきつく言われてた場所なんすよ。バレたらマジで怒られるじゃすまないっすよ」

 じいちゃん怒るとすげえこええし、と武藤は肩を竦ませた。まるで化け物よりじいちゃんに怒られるほうが怖いような口ぶりである。

「そこに行ったらどうなるの? コレに食べられちゃうの?」

 冗談半分で言ったつもりだったが、武藤は笑っていなかった。

「遊び半分に肝試しに行ったりして、何人もの子供や若い連中が行方不明になってるのは本当らしくて。俺がじいちゃんちに遊びに行った時にも……」

 武藤はそこで一度、言葉を切ると、当時を思い出すかのように遠い目をした。

「俺、ガキの頃、夏休みになると毎年じいちゃんちに行ってたんすけど、五年生の夏休みの時、実際に行方不明があったんです。いなくなったのは祐一ゆういちっつう半グレみたいな兄ちゃんでした。気性が荒くて、いつも懐に鉈を呑んどくようなやつで。山仕事のためだって言い訳してたけど、みんな脅しに使ってるって言ってました。その祐一兄ちゃんが掟を破って、仲間たちを引き連れてその立入禁止の場所に行ったらしいんです。そのまま戻ってこないってんで、なんか村中すげえ大騒ぎになったんすよね」

 武藤はペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「結局その連中は大人たちに連れ戻されたんすけど——俺、戻ってきた奴らの顔、忘れられなくて。顔が紙みたいに真っ白で、魂抜けたみたいにぼうっとしてて。目ぇ見開いてんのにどこも見てなくて、生気が感じられないっていうか……。いつもしょうもねえ悪態ついてるのに、誰もなんも喋んねえし」

 ゾンビの行列みたいでした、と武藤は呟くように言った。

「しかも……その中に、祐一兄ちゃんがいなかった気がするんすよね。俺、まだガキだったし、すげー怖かったからあんまよく見てなかっただけかもしれないんすけど」

 当時のこと思い出したのか、その表情は強張っていた。

「で、その日のうちに親が迎えに来て東京に帰ったんです。いつも一週間は泊まるのに。親もなんか尋常じゃないかんじで、子供心に只事ただごとじゃねえなって。聞いても親は何も教えてくれねーし、むしろ怒るし……。俺、祐一兄ちゃん、に食われちまったんだって思って」

 武藤はレシートの落書きに視線を落とした。

「東京の実家に帰っても、肉人さんが家まで追いかけてくんじゃないかって怖くて怖くて、何ヶ月も怯えてましたね。その年を最後にじいちゃんちは行かなくなったっすね。親もかたくなに行かせてくれなかったし。もう止めかたが必死っつうか、親のそんな姿見たことなかったからそれも怖かったっす。……今思うと、事件だったんじゃないかって。祐一兄ちゃん、いろんなところに恨み買ってたみたいだし。だから親も行かせてくれなくなったんじゃないかなぁ」

 でもパトカーとか来てなかったしなぁと武藤は首を傾げた。

 つまり、その立入禁止の場所でトラブルメーカーの祐一が殺されたか殺したかしたのではないかということだろう。確かに、凄惨な殺人事件現場に親は子供を近づかせたくはないとは思う。

「そのことを確かめたいっつーのもあって、バイトやるって言っちゃったんすよね。まあ、一番はお金っすけど」

 武藤は、へへ、と照れたように笑う。こんなバケモンが存在するわけないのにな——と、なんだか懐かし気に自分の描いた絵を眺めた。

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