科学の弓/透明の矢 三

 その頃、カフェバー『Kanzashiかんざし』は夜営業の真っ只中であった。

 店内には何組かの客がいて、騒ぐでもなく、思い思いに語らいながら酒を呑んでいた。


「これ、4番テーブルに」

「はい!」


 給仕服に身を包み、盆に乗せたワイングラスを運ぶのは、美奈である。先日ここに預けられてからというもの、美奈はKanzashiの手伝い・・・をしていた。

 その様子を、栄治と理央が厨房からうかがっている。


「イキイキいてるわね。家でもあんなカンジなの?」

「……ええ、まあ」


 美奈の護衛を任された栄治は、一人暮らしをしているマンションの一室で、彼女と寝食を共にしていた。そうはいっても、栄治は真面目な男子であるがゆえに、寝室は分けているようではある。

 そんな生活も、既に1週間が過ぎていた。栄治から見て、美奈は料理などの家事全般を楽しんでいるようであった。いかに効率的に、高クオリティに仕上げるかを試行錯誤しているようにも思えた。

 そのため、


(ここでの仕事は、彼女に向いているかもしれない……)


 と、栄治は感じている。


「ところで、冴木さんってどんな子なの?」

「冴木さんですか? 学年も下ですし、あまり係わった記憶がありませんが……いい評判も悪い評判も聞こえてきますね。人間関係が、良くないようです」


 冴木クレハは、今年で17歳になる高校2年生だ。栄治と同様、私立研宮とみや学園に通っている。

 研宮学園には、誠一の弟である景介も在籍しており、クレハと同じく高校2年生である。ゆえに、クレハが景介の存在を知っていても不思議ではなかった。

 ここまで度々たびたび名前だけが話題に上がる花村景介という人間、その登場はもう少し先になりそうである。

 しかし、今はその事よりも、栄治と理央の会話・・・・・・・・・に戻らなければいけないだろう。


「彼女は、どんな内容でも依頼を引き受けるそうです。しかも、ちゃんと成功させる。ただ……」

「ただ?」

依頼者クライアントが女性の場合にのみ、仕事をするのだとか」

「極度の男ギライって事かしら」

「そのように噂されています」


 栄治が語る通り、今回の件も荻野モエという女が関係している。正確な依頼者はモエの父親であるが、彼女が依頼者といっても過言ではない。つまり、クレハが依頼を引き受けてもおかしくないのである。


「だったら、男所帯・・・の私たちのチームとは、りが合わないかもね」





 事態が動いたのは、翌日の夜――時間にして午後7時頃の事であった。

 金髪の男の証言から、荻野モエの身に差し迫った危機はないと判断した諸川は、花村誠一と冴木クレハに彼女の護衛を任せていた。

 同時刻、諸川を含めた残りのメンバーは別の仕事を行なっていた。釈放した金髪の男の尾行である。

 諸川、上野理央、朝田栄治の3人が交代しながら男をけていくと、とあるマンションに辿り着いた。何を隠そう、杉田が住むタワーマンションである。


「大学生でタワマン住みって、スゴいわねー」

「薄っぺらな感想だな。上野君」


 金髪の男に一度ヴェルファイアを見られているため、車での張り込みは厳しいと判断した諸川は、自身と理央を徒歩の状態でエントランス付近に立たせていた。


「じゃあ、諸川さんは何て思うんですか?」

「親の七光りだな、と」

「私と大差ないじゃないですかっ」

『しっ。出てきましたよ』


 別の場所から見張っていた栄治から、無線が入った。

 2人は植え込みに身を隠し、エントランスから出てくる杉田と金髪の男、それに数人の不良を見つめる。

 ツーブロックに剃り込みを入れた杉田は、夜だというのにサングラスを掛け、部屋着のままなのか上下スウェット姿であった。

 その杉田が、不良たちに、


「早く行け」


 と、指示を出した。

 すると、不良たちはおとなしく従い、マンションから離れていった。


「杉田が駐車場に入った。朝田君、頼んだぞ」

『了解しました』


 しばらくして1台のスポーツカーが、駐車場から出てきた。乗っているのは、杉田である。

 公道を走り始めたその車の後ろを、ホンダ・CB650Rにまたがった栄治が、距離を空けて追跡していく。


「よし、我々も行こう」


 それを見届けてから、諸川と理央は離れた所に停めていたヴェルファイアに乗り込んだ。

 発進したヴェルファイアの先では、栄治の駆るCBが走り、さらに先を杉田の乗るスポーツカーが走っている。その向かう先は、とある廃工場だった。

 杉田が廃工場に到着したのは、駐車場を出てから30分後の事である。

 車を道路の脇に停めた杉田は、廃工場の中へと入ると、ひび割れて積み重ねられたガラクタ・・・・の山から、1つの金庫を取り出した。

 金庫をよくよく確かめた杉田は、カチリ、カチリ、つまみ・・・を回して番号を合わせていく。やがて、音を立てて金庫が開いた。

 そこへ、栄治が暗緑色のコートを僅かに揺らしつつ現れた。


「ひっ……」


 いつの間にか背後に立っていた栄治に驚き、杉田が悲鳴を漏らした。


「その金庫を渡してもらおうか」

「だ、誰だ⁉︎」

「知る必要は無い」


 そう言うやいなや、栄治が鞘の先で杉田の腹を突いた。杉田は、声を発する事もできずにうずくまる。

 栄治は、杉田から金庫を取り上げると、中身を確認した。

 金庫に入っていたのは、金の延べ棒インゴットが3本、高級腕時計が2つ、その他にいくつかの宝石類であった。脱税によって得た利益を現金化するためのものである事は、疑いようがない。


「見つけました」


 栄治が左の袖口を口元へ近付け、そう言った。無線で、諸川に連絡を入れたのである。


『分かった。我々が着くまで、そこで待機していなさい』

「杉田はどうしますか?」

『可能なら、拘束しておいてくれ』

「分かりました」


 通信を終えた栄治が懐から手錠を取り出し、うずくまったままの杉田の両手に掛けた。

 湿しめった空気が辺りを満たし、空には朧月おぼろづきが輝いている。事件はこれにて終幕かと思われたが、栄治たちの知らぬ所で、新たな展開を迎えていた。

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