最終話 約束、一生分の恩返し


 俺、中里礼哉。二六歳。

 ほどよく都会で、ほどよく田舎の町に生まれた、ごく普通の男だ。


 ……いや、普通ってのはちょっと違うかも。


 俺には、友人たちが揃って「変わってんなお前」と言ってくる習慣がある。

 それは、とある場所への参拝を欠かさないことだ。

 馴染みの神社境内から少し行ったところ。人通りのない寂れた山道。ミニチュアサイズの鳥居。

 今日もまた、そこへお参りする。

 死者への礼と、大きな感謝を伝えるために。


 今日はあいにくの雨模様。

 こんな天候で、こんな場所にやってくるのは、俺くらいのものだった。

 今は違う。


「ルリ。この前はありがとう。あなただよね。礼哉さんを私のところまで案内してくれたのは」


 合わせていた手を下ろし、西園寺さんがつぶやいた。


 ――四故槍少年らによる誘拐脅迫事件。

 俺が軟禁場所までたどり着いた経緯を聞いた西園寺さんは、どうしてもお礼を言いたいと願った。

 この、小さな鳥居の下で眠る親友――美しい羽を持ったオオルリの『ルリ』に。


 祈りに一区切りつけた俺は、やや遠慮がちに西園寺さんへたずねた。


「もう家の方は大丈夫なのかい?」

「はい、おかげさまで。騒ぎにはなりましたが……『あの人』との軋轢あつれきは、昨日今日の話ではありませんでしたから」


 ややうつむきながらも、彼女ははっきりと告げた。


 西園寺さんが話した『あの人』――十年前のトラウマを植え付けた義母は、もう西園寺家にはいない。先日、義母としての立場も解消された。

 もう西園寺さんにとって、かの人物は『あの人』であり『お義母様』ではない。

 ようやく、十年前を乗り越えることができたのだ。


 ちなみに。

 四故槍少年は停学処分となっている。近々、自主退学するという。

 どうやら義母との結託は四故槍少年が強引に進めたものだったらしい。企みが頓挫とんざした今、彼に向けられる家庭内の視線は厳しいと。

 少なくとも、俺は西園寺さんのお父様からそのように聞いている。

 『力の差』は歴然だったんだなと、俺はその話を聞いて思った。


「岸島先生も、何事もなく復帰されたようで安心しました」


 西園寺さんは言う。俺も同感だった。


 岸島の実家のことを知っていただけに、彼女へ退職が言い渡されることも想像できた。もしそうなった場合は、俺にも責任の一端がある以上、覚悟を決めなければ――と密かに考えてもいた。

 幸い、俺も岸島も、元気に職務に邁進まいしんできている。


 何もかも元通り。めでたし、めでたしである。


 ――雨が、梢や傘の表面を打っている。

 お互いの傘が触れ合った。雨のために、それ以上距離が詰まることはない。


「礼哉さん」

「なに?」

「礼哉さんはどうして、私を助けてくれたのですか?」


 ルリの鳥居に視線を向けたまま、西園寺さんがたずねた。


 軟禁場所となったログハウスから自宅へ帰る道でも、かけられた問いかけだ。

 そのときは結局、うやむやになった。


 西園寺さんが俺を見る。


「私が西園寺家の娘だからですか? それとも、十年前の私を知っているからこそのあわれみ?」

「……」

「すみません。意地悪な聞き方をしているのは承知しています。でも、私――」


 西園寺さんが近づこうとする。雨傘でそれは叶わない。


 俺は彼女の目を見つめ返し、それからルリの鳥居を、墓地の方を、見慣れた里山を見た。


「十年も約束を守ってるとさ」


 俺は言った。自然に、頬が緩んだ。


「やっぱり気になるよね、君のことが」

「……っ!」

「それにさ。十年ぶりに再会した君は、誰もが振り返る綺麗で可愛い子に成長してて、成績優秀で、文武両道で、礼儀正しくて」

「……っ! ……っ!」

「――そのくせ俺のことになると暴走気味で、ちゃんとブレーキをかけてあげないと家ぐるみでとんでもないことやらかしそうだったし」

「……あれ?」

「ああ、これは目が離せないなあって、一日一日経つごとに思うようになったよ。ダメだこの子、俺がしっかりしないとって」

「礼哉さんっ!!?」

「あはは!」


 声を上げて笑う俺に、西園寺さんは涙目で抗議してきた。傘を握ってない手でポコポコと腕を殴られる。

 笑いを収めた俺は、ポコポコ叩く手をそっと握った。


「だからさ、本当に良かった。才色兼備で、賑やかで、やり過ぎなところもあって、目が離せない君を助け出すことができて、心の底から良かったと思ってる」

「あ……」

「十年前は、君が寂しくならないように毎日お参りするって約束したけど、今日、改めて約束するよ。この先も俺はお参りを続ける。だから君も、これから先ずっと、君のままでいてほしい。その姿を俺は見ていたいんだ」


 ――これが、あの事件の日から考え続けて出した、俺の答えだ。


 西園寺さんはうつむいた。俺が立ち上がっても、彼女はしゃがんだまま。傘にすっぽりと隠れてしまっている。

 俺は頬をかいた。


 実はもうひとつ、あの日から考えて決めていたことがある。

 こっちの方は、口にすることにまだ躊躇ためらいがあった。別に犯罪行為でも何でもないのだが――。


 不意に。

 雨が止んだ。


 梢の奏でる音が、雨のそれから風に揺れるそれに変わる。

 雲の合間から陽光が差し込んでくる。山道がゆっくりと明るくなっていく。


 傘をたたんだ。途端、雨宿りをしていた鳥たちが一斉に飛び立つ。

 俺はその中に、美しい青い鳥を見た。森の宝石とも呼ばれるオオルリの飛び姿。


 鳥居を見る。雨粒が滴り、光っている。


 俺は肩をすくめた。

 空いた手を、傘さす彼女に差し出す。


「帰ろうか。――


 途端。

 傘を放り出した彼女が、俺の胸へ飛び込んできた。

 そのまま、整った顔立ちが俺の眼前に近づいてきて。


「はい。礼哉さん」


 唇の感触が離れた後、彼女はしとやかに笑って、そう言った。




◇◆◇




 ――三年後。



「礼哉さん! 起きてください! お参りの時間、遅れてしまいますよ!」

「なんでことりが……って、ああそうか」

「はい! 私も晴れて卒業、大人の仲間入りです。ご覧下さい、家の皆さんもこうして喜んでくれています!」

「うん、そうだね。ウチのアパートに護衛さんやらメイドさんやら詰めかけて、なかなかシュールな光景だね。もう慣れたけど。皆さん泣き止んでください」

「この後、お父様も礼哉さんとお話ししたいそうです。我が西園寺グループでどのポストがいいか、礼哉さんご自身の希望が聞きたいと」

「何度も断っているんだけどなあ」

「わかります。なので私の方からお父様に提案するつもりです。礼哉さんは、生涯私の隣というポストがベストです、と!」

「あ、コーヒー豆が切れてる」

「礼哉さん!?」

「いまさら提案することもないだろう。――さ、準備できた。行こうか、ことり」

「はい! あ、でも礼哉さん。これだけは覚えておいてください」

「なに?」

「私は、西園寺ことりは、これからもずっと、ずっと一生かけて、あなたに恩返ししていきますから。ちゃんと、受け止めてくださいね」

「はいはい。やり過ぎないようにね」

「……もうっ!」


 頬を膨らませる彼女に手を差し伸べ、俺たちはふたり並んで歩き出す。




 十年約束を守っていたら、一生分の恩返しがやってきた。

 これは、そんな俺たちの物語だ。

 


 




【ことりちゃんの少し過剰な恩返し】 終わり

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