第26話 逆転、礼哉の不思議な力


 震えながらしがみついてくる西園寺さんを、俺は強く抱きしめた。


「助けに来たよ」

「礼哉さんっ、礼哉さん……!」

「もう大丈夫」


 何度も俺の名前を呼ぶ彼女。こんな怯えた姿を見るのは初めてだ。

 いや――十年前に一度、あっただろうか。

 そのときのことを思い出すと、俺の中に強い感情が湧き上がってくるのを感じた。


「これはこれは。中里センセじゃないっすか」


 半笑いの声に顔を上げる。

 屈強な男たちを背に、四故槍少年が両手を広げて立っていた。


「こんな時間、こんな場所に、いったい何の用です? あんた、担任でも何でもないでしょ」

「そんなことはどうでもいい。西園寺さんを返してもらうぞ」

「……あんたさ。どうやってここを嗅ぎつけた?」


 四故槍少年の口調に濃い陰がさした。疑念、怒り、不信。そんな感情がぐちゃぐちゃに混ざっている。

 少年が周りの護衛たちに視線をやる。男たちはいっせいに首を横に振った。サングラス越しでも、彼らが戸惑っているのがわかる。


 ――まあ、それも仕方ない。

 なんたって俺自身、ここにたどり着けたのはほぼと言っていいのだから。


 正確には、山全体や鳥たちが、「こっちだ」と導いてくれた気がした……そんな突拍子もない理由だ。

 日が沈んで暗くなった山の中を山道無視で突っ切るという、自殺行為。

 そのおかげで、間に合った。扉越しに聞こえてきた会話から考えると、本当にギリギリのタイミング。


 がなければ、もしかしたら突入できずに最悪の事態へ陥っていたかもしれない。


「礼哉さんは、特別ですもの」


 ふと、西園寺さんが俺の胸の中でつぶやいた。

 静かな山中のログハウス。彼女の声は室内の人間にしっかりと届いた。


 突然、四故槍少年が笑い出す。ほぼ同時に女性の笑い声も。テーブルの上に置かれたスマホからだ。

 ……もしかして、この声は西園寺さんの義母……?

 だとしたら、この危険で理不尽な誘拐劇は、四故槍少年だけでなく義理の母も絡んでいたのか。


「なーかざとセンセイよぉっ! まあご立派な行動で感心しきりですがねえ! あんた、今のこの状況わかってんの? 埋めちまうぞコラ。んん?」

「立派な脅迫行為だな」

「なーるほどそういう口の利き方かあっ。いいぜいいぜ、んじゃあご覧に入れてやるよ。そこのことりちゃんが泣いて堕ちる様を。特等席で、バッチリとなあ。せいぜい悔し涙を流す準備しとけや」

『まったく。市井しせいの凡人は私たちの足を引っ張るしか能がない。まったく嘆かわしい。さあ四故槍さん。さっさとやってしまいなさいな。計画に変更はありません』

「うーっす」


 男たちが迫る。

 俺は西園寺さんを庇った。


「礼哉さん。逃げて」


 俺にだけ聞こえる声で、西園寺さんが言った。口調に、はっきりとした意志が戻ってきている。


「彼らの標的は私です。私が抵抗すれば、礼哉さんが逃げる時間は稼げるはず」

「馬鹿言っちゃいけないよ。ドラマの見過ぎだ」

「ドラッ……!? れ、礼哉さん?」

「自分でも不思議なんだけどさ」


 俺は笑いかける。さらに強く彼女の肩を抱いた。


「まったく恐怖とか感じないんだよね。絶対何とかなるって確信しかない」

「礼哉さん、それはいったい」

「俺は死んでも君を守る」


 西園寺さんの震えが止まった。もぞ、と胸の中で彼女が身じろぎする。


「ドラマの見過ぎは、どちらですか……」


 確かにそうかもしれないな、と俺は苦笑した。


「やっちまえ!」


 四故槍少年の号令一下、男たちが殺到する。俺は身構えた。


 そのとき、室内を照らすランタンのひとつが倒れた。男のひとりにぶつかり、運悪く火が移る。アンティーク調のガスランタンなことがわざわいした。

 隣の男が慌てて服を叩いて消火にあたる。


 今のうちにと立ち上がった俺たちへ、扉を塞いでいた男が飛びかかってきた。

 西園寺さんを背後で守りつつ、男を押しのける。いきり立った男が再び襲いかかってきたとき、彼の頭部に四角い何かが直撃した。

 壁に掛けられていた大きな絵画が、ひとりでに落ちてきたのだ。

 重い木枠の部分に頭を強打し、男が昏倒する。


 その後も、食器棚が割れ中の陶器が床にぶちまけられたり、別の窓硝子が割れたり、にわかには信じがたい怪現象が立て続けに襲いかかってくる。


「な、なんだ。なんなんだよ、これは!? いったいどうなってる!?」

「四故槍少年」


 俺は言った。

 このログハウス。俺にとっては妙に居心地良い場所ではあるが――。


「君さ、相当怒らせてるんじゃないかい? 土足で踏み込んできた上に、卑怯で非道な真似を臆面もなくやらかそうとしたんだから」

「な、何が言いたいんだよ。て、てめえ」

「用務員室のときと同じさ。あんまり粗相をしたからついに」


 四故槍少年のすぐ横で、椅子が倒れる。


かもよ?」

「う、わあああああああああっ!!」


 用務員室であげた悲鳴よりもさらに大きな声で、四故槍少年はその場にしゃがみ込んだ。両手で耳を塞いでいる。

 護衛の男たちにも動揺が広がる中、唯一冷静な態度を崩さない人物がいた。


『何を狼狽えているのか。情けないこと』


 西園寺さんの義母だった。

 彼女は冷たい口調で告げた。


『あなたたち、さっさと捕まえなさい。この際、ことりの安全は無視していいわ。どうせもう、この子は私の言うことを聞くほかないのだから――』

『さて。それはどうかな』


 不意に、どこからか別の声がした。

 落ち着いた、それでいて静かな怒りを秘めた男性の声。これは――。


「お父様!」

『あなた!? どうして!?』


 西園寺さんと義母の声が重なる。

 俺にも聞き覚えがある。間違いなく、西園寺さんのお父さんの声だ。

 出所を探る。


『どうやら礼哉君に特別な力があるのは、本当のようだね』


 ――わかった。テーブルの下からだ。

 音声通話のみの義母は気づいていない。四故槍少年は今も取り乱しており、それどころではなさそう。


 西園寺さんが小声でつぶやく。


「私の予備スマートフォン……壊されたと思ったのに、無事だったんだ。緊急通話も生きていて……」


 俺は彼女と視線を交わす。

 つまり、ここまでの会話はすべて西園寺さんのお父さんに筒抜けだった。


 形勢が、大きく変わる瞬間だった。

 


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