第17話 神薙塔矢②-6

 邪念を振り払おうとして、俺はまたも激しく頭を振った。我に返って正面を見ると、怪訝な様子でこちらを窺う純粋そうな一人の男子がいた。


「大丈夫ですか?」


 その言外の意味は<頭がおかしいのですか?>ということなのだろうか。と、そんな、ただの被害妄想。ほとんど絡んだことのない相手ではあるが、遠藤が他人を馬鹿にしない人間であろうことは、橘から信頼されている時点で確約されている。


「大丈夫だ、ありがとう」


「そうですか。なら、いいんですが。…………あの。実は、神薙先輩に言っておきたいことがありまして」


 申し訳なさそうな口調で、遠藤は言ってきた。俺に言っておきたいこと? なんのことだか見当もつかないが、可能性があるとしたら今回のお手伝いについてだろう。あまり手伝いに参加することが出来ないとか、そういうところだろうか。それは、別に構わない。むしろ、案を出してくれただけでも十分に助かっているわけだし、どうせならもう解放してあげたいぐらいだ。


 橘も日渡も、遠藤と知り合いとはいえ先輩で、そして女子だ。絡みづらいのは明白。俺は同性ではあるが、これまた先輩で、しかもこれまで何の関りもなかった他人である。女子の先輩二人よりも絡みづらいだろう。こんな居心地の悪い空間、俺ならすぐさまとんずらしてしまいたい。


「このお手伝い参加についてなんですけど」


 ほら、きた。よしよし、いいだろう。全然構わないさ。そんな申し訳なさそうにしなくても、というかこちらの方が無理に手伝わせてしまって申し訳ない。すぐに解放してやるから、安心しろよ。


――と。遠藤が次の言葉を発したらすぐに解放の言を述べようと構えていたのだが、どうやら俺の予想は的を外れていたようだった。そもそも、俺が狙っていた的自体が違っていたらしい。


「実は僕が神薙先輩のお手伝いに参加したのは、橘先輩が気を利かせてくれたからなんです。日渡先輩も参加するからということで、僕を誘ってくれたんです」


 …………。言わずもがな。なるほど。遠藤がどうして縁のない俺の手伝いに参加したのか、これで得心がいった。橘によって半ば無理矢理に参加させられたのだと思っていたが、実際は遠藤の意思による決定だったようだ。


「吹奏楽部に入って、初めて日渡先輩を見た時から……その……」


 安心した。俺の手伝いに参加することで、遠藤に何か旨味があるというのなら、存分に味わってもらいたい。きっと遠藤は、自己中な理由で関係のない俺の手伝いに参加していることに後ろめたさがあったのだろうが、俺からしたらそんなことは無問題だ。自分が得をするから、そういう理由で参加してくれている方が妙な心配をしなくてすむ。


「え……っと、その……ですね……」


「無理に言わなくてもいいって。その反応だけで十分分かったからさ。別に気にしなくていいぞ。せっかくの機会なんだ、頑張れよ」


 そう言って、俺は遠藤の頭の上に、ぽんっと手を置いた。『頑張れよ』。その言葉は本当に、遠藤に向けて言っているのかどうか。日渡に好意を寄せている一人の男子を見ていると、胸の辺りに何か黒い靄がかかっているような感覚に襲われた。


 何を今更。日渡の第三者から見た評価は、容姿端麗、品行方正、清廉潔白etc。好意を寄せる誰かしらが湧いてきても、何ら不思議はない。約十年間、『ごめん』の一言が言えずにやきもきしている男が久しぶりに会話をして、どこか浮ついてしまっているだけのこと。あの日の償いをしない限り、そんな男には何かを思う資格など、ないのだ。


「頑張れ」


 俺は歯を噛みしめながらもう一度言って、また遠藤の頭の上にぽんっと軽く手を置いた。嬉しそうに笑顔を向ける遠藤に対して、俺はきっと笑顔をつくれていたと思う。

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