ルーク②
季節が一つ、変わっていた。
イヴは、よく働いてくれた。洗濯や掃除が上手く、また何より飯が美味かった。
色々なところに行った。買い物や調べ物、軽い旅行にもでかけた。家では、ごくまれに一緒に寝ることもあった。なぜだか、ひどくドキドキした。何かを選ぶとき、イヴの意見を聞くこともあった。趣味じゃないものも、たまに買った。イヴの趣味だった。
そして、それなりの時間を共に過ごしていて気付いたのは、彼女は明確な感情を持ち合わせているということだ。
それは、俺からすれば、取るに足らないプログラムのようには思えなかった。実に豊かで、繊細で、複雑だった。その持ち合わせた知識量は相当な物のようで、時たま謎の固有名詞を使うこともあるが、ある種順調に日々を送っていた。
そして俺は、彼女に特別な感情を抱いている。いつからかはわからない。季節の巡りと同じように、だんだんと、気付いたら熱くなっていた。それを、否定することはしなかった。機械だとかいうのは、考えなかった。
「ルーク、味はどう?」
窺うような視線で、イヴが俺に尋ねる。ニコリと笑って返し、そっと付け加えをいれて返答する。
「美味しいよ。いつもだけどね、今日も最高」
「そう、よかった」
口角が上がって、嬉しそうな顔をする。若干だが頬が紅くなっていて、それがまたなんとも人間らしかった。
俺は、人間と、感情を持った機械の境界線について考えなければならなかった。
俺たちの脳は、つまるところただの物質にすぎない。小さな部屋の集まりで、その中で情報が、何かしらの信号によって伝えたり伝えられたりする。それによって、俺たちは『感情』を手に入れている。浅い知識ではあるが、大筋は合っているはずだ。
そして、それは機械のそれと何か違うのだろうか?
言葉を発せられる彼女は、その頭部の中にきっと、感情を司るなにかがあるはずだ。そしてそれの構造は――僕にはわからないが――間違いなく場に応じた感情を彼女に与えている。
そのようにして彼女が『感情』を得ているのだとしたら、それはもう、生物か無生物かなど関係ないではないか。
俺は、ただこの幸せを享受しようとしているだけだ。人類にたった一人、ただ一人だけ、オートマタ(もしくは、アンドロイド)を愛する人間が居たとして、それが社会になんの悪影響を与えるというのだろうか?
まあ、つまるところ、あれだ。
好きに生きるのだ。
「なあ」
「ん?」
食器をテーブルに置いて、俺はじっとイヴの目を見つめる。筋肉が張り詰める。
「な、何?」
怪訝な様子で、イヴは食器を持ったまま固まっている。
心臓の拍動が早くなる。
イヴが少し不自然に笑いながら、急にどうしたのと言う。その声は、俺にはひどく遠くから聞こえた(ような気がした)
「あのさ」
「…………」
それから、イヴは沈黙を守った。
ごまかしたくて、噴き出したように笑ってしまおうという考えが浮かんだ。だがそうはしなかった。俺はズボンで手の平を拭う。そして言った。
「付き合わないか」
「へ?」へ、の口のままイヴが硬直する。
それから急に、冗談でしょというように笑い出して、食器を置いた。
「本気だ」
「……」
視線が交わる。
「ウソでしょ?」
「だから、本気だ」
ゆっくり、イヴが首を振る。それから、それがだんだんと激しくなった。
「無理だよ」
「なんで」
「アンドロイドだよ」
「問題ない」
「なんで――」
「俺がそう決めた」
俺は、じっとイヴの瞳を見つめた。じっとじっと、ガラス玉を少し変えたような瞳を、その奥を、未来を、
「でも」
「俺が嫌か」
「そんなことない」弾かれたように、熱した油に水を垂らしたような感じで、イヴが答えた。
「じゃあいいじゃん」
「後悔しない?」
「しねぇ」
それから、間が空いた。
「わかった。信じる」
「そうか……ありがとう。正直もっとごねるかと思った」
「いいの。子供は作れないけどね」
「大丈夫だよ。はなからそんなこと思ってない」
肩をすくめてみせる。
「ならよかった。穴ないし」
「…………は?」
待て、何か聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「だから、穴ないからね、って」
「ま、まじ?」
「まじ。間に合わなかったみたい。付けるの」
「まじすか……」
「嫌……だよね、ごめん」
「いやいや、そんなことないぞ。問題ない。たかだかそんなことで、愛するお前を嫌いになるわけないじゃねぇか」
「そう、ならよかった。まあ、手とか口とかあるから、安心して」
「お、おう」
繋がってる感じ、というやつを俺は味わえないらしい。だがまあ、それも一興だろう。他にはない経験だ。それでいいさ。
その翌日、俺たちはデートをした。
行き先は、最近できた映画館だ。二人で見る映画を決めて、それからポップコーンを買って中に入った。
甘いラブストーリーだった。
舞台は大海原を渡る大型旅客船で、物語は一組のカップルをフォーカスして進んでいく。潮風に当たる船の看板で、落日をバックに熱いキスをする。順風満帆に見えた航海だった。だが、最後にその船は事故で沈んでしまう。二人は愛し合いながら、青い海へと沈んでいくのだ。
十年以上前、西の作家が書いた小説を元にした作品だ。
クライマックスを迎えたころのシアタールームは、誰ともしれない泣き声がずっと続いていた。
かく言う俺も、また同様にイヴも、ウルウルと瞳を潤ませ、ぎゅっとお互いの手を握って涙を流していた。俺は頻繁に空いているほうの手で拭っていたけれど、流石に誤魔化せなかった。
「よかったね」
ただ、イヴはそうとだけ言った。こういうときに、感想を明確に言わないのは、やはり彼女が本物の『感情』を持っているからだろう。
「ああ、凄くよかった」
「ルーク泣いてたもんね」
俺の顔をのぞき込んで、にやにやと言う。
「お前もな」
少しムッとして、俺はそう返した。
「泣いてない」
「嘘つけ」
「ホントだもん」
「へぇ……もうクレープ買ってやんね」
「え! やだやだ! 約束した!」
イヴが俺の右腕を引っ張って、ぶんぶんと振り回す。
「嘘つきにはやらねぇ」
「むぅ……ゴメンて。泣いたよ。号泣だったよ」
「よろしい」
「イチゴ沢山のやつね」
「あれ高い」
「や~だ~や~だ~」
ぶんぶんぶんぶん…………
「わかったよ! 今日だけだぞ」
「やった!」
イヴがジャンプして喜ぶ。恥ずかしいからやめろとたしなめつつも、それを可愛いと思ってしまっている自分がいた。
夜は一緒に寝た。そこで俺たちは、初めてお互いの体を感じた。確かに『穴』はなかったが、それでも充分だった。抱きしめ、キスをして、彼女の体を撫でる。
必然的に、俺が受けになる形になったものの、俺は俺でそれを楽しんだ。
彼女の手つきや、動きはまさに人間で、俺は彼女を普通に女性として扱った。
ぎゅっと抱きしめて、キスを交わす。指を絡めて手を繋ぎながら、或いは彼女を押さえつけて、俺たちは情熱的なキスを繰り返す。
彼女にも、感度というものがあった。快感というものをしっかりと感じられるようで、それに俺は安心した。
その後は俺が仰向けになって、イヴに任せる。
一生懸命なイヴがこの上なく愛らしく思えて、そっと頭を撫でる。嬉しそうにイヴが笑って、空いた手を握ってきた。
俺はそれを放すまいとぎゅっと握り返した。
そして果て、そっとベッドで二人横になる。天井を二人で見上げながら、言葉を色々交わした。
その内容はどれもくだらないもので、詳しくは覚えていないけれど、ただ覚えているのは一つ、それが楽しく幸せで、温かかったことだ。
「好きだ」
「なに、急に」
「うるせ」
「…………私も」
「フッ……もっかい言って」
「やだ」
「ふうん……そっかぁ……」
「んん……好きだよ!」
「ああ、俺も」
ああ、なんとくさい会話だろうか。最高じゃないか。
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