第1話 怪異の姿揚げ
朝六時を知らせるアラームより先に、俺の手は目覚まし時計へと伸びる。
ほんの数秒後にて、単調なアラームが鳴ると同時に目覚まし時計のボタンを押して黙らせ、ゆっくりと上体を起こした。
「さて、と……」
俺の朝はそこそこに早い。
くぁっとあくびをして、眠い目をこすりながらベッドから降りた。
カーテンを開けて朝日を室内へと迎える。今日もいい天気だ。
先ずは洗面所で歯磨きと洗顔を素早く済ませて台所へ。
エプロンをつけて、冷蔵庫から烏龍茶を取り出して喉へと流しこみ、ぷはぁと一呼吸。
「……よしっ」
軽く頬を叩いて、さあ今日も一日頑張ろうと自分を鼓舞する。
先ずは冷蔵庫から炊飯器の内釜を取り出した。洗米済みで水に浸したお米が入っている、朝はこういった時短の積み重ねが大事なのだ。
このまま炊飯器に入れて早炊きの設定にする。二十分後には炊きたての美味しいお米と巡り合えるだろう。
他には鮭三つと卵三つ、昨日に下味をつけておいたたくさんの鶏肉を取り出して、鮭はキッチングリルへ。卵は溶いて市販の白だしと混ぜて玉子焼き器へ投入し、コンロの火をつける。
揚げ物鍋に火をつけておいて、唐揚げの準備といく。数分ほど待って、油が温まったところで鶏肉に片栗粉をまぶして――ぽいっ! だ。
忙しく体を動かしていると徐々にエンジンがかかってくる、眠気もすっかり飛んでいった。やる気という潤滑油がうまく差しこまれている。今日も調子は絶好調。
弁当のおかずはご飯が炊けるまでには全て調理を済ませておく。
焼き魚に卵焼きに唐揚げ、後は冷蔵庫からブロッコリーを取り出して茹でておいて、これにて準備完了だ。
「っと、その前に……」
居間を抜けて、仏壇へ座る。
五年前に病気で亡くなった父さんには毎朝きちんとおはようの挨拶と線香をあげている。
一度くらい化けて出てきてくれたっていいのに、よほどあの世が居心地いいのかまったく出てきてくれない。少しだけ寂しい、少しだけ。
父さんが亡くなって、母さんが働きに出て以来、我が家では家事を分担し、朝は専ら俺が担当となった。朝だけとは言わずよく夜も任されるが、母さんの負担を少しでも減らせるならどんとこいだ。
そうこうしているとごはんが炊けたので急いで台所へと俺は戻った。
炊飯器を開けて、炊き立ての香りを吸ってにんまりと思わず笑みを浮かべる。
「うーん、やっぱり炊き立てのご飯は最高だな!」
この香り、そして艶やかな白、たまらんね。
俺はすぐにごはんをかき混ぜて、弁当によそっていく。
弁当の半分ほどを埋めて、仕切りを挟み残るスペースにはおかずが入る予定だ。
ごはんの上には細かく刻んだ鰹節と醤油を少々、そして海苔。
先ほど作ったおかずを入れて、弁当の完成である。後は粗熱が取れるまで放置だ。家を出る際にはくれぐれも弁当はお忘れなく。
「ふう」
ちょっとした一仕事を終えたが、まだ朝の仕事は終わっていない。
新たなフライパンと小鍋を取り出して熱する。
これから朝食を作らねばならない。
小鍋には水を入れて沸騰したら味噌を入れる、冷蔵庫から取り出した長ネギを刻み、煮えばなのところで投入――味噌汁の完成だ。
味噌の香りが鼻孔をくすぐり胃袋を刺激する、味噌汁ってのは本当にいいものだね。日本人に生まれてきてよかったぜ。味噌、最高。
フライパンには目玉焼き三つと、余ったスペースにウィンナーを転がしておく。少量の水を入れて蓋をして蒸し焼きに。
「弱火にしておいて、と……」
そして俺は冷蔵庫から、タッパーを取り出した。
中を開ける。入っているのは――魚の怪異。
そう、魚の怪異だ。
鱗を落として、内臓を取り出して処理済みの、魚の怪異。
緑の胴体に赤い波の模様があり、紫のひれ――見た目は普通の魚とは程遠い。
実はこいつをゲットした時は全身の至るところに棘がついていてタッパーに入らなかったので、昨日キッチンバサミでチョキチョキと切り落としたのだ。
頭部には角がついている。
魚にはないであろう、物語に出てくる鬼についているような小さな角。小さいとはいえドリル状になってて、少しだけまがまがしい。
匂いのほうは、生臭さが少しあるもどこかほんのり柑橘系の香りがする。
「さあ、揚げてみようじゃないの」
てなわけで塩胡椒を振って、薄力粉と片栗粉をまぶして揚げ物鍋へ投入。
身はそれほど厚くはないので火の通りは早いだろう。朝から豪勢な朝食となりそうだ。
「小ぶりなくせして、よくもまあ悪さをしてくれたもんだな」
気まぐれに襲って、気まぐれに悪意を振りまく――そういう怪異は仕留めやすい。思考が単純なものだから、囮を用意しておびき出せばすぐに食いつくのだ。
お手製の銛で、会心の一突きだった。
近所で野良猫やペットが怪我をするといったこともこれにてなくなるだろう。
じいちゃん曰く、怪異とは妖怪物の怪幽霊神様都市伝説などなどこの世の不思議なもの、である――そして、これはじいちゃんの教えではないが、実は怪異の中には、食えるものもある。
――食えるもの。
そう。まさにこの魚の怪異こそ、食える怪異に分類される。
俺は子供の頃に初めて怪異を食べた。鳥の怪異だ。
当時はただ焼いて食べただけだったが……美味かった。実に美味かった。今でもあの味は覚えている、上品な味わいでかつコクがあって……あれは一度味わったら忘れられない。
それ以来、この怪異食というものが俺の生活の一部となった。
ちなみに悪さをしている怪異ほど味は一層深まりうま味が増す。どういう理屈かは分からないが、多分……呪力が関係しているんじゃないだろうか。
呪力――とは怪異の力そのものだ。
様々な能力を発揮したり、自身の身体能力を向上させたりする力。
今まで食べた怪異はどれも呪力が高く、そのために周辺へ被害を及ぼしていた。
悪さをする、つまり呪力がある、だから味が深まる。というわけである。
なので俺がよく食べている怪異は、市場やスーパーで出回っている食材よりも美味い。本当に、美味いのだ。
「いいね、うん、とてもいい」
怪異の姿揚げの見た目は悪くはない、むしろ美味そうだ。
食卓に運び込み、目玉焼きとウィンナーもそれぞれ三人前、皿に分けていく。味噌汁と白米も添えて、朝食の準備は完了だ。
「そうだ。レモンを出して、と」
わざわざこの怪異の姿揚げのために、レモンを一個買ってきた。
冷蔵庫から取り出して、四等分にして一つを添える。
「毒はないだろうな」
こればかりは食べてみないと分からないが、まあ……俺ならば大丈夫だろう。
なにより今まで食ってきた怪異の中で毒をもっていた怪異はいない。何より見るからに毒々しい怪異は避けてきたというのもあるが。
母さんと妹の夏美はまだ起きてくる気配はない。先にご飯を頂いておこうかな。
俺は着席して、両手を合わせた。
「いただきますっ!」
ぱくりと一口。
……うん。
うんうん!
「う、美味い……!」
白身魚のような淡泊でクセのない味、だけど後味は上品で濃厚。こいつは最高だね。
二口、三口――ここで忘れちゃいけないレモンの存在。
レモンをきゅっと絞って、四口目。
そしてご飯を頬張り、味噌汁をすする。
「朝から幸せだぜ……」
ほっと一息ついて、テレビをつける。
今日も今日とて、天気のお姉さんが朝からいいことでもあったかのような満面の笑みで天気の説明をしていた。
今週はずっと晴れらしい、晴れ……いいね、晴れは好きだ。
少しだけまったりしていると、廊下のほうから足音が聞こえてくる。
居間へとやってくるのは――母さんだな、夏美が先に起きてくることは、先ずない。
「おはよ~……」
「おはよう」
母さんの長い黒髪はちょっとした嵐に見舞われたかのように寝ぐせがついていた。
頭を掻いては居間へは入らず一度通り過ぎていく、歯磨きをすべく洗面所へ向かったのだろう。
ふと、顔だけを覗かせて。
「あら、なんだかいい香り」
「怪異の姿揚げを作ってみた」
「それはまた朝から豪華ねぇ」
母さんや夏美も怪異食に関しては理解を示している。
それどころかその味を知ってからむしろ食べたがるほどだ。
「母さんも食べる?」
「少し食べようかしら。朝はあんまりお腹に入らないんだけどね」
「じゃあちょこっとだけおすそ分け」
「ありがと。怪異ってほんと美味しいわよねえ。クセになっちゃうわ」
その顔は一旦引っ込んでいった。洗顔に行ったのだろう。
クセになる、うん、まったくその通りだ。こいつは一度味わったらやめられない。
最初のころは怪異=ゲテモノ的な見方だった母さんや夏美も今やすっかり見方がゲテモノから美味しいものへと昇格している。
俺は怪異の姿揚げを箸で割って少しだけ別の皿に移して母さんの朝食に添える。
姿揚げの余韻が残っているうちに白米と味噌汁を口の中へと放り込む。
しかしこれで朝食は終わりじゃない、しっかりとこれから目玉焼きとウィンナーも味わうのだ。
テレビが七時を知らせるや、夏美も起きてきて家族三人で食卓を囲む。
母さんたちと朝食をとり、我が家の朝は順調に進む。
行ってきますの挨拶をして、学校への支度をして家を出た。
今日も一日が始まる。
今日は朝から怪異の姿揚げを頬張れたのもあって、いつもよりもちょいと気分がいい。
美味いもんにありつけられると幸せだね。
これだから怪異食はやめられない。
「けふー」
でも朝からちょっと食べすぎたかな?
道中、幽霊十字路と呼ばれる道を通る。
なんでも、昔にここで死亡事故があったらしくその時亡くなった少女がこの十字路に時折現れるのだという。
俺は未だにその幽霊は目撃したことはない。本当にいるのだろうか? 怪異は何度も目撃しているというのに。
「――おはよ、何見てるの?」
ひょいっとまるで待ち構えてたかのように右手側から現れたのは――幼馴染の古月久理子だ。
黒髪ポニーテールがよく似合う、細目が特徴的で魅力的な女の子。
今日もにんまりと笑顔を浮かべてやってきた。
「ああ、おはよう。いやな? ここ、幽霊十字路って言われてるじゃん? その幽霊がいないかなと」
「幽霊って朝からいるものなのかなあ?」
「いるにはいるだろうよ」
二人してきょろきょろと幽霊を探してみるが、幽霊がいそうな雰囲気ですらないのどかな住宅街の十字路。
スズメがちゅんちゅんと鳴き、その辺ではおばさんたちが談笑し、学生たちが快活な足取りで学校へと向かう、ほのぼのとしてホラーとは程遠い空気。
「お前は見たことある? ここの幽霊」
「んー……ないよぅ。ここには本当にいるのかな?」
「どうなんだろうな?」
二人して首を傾げる。
「かわい子ちゃんだったら見てみたいんだけどな~」
「かわい子ちゃんならお隣にいるよー!」
「何っ⁉ どこだっ⁉」
久理子とは反対のほうを向いて探してみる。
塀しかないな。
「こらー! 逆逆ぅ!」
ぷりぷり怒る久理子。
こいつはなんともからかい甲斐があるんだよな。
「おっと逆か、ああ、いたいたかわい子ちゃんが」
「てへへっ」
頭を撫ででやるとする。
「学校、行こうか」
「行こうかー」
久理子と肩を並べて、学校へと向かう。
彼女は鼻歌混じりに、元気いっぱいの足取り。朝から上機嫌だこと。
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