第五話二一章 道化か、策士か
クナイスル伯爵の執務室に通されたとき、ロウワンが驚かなかった言えば嘘になる。
そこは『執務室』とは言っても例えば、ゴンドワナ議長ヘイダールの部屋のように機能性一点張りの実用的な部屋とはまるでちがっていた。
部屋は広く、天井は高く、やはり大きな窓が壁一面に張られ、外の光をいっぱいに部屋のなかに招き入れている。一方で部屋に
部屋のなかには書棚などは一切なく、書類や書籍の類もほとんど見られない。そのかわり、あちこちに恐らくは伯爵夫人であるソーニャのお手製だろう。かわいらしいぬいぐるみがいっぱいに置かれている。
とくに目立つのが窓辺に飾られたクナイスルとソーニャ、ふたりの人形。仲良そうにピッタリとよりそい、手など握りあっている。そんなものを目につくところに飾られていては『おふたりのなれそめは?』とか聞かなくてはいけないという気にさせられてくる。
もっとも、もし、そんなことを聞けば最後、
その他にもかわいらしい鉢植えがあり、天井からはまるで赤ん坊の寝台に飾るような飾りがいくつもさげられている。
子どもの部屋。
まさに、そんな印象。レムリアらしいと言えば言えるのだが、とても、仕事用の部屋とは思えない。
「どうです。かわいい部屋でしょう。これはすべて、妻の趣味でしてね。妻の手にかかればどんな
「まあ、いやだわ、クナイスル。そんなに褒めてもなにも出ないわよ」
「いやいや、僕はただ事実を言っているだけだよ」
「もう……」
と、ソーニャは頬を赤らめる。クナイスルはそんな妻を力いっぱい抱きしめた。ふたりのまわりに人の迷惑を顧みない『♡』マークが乱舞する。
その甘ったるい雰囲気に、ロウワンたちは思わず引いてしまった。しかし、見た目はどうあれ執務室は執務室。その場において数々の重要な決済が行われることにはちがいはない。
「気を抜かないことだよ、ロウワン」
「外交の場において、相手を
なるほど、そうか。この部屋には『相手を油断させ、交渉を有利に進める』という効果があるのか。本当に計算尽くでそうしているのだとしたらこのふたり、単なる
ロウワンは部屋の飾りから一切、目をそらし、気を引き締めた。
そして、
レムリア側も同じく四人。国家元首たるクナイスル伯爵、その妻ソーニャ、宰相のミハイル、宮廷書記のニキータ。文官ばかりで護衛の兵士ひとり、室内にはいない。クナイスルたちも誰ひとりとして武器をもっている様子はない。
数の上では同じでも戦力としては比較にもならない。たとえ、クナイスルたちが一〇〇倍の人数がいたとしても
とにかく、会談ははじまった。
ロウワンはまずは状況を説明した。イスカンダル
それらを事細かに説明した。
説明を聞いたクナイスルは、このときばかりは一国の統治者らしく重々しくうなずいた。
「……なるほど。パンゲアの怪物どもに関してはヘイダール議長より書状にて知らされておりましたが、
「それにしても、パンゲアがそのような兵を使うとは。あの
「はい。恐ろしいことです。我が国の民がそのような怪物に襲われるなどと、思っただけでも倒れてしまいそうですわ」
宰相のミハイルが眉間に
「ええ、恐ろしいことです」
ロウワンはうなずいた。
「ですが、本当に恐ろしいのはあんな怪物どもではありません。教皇アルヴィルダの意思。かの
「世界をひとつに、か……」
クナイスルは妻の肩に腕をまわしたまま言った。
「教皇アルヴィルダとは就任式のときに会っただけですが、その頃から意思の強さは感じていました。同時に、あまりにも純粋で、そのことが
「恐ろしいことです」
ソーニャが両手を合わせて、祈るように言った。
「人と人の争いをなくすために戦争を起こす。そのような矛盾、うまく行くはずがないのに……」
ソーニャの言葉はもちろん悪意のないものだったが、ロウワンの胸に深々と突き刺さった。
『人と人の争いをなくすために争いを起こす』
その矛盾を抱えているのはロウワンも同じことだった。
「ともあれ、ロウワン卿。事態がそのように
「それでは、クナイスル閣下。我々との、いえ、我々とゴンドワナとの三国同盟を
「いえ、ロウワン卿。こちらから同盟をお願いするのです。パンゲアの怪物どもに対抗するには実際に戦い、勝利したあなた方の力が必要不可欠なのですから」
「そのとおりです」
クナイスルの言葉にソーニャも言葉を
「大切な国民をそのような怪物に
そう言って深々と頭をさげる。
その姿には確かに、国民を愛し、
「もちろん」
と、ロウワンは答えた。
「
「もちろんです。同盟を組んでおいて自分たちは戦わない、すべて同盟国任せ、などと、そのような真似をするほどレムリアは恥知らずではありません。これでも、誇り高きパンゲアの騎士団、その源流となった伝説の騎士マークスの人類騎士団の精神は受け継いでいるつもりです。我が
「畏れ入ります。ところで、伝説の騎士マークスをご存じと言うことは、
「話は聞いています。ですが正直、伝説だとばかり思っておりました。まさか、現実の存在だなとどは……」
「まぎれもなく、現実の存在です。少なくとも、千年前の世界には存在していました。そして、いま、このときにも現われるはずです。そのためにも、人類が協力することは欠かせません」
「もちろんです。伝説にある騎士マークスの戦いが現実のものであったと言うなら、
「その通りです。
「ええ。我々も全力を尽くします、ロウワン卿」
「ありがとうございます。では、もうひとつ、
ロウワンがそう言ったときだ。ソーニャが夫の肩になにかを見つけたらしい。そっと、肩に手をかけた。
「あら、クナイスル、大変。肩の糸がほつれてますわ」
「おや、そうかい? ソーニャはよくそういう細かいところに気がつくね」
「当たり前ですわ、愛するあなたのためですもの」
「ふふ、嬉しいよ、ソーニャ。愛しているよ」
「はい、愛しています、クナイスル」
ふたりは見つめあい、手を握りあい、ふたりきりの甘いあまい世界にどっぷりと浸かってしまった。それこそ、海賊たちがラム酒の大樽に浸かるように。
その雰囲気の前にはロウワンたちもなにも言えない。大樽ひとつ分のチョコレートを無理やり胃に流し込まれたような思いを抱きながら、ふたりがこちらの世界に戻ってくるのをまつしかなかった。
とにかく、会談は終わった。
「正式な調印はヘイダール議長も交えた後日のこととなりますが、同盟そのものはすでに
クナイスルのそのにこやかな挨拶を受けて――。
ロウワンたちは執務室をあとにした。
「……ふう」
と、執務室を出た途端、ロウワンは顔のあたりを手でパタパタやりながら息をついた。
「……まいったな。ロスタム卿から聞いてはいたけど、まさかあそこまでの愛妻家だったなんて」
夫婦の熱いイチャイチャ振りはウブな少年には刺激が強すぎた。なんとも体温があがってしまって仕方がない。
「……本当にね」
と、こちらも色事には縁のない『女教師』メリッサがこぼした。
「……あんなことで、本当に一国の主権者が務まるのかしら?」
そんなふたりを見て
「やれやれ。ふたりとも、まだまだ甘いね」
「どういうことだ?」
「気がつかなかった? あのふたりがイチャついたのは決まって、
「えっ?」
「どういうこと?」
ロウワンが声をあげ、メリッサが尋ねる。
「つまり、あのふたりのイチャつきは演技。自分たちに都合の悪い話が出たときにはああやってイチャついて見せて、うやむやにしているということだよ。おかげで、
「それじゃ……愛妻家って言うのも嘘だと?」
「嘘というか策略じゃないかな。そんな噂を流しておくことでいつ、どこで、イチャついてもおかしくないと思わせておく。それでこそ、平然とイチャついて見せて話をそらすことができるんだからね」
「そうか。そういうことだったのか」
「でも、それだと、夫婦そろってかなりの策士ということになるわよね」
「当然だろう? 仮にも一国の元首夫妻だよ。その程度の腹芸が出来なければ務まらないよ」
「確かにな」
と、
「クナイスルはともかく、妻のソーニャのほうは相当に使うぞ。あのゆったりしたドレスのなかにはかなりの数の武器を仕込んであった」
「そうなのか⁉」
「それに、天井裏には何人か潜んでいた。あの気配はまちがいなく
「……そうか。わかった。気をつけるよ」
「でも、ロウワン。そうだとすると、どうするの? そんな相手と同盟を組むわけ?」
「もちろんです」
メリッサの問いに対し、ロウワンは迷いなく答えた。
「パンゲアやローラシア、
ロウワンたちが去ったあと、執務室の雰囲気は一変していた。
伯爵クナイスル。あれほど、人好きのする好青年と見えた人物がいまや、
「……ふん。ロウワンか。確かに、ヘイダール議長の言うように子どもらしい理想家のようだな」
「ええ。
「たやすく参加を表明するわけにはいかん。我々は、我々の国土の一体感を守らなくてはならない」
「その通りですわ」
妻のソーニャもまた、ロウワンたちの前での
「そのためにこそ、わたしたちは独立派とパンゲア派、双方の間をとりもつのに苦労してきたのですから」
「そうだ。
クナイスルは信頼する宰相に声をかけた。
「ミハイル。ロスタム卿のほうは?」
「はい。すでに行動を開始しているはずです」
「兵の準備は?」
「万全にございます」
「そうか。では、あとは連絡まちだな」
「
ソーニャが遠慮がちに言った。
「今回の件、少々、
「なんと言われようとかまわん」
クナイスルは妻の言葉に対し、断固たる口調で答えた。
「パンゲアに人ならざる怪物どもがいるとわかった以上、いままでのようなわけにはいかん。おれは、このレムリアの
同じ頃――。
レムリア首都ゴータムの一角にある貴族の屋敷に、幾人かの貴族が集まっていた。独立国家として歩むよりもパンゲアに属し、安定を求めるべきだと主張する一派、すなわち『パンゲア派』である。
かの
しかし、少なくとも、いま、この場に集まっているのはれっきとしたレムリア貴族であり、堂々と国政に参画している閣僚たちである。
「……聞いたか? クナイスル伯爵は
「正気の
「その通りだ。まったく、正気とは思えん。そんな得体の知れない連中を信用して、いざというときに裏切られたらどうする」
「まったくだ。まして、パンゲアには人とも思えぬ怪物兵がいるそうではないか。だと言うのに、そんな連中を頼りにパンゲアと争うなどあってはならん」
「そう、その通り。パンゲアにそのような力があるとわかったいまこそ、我らが国政を握り、パンゲアに忠誠を誓い、
「そう、その通りだ。いまこそ我らが悲願を叶えるときだ」
「うむ」
その場にいる全員が重々しくうなずいた。
レムリアの歴史は独立派とバンゲア派の政治的な綱引きの歴史でもある。独立国家として自らの脚で歩もうとする一派と、人類最強国家であるパンゲアに属して安全を買おうという一派にわかれ、日の当たらない闇のなかで様々な争いを繰り広げてきた。
ただし、それは対等の戦いであったわけではない。歴史のほとんどを通じて七対三、あるいは八対二と言ったところで独立派のほうが勢力を握ってきた。だからこそ、レムリアはこれまで一貫して事実上の独立国家としてやってきたのだ。
しかし、それだけに、バンゲア派の貴族たちは『自分たちはないがしろにされている』という
いまこそ、その準備を生かし、花開かせるべきときだった。
扉がノックされた。
「入れ」
声と共に扉が開き、年配の執事が姿を現わした。うやうやしく頭をさげてから用件を伝える。
「旦那さま。ゴンドワナ議長ヘイダールの
部屋に通されたロスタムは厚い布を全体にかけた大きな籠を横に置き、『砂漠の王子さま』と呼びたくなる美貌ににこやかな笑みを
「
そう型通りに挨拶するロスタムに向かい、部屋の
「挨拶はいい。それより、なんの用だ?」
「あなた方の協力者がやってきた。そういうことです」
「なに?」
「実は、裏ではすでに話がついているのです。パンゲアの怪物兵。あのような化け物を操る国と戦うほど、我らゴンドワナ商人は愚かではありません。そこで、ヘイダール議長はクナイスル伯爵に申し入れました。
『
「なに⁉」
「そして、クナイスル伯爵もそれを受け入れました。そして、私を使者としてあなた方のもとに派遣されたのです」
「
「私はヘイダール議長の部下なれば、ヘイダール議長の命に従うのみ。なにひとつ裏切ってなどおりません」
「言うわ、この若造が」
「そうは申しましても、ただでは信用されないことはわきまえております。そこで、挨拶がわりに手土産を持参しました」
「手土産だと?」
「はい。
ロスタムはそう言って厚い布を取り去った。その下から現れたのは大きな檻。そのなかにはバナナを片手にいびきをかいて眠る毛むくじゃらの生き物がいた。
ビーブ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます