壊れたオルゴール ～三つの伝説～

第三部 終わりの伝説

一章 終わりのはじまり

　「マークスⅡ。お目覚めください、賢者マークスⅡ」

　声がする。すっかりぼやけた意識のなかにその声が染み渡ってきおった。

　――誰じゃ？

　ベッドのなかで目覚めたあと、そのまま起きるでもなく、再び眠りにつくでもなく、まどろみのなかに浸（ひた）る一時。そんな夢うつつの状態のなか、わしが思ったのはそのことじゃった。

　――わしを呼んでおるのか？

　――マークスⅡとはわしのことか？　賢者とはなんのことじゃ？

　自分が誰なのか、何者なのか。わしには思い出せんかった。

　目を開けた。目の前にはひとりの若い女が立っておった。

　長い手足。

　スラリとした長身。

　ちりちりの短い髪と分厚い唇。

　力強さとしなやかさを併せもつ肉食獣のような筋肉。

　そして、黒い肌。

　典型的な黒人の娘じゃった。

　槍を手に草原を駆け、獲物を狩る、狩猟民族の末裔じゃ。

　――わしを呼ぶのはおぬしか、若い娘よ。

　「はい。ようやく、お目覚めになられたのですね、賢者マークスⅡ。あなたをお迎えにあがりました」

　――マークスⅡ？　それがわしの名なのか？

　「覚えておられないのですか？」

　娘はいぶかしげに眉をひそめた。とは言え、驚いている様子はなかった。むしろ、納得したような様子じゃった。

　「無理もありません。あなたが眠りについてから千年の時がたっているのですから」

　――千年？

　「はい。あなたが亡道（もうどう）の司（つかさ）を退（しりぞ）けたあの戦い、人類二度目の亡道（もうどう）の世界（せかい）との戦いから千年がたったのです。そして、いま、三度（みたび）、亡道（もうどう）の世界（せかい）との戦いがはじまろうとしているのです」

　――おお。

　――そうじゃ。思い出した。思い出してきたぞ。わしは、あのときたしかに亡道（もうどう）の司（つかさ）と戦った。多くの仲間たちと共に人類の総力をあげて。

　――わしらは亡道（もうどう）の司（つかさ）を倒した。亡道（もうどう）の世界（せかい）の侵食（しんしょく）を防いだのじゃ。じゃが、それだけじゃった。

　この天命（てんめい）の世界（せかい）と亡道（もうどう）の世界（せかい）の戦いを終わらせることは出来んかった。

　そして、天命（てんめい）の巫女（みこ）さまを人間に戻すことも。わしは、生涯を懸けた誓いを果たすことが出来なかったのじゃ。

　――その理由は人間同士の争いにあった。騎士マークスと天命（てんめい）の巫女（みこ）、そして、多くの人間がすべてを懸けてこの世界を亡道（もうどう）の世界（せかい）から守ったあと、人類は愚かにも人類同士の戦いを繰り返した。

　――そのために、騎士マークスの戦いの記録は伝えられず、亡道（もうどう）の司（つかさ）と亡道（もうどう）の世界（せかい）に対する研究も進まなかった。そのために――。

　わしらはまたも、亡道（もうどう）の世界（せかい）を阻むだけで終わってしまった。あまりにも多くの犠牲を出しながら……。

　――天命（てんめい）の巫女（みこ）さまを人間に戻せなかったのもそのため。わしらが亡道（もうどう）の世界（せかい）の接近を阻むためには、天命（てんめい）の巫女（みこ）さまに天命（てんめい）の曲（きょく）を奏でつづけてもらわねばならんかった。

　「その通りです。ですが、あなた方はたしかにこの世界を守り抜いた。我々にこの世界を贈ってくれたのです。そのことに、心よりの感謝を捧げます。そして、あなたは戦いのあと、それだけでは終わらなかった」

　――その通りじゃ。ふたつの世界の戦いを終わらせるためには人の世をかえることこそが肝要。真に戦うべきは亡道（もうどう）の司（つかさ）でもなければ、いかなる外敵でもない。人間の心そのもの。

　――そのことに気付いたわしは、新たな文明を築くことにした。人と人の争いを終わらせ、次の戦いに備えさせ、今度こそ、ふたつの世界の戦いを終わらせる。そのために。

　――わしはその目的のために全力を尽くした。その日々のなか、わしはいつからか『賢者』と呼ばれるようになっておった。賢者マークスⅡと。

　――もとは、騎士マークスに憧れていただけのただの子供に過ぎなかったこのわしがじゃ。

　――そして、わしは自らを天命（てんめい）の理（ことわり）へとかえた。三度（みたび）くる亡道（もうどう）の世界（せかい）との戦い。その戦いに加わり、今度こそ戦いを終わらせる。そして、天命（てんめい）の巫女（みこ）さまを人間に戻す。そのために。

　「その通りです。思い出されたのですね、賢者マークスⅡ。あなたの願いは叶えられました。人類はあなたの願いを叶えました。人と人の争いを克服し、あなたの望んだ文明を発展させたのです。その間、技術を高め、亡道（もうどう）の司（つかさ）と亡道（もうどう）の世界（せかい）の研究を進めてきました。そして、いま、三度（みたび）やってきた亡道（もうどう）の世界（せかい）との戦いの時。今度こそ、この戦いを終わらせる。滅びの定めを覆（くつがえ）すのです」

　――そうか。ならば、娘よ。おぬしが……。

　「はい。わたしが今代（こんだい）の『運命を選びしもの』。三人目のマークス、勇者マークスⅢです」

　――勇者マークスⅢ。

　わしは改めて目の前の娘を見た。混じりけのない、完全な黒人の娘の姿を。

　――黒人の娘が勇者として認められる。そんな時代になったのじゃな。

　「はい。その通りです。わたしはあなたと騎士マークス、ふたりのマークスの伝説を聞いて育ちました。そして、決めたのです。『自分が三人目のマークスになる』と。

　ですが、いかに、わたしひとりがそう決意しようとも、あなたの時代であれば黒人の、それも女が勇者として認められることなどなかったでしょう。

　『お前は自分が黒人であることを忘れてはいけない』

　その一言で道を絶たれ、あきらめさせられていたことでしょう。

　そうならずにすんだのはあなたのおかげです、マークスⅡ。あなたが新しい文明を築いていてくれたからこそ、わたしは自分の望みを叶えることが出来た。そのことに感謝しております。

　そして、わたしは、この世界を、わたしが願いを叶えることを許してくれたこの世界を守る。そのために、あなたを目覚めさせにきたのです、賢者マークスⅡ。あなたの試練を受け、すべての『遺産』を受け取る、そのために」

　――そうか。ならば、ついに来たのじゃな。人類が、いや、この天命（てんめい）の世界（せかい）に生まれたすべての知性が総力をあげ、ふたつの世界の戦いを終わらせるときが。

　「そうです。幾度となく繰り返されてきた滅びの定め。その定めを覆（くつがえ）すときが来たのです」

　――『復活の死者』は子孫を残したか？

　――『もうひとつの輝き』は健在か？

　――『雌牛（めうし）の子』たちはいまも息災（そくさい）か？

　「はい。皆、健在です。あなたのお目覚めをまっています」

　――ゼッヴォーカーの導師は？

　――メルデリオの魔術士は？

　――イルキュルスの予言者は？

　――カーバッソの鋼打ちは？

　――ゴルゼクウォの力士は？

　――ハイシュリオスの戦士は？

　――ミスルセスの女帝は？

　――カーンゼリッツの学士は？

　――そして、人類の滅びと引き替えに生まれるはずじゃったふたつの新たなる種族は？

　――皆、健在か？　いまの世にも存在しておるのか？

　「はい。皆、健在です。今度こそ、滅びの定めを覆（くつがえ）す。そのために集結しております」

　――では、騎士マークスは？

　――王女サライサ殿下は？

　――そして……天命（てんめい）の巫女（みこ）さまはどうしておられる？

　「皆、無事です。騎士マークス……幽霊船となった騎士マークスも、そのマークスを追いつづけたサライサ殿下も、この戦いのために待機しております。そして……天命（てんめい）の巫女（みこ）さまはいまも天命（てんめい）の曲（きょく）を奏でつづけております」

　――そうか。

　――ならば、本当に、すべての歴史の総力をあげた戦いがはじまるのじゃな。

　――娘よ、マークスⅢよ、新たなる『運命を選びしもの』よ。わしをここから連れ出せ。いまの世に連れ出すのだ。最後の戦いをはじめるために。

　「はい！」