7-33.天眼の理解を深める(3)

「って、まさか朧華ロウファさまは」

「うん?」

法眼ほうげんに到っておられるの、ですか!?」


「あー、今度の旅で開いちゃった・・・・・・ねえ」


 事も無げに笑う朧華だが、定命じょうみょうの身で法眼に到ったとなれば、実のところ世界屈指どころか世界最強を名乗ったとしても誇張にはならない。なにしろ法眼に到ったと判明している者など、歴史上でも数えるほどしか存在しないのだ。存命の人物に限っては、もしかすると彼女ひとりだけの可能性すらあり得る。


「法眼に到って初めて分かったんだけどさ、今までのわれは人に教えているつもりで、その実何も教えられていなかったみたいでさ。それに気付いた時にはさすがに参っちゃったよね」


 法眼は、慧眼えげんで理解したものの実相を他者に教え導く境地。そこに到って初めて、それまで行ってきた他者への指導が、実は単なるアドバイス程度にしかなっていなかったことに気付けたのだと、朧華はあっけらかんと笑う。


「だから法眼が開いてから人に教えるのは貴女が初めてということになるんだよ、レギーナどの」


 それは、レギーナにとってはこれ以上ない僥倖と言えよう。法眼とはすなわち仏の目・・・、東方で広く信仰される曼荼羅まんだら教において、神仏が衆生を教え導くために必要とされるのが法眼なのだ。つまりレギーナは、神々に直接教えを授かるのと同じレベルでの導きを朧華から得られることになるわけだ。

 この得難い縁を得られたのもまた、アルベルトのおかげである。彼が若い時に朧華と出会い、そしてこの旅の途中で彼女の娘である銀麗インリーに出会ってその命を救っていなければ、この縁は繋げなかったのだから。


「…………アル、ありがとう」

「えっ、なんで俺?」

「……ふふ、何でもないわ」


 思わず口をついた感謝に、理解が追いつかずポカンとするアルベルト。その顔がおかしくて、ついとぼけてしまったレギーナであった。


「……で、いつまでそんな姿でいるつもりなんだい娘々。もう戻ってもいいよ?」


 レギーナとアルベルトのやり取りを微笑ましく見ていた朧華が、虎の姿で座り込んでいる銀麗に声をかけた。

 それに対して銀麗は、虎の口で器用にため息をつきつつ答えたものである。


『せめて服を持ってきてくだされ母者。裸のまま戻るなどできるわけがありませぬ』


 見ると、銀麗の足元に布切れがたくさん散らばっていた。彼女の衣服の残骸である。

 なるほど、これでは確かに姿を戻せないはずである。真の姿を見せろと言われて銀麗が嫌そうにしたのも、実はこうなると分かっていたからなのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 レギーナのトレーニングは新たな段階に入った。ドゥリンダナを“開放”しつつ、天眼てんげんを磨きその理解を深めるようになったのだ。

 技量的なレベルダウンはもはや諦める他はない。落ちたレベルは上げればいいだけなのだから、地道で遠回りであっても再び腕を磨くだけだ。


(見える……!)


 “開放”のさなかのレギーナの視界には、無造作に配置された木偶人形の合間に紛れるように立っているアルベルトやミカエラ、侍女のニカやミナー、それに戻ってきたばかりのナンディーモの姿がしっかり捉えられている。

 木偶人形だけを斬り、彼らには一筋たりとも傷を負わせない。そういう訓練を、今彼女はやっている。


 一陣の風が過ぎたあと、周囲の木偶人形だけが両断されバタバタと落ちてゆく。


「ううう〜えずかあぁ!」


 ドゥリンダナの継承直後の、全くコントロールできていなかった頃のレギーナを知っているミカエラは、根源的な恐怖を拭えずにいる。


「信じとうけん付き合っとるばってん、やっぱ慣れんばい。おおえずか!」

「レギーナさんならきっと大丈夫だよ。今だって斬られなかったしね」


「もし万が一斬られた時のためにアルミタを待機させておりますので、皆様どうかご安心を」

「いや微塵も安心できないんですがねぇ!?」


 訓練を見守る侍女アルターフが冷静に発言して、それにナンディーモが震え声で噛み付いている。まあ彼はレギーナが実際に“開放”して戦っている場面を見たこともなければ、先日の朧華の教導の際も見ていなかったのだから、いくら口で大丈夫だと言われても信じきれるものでもないだろう。

 というか、斬られたが最後で即死するだけなのではなかろうか。


「心配せんでちゃ良かてナンディーさん。当たったら損ばってん、当たらんっちゃけん大丈夫て」

「いやじゃ済まないでしょ絶対!あと僕ナンディーモですってば!」


「大丈夫よ、見えてるから」

「あっ、レギーナさんお疲れさま」

「まだ疲れてはないけど、ありがとうアル。でもそうね、次からは立ってるだけじゃなくてみんなにバラバラに動いてもらおうかしら?」

「ううう嘘でしょおおお!?」


「んー、天眼の理解は順調に深まっているけれど、さすがに人を相手にそこまでさせるのはちょっと早い・・かなあ」


 やはり訓練を注視していた師匠・・の朧華がそう発言して、ナンディーモはあからさまに安堵の表情を浮かべた。


「てか僕シャーム国から帰ってきたばっかりで、なんでこんな目に遭わないといけないんですかねえ!?」

「そらナンディーさんが帰ってくるタイミングのけんやん」

「言ってる意味が!全っ然分からないんですけどねえ!?てかミカエラ様だって怖がってたでしょ今!」

「そうやったかね?憶えとらんばってん」

「うわこの人最低だ!」


 ちなみにナンディーモが仕入れて持ち帰ったシャーム鋼の金塊ならぬ鋼塊こうかいを受け取ったミカエラは、満足げに笑って礼を述べるとともに代金を支払い、早速それを梱包して国王ヴィスコット3世宛の信書とともにエトルリア王宮に[転送]済みである。鋼塊は別途に託した手紙や発注書とともにエトルリア国軍の手によって、エトルリアの北部国境地帯にあるドワーフの都『岩都がんと』にいる、ドワーフ王にして七賢人のひとりでもある“岩窟の隠者”ゴルドニクに届けられる手はずである。

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