源星に一番近い星
EPISODE 1
「いってぇ…」
尻餅をついた拍子に放り出してしまった鎌を拾う。
「死神になったからには完璧な着地を心掛けないといつか骨折するよ」
「なんであんたがここにいるの」
「お前が派遣された場所はサミエドロとは違う点があってね。説明をしにわざわざ来てあげたんだよ」
話しを聞けば、普通の神の選抜は沢山の対象者がいる中で死神が選ぶものだという。でもこの星には老婆が一人しかいないらしい。
「お前には彼女を神として選抜するか否かの決定を下してほしい。じゃあ…よろしくね」
「その老婆って一体どこに…」
もう消えていなくなってる、勝手な奴。そこは自力で探せってことか。
渋々立ち上がり、服についた砂を落とそうとするが――
「なにこれ濡れてんじゃん」
くるぶしよりも低いが水が張っていた。
尻餅をついたおかげで、黒い服がお尻の部分だけ見事に白い砂でどろどろだ。
騎士を探しても見当たらず、途方に暮れる。
「最悪」
諦めてあいつの言ってた老婆を探すことにした。
「ねー、誰かいないのぉー」
歩いても歩いても生き物の影すら見当たらない。ただただ殺風景な景色に、どこまでも続く浅瀬。
足の裏には水底で積み重なっていた小石が僕の体重に負けて動く感覚。一歩踏み出すと水中で白い砂が舞うのに、不思議と水は濁らない。
自分んの息遣いが聞こえるような静寂がかえって不気味な空間をしばし歩いていると、不意に足元をくすぐられる。
「わあっ、ニジマスだ」
既に汚れてしまった服のことは気にせず、光を反射して鱗を七色に光らせるその魚に顔を近づけた。
「あれ、よく見ると違うな」
光を反射していたのは鱗ではなかった。魚の身体は好けていて、どうやら水の揺らめきが光を反射して七色に見えていたようだ。
それに不気味なこと二、魚はこちらを見上げていて、明らかに目が合ってしまっている。
「何か言いたそうな目だね」
「…」
「君さ、ここに住む老婆を知らない?」
「…」
「その人に会いたいんだけど、どこにいるのかわからなくて」
透明な魚は視線を水中へと落とし泳ぎ去ってしまうのかと思いきや、少し先で止まった。
「ついて来いってこと?」
「…」
無言の圧力に負けて、魚を追う。
「ただそれっぽく泳いでるだけだったら焼き魚にして食べちゃうから」
どれくらい歩いただろうか。
靴の中は水浸しで、足を持ち上げるのが普段よりも重かった。
「…ついたぞ」
「は?」
思いのほかバスな声音が足元から聞こえ、武者震いする。
「冗談はやめてよ」
魚がしゃべるなんて。
「その言葉、そのままお前に返そう。次私に向かって焼き魚などと豪語してみろ。死よりも痛い目をみることになるぞ」
「はいはい、案内ありがとね」
納得のいっていない不満げな顔で魚は去って行った、こう言葉を残して。
「あの方をどうか傷つけることだけはしないでくれ。なぜならお前は…」
最期の方が水のせせらぎで上手く聞き取れなかった。どこを見ても水に流れなんてないのに。
濡れていない岩に老婆が腰かけていた。思ったよりもお年を召していそうだ。
「こんにちは、おばあさん」
気持ち大き目の声で話しかける。背後からだと驚いちゃうと思って、ちゃんと横から顔を覗くように。
俯いて一点を見つめていた老婆はゆっくりと声に反応し、僕の顔を見た途端隙間だらけの歯を見せ笑った。
「おかえり
涙人?
「帰りが遅いから心配したんだよぉ」
誰かと人違いしてるみたいだ。
「僕は涙人じゃ…」
「まあまあ。ここんい座りなさい」
人違いに気づかず心躍らせている彼女の姿を見て、人違いだという事実を伏せることにした。
「ねえおばあちゃん、おばあちゃんは僕のいない間何をしていたの?」
「水に沈んでる尖った小石をひたすら研磨していたよ」
きっと時間を持て余していたんだな。早く涙人っていう人帰って来てあげればいいのに。どこに行っちゃったんだろう。
この星にいるのはこの人だけだってあいつは言ってたけど、嘘じゃんか。なんか妙な魚だっているし。
「京は泣かないんだねぇ」
「泣く?」
「そうだよ。涙人はねぇ、いっつも泣いてたんだよ。生まれた時から泣き虫だったからねぇ」
涙人って人、どんだけ泣き虫なんだ。
「泣いて泣いて、誰も泣き止ますことふぁ出来なかったんだ。おかげさんで、この星は涙でいっぱいさ」
どこからも湧いていないのに途切れていないこの浅く張った水は、涙だったんだ。
「ずとないているからてっきり水の魔法に恵まれたのかと思ったんだけどねぇ。涙人の父さんも母さんもお前も魔法が使えなかったねぇ、残念だねぇ」
この星では魚が流暢に話すんだ。魔法が存在してることがわかったくらいじゃ今更驚かない。
それより――
「おばあちゃんは魔法が使えるの?」
「もちろんだよ。…見るかい?」
「うんっ」
彼女が勘違いしていることをいいことに、魔法を見せてもらうことに成功した。魔法使いになんてもう二度とお目にかかれないかもしれないからね。
老婆は水に下り立ち、ボロの服の袖を腕まくりした。
「しばらく使ていないのだけれど、上手く出来るかねぇ」
魔法を見たのは生まれて初めてだ。
兄さんも魔法の《ようなもの》を沢山見せてくれたけど、それは科学に基づいた物。本物の魔法を見るのは初めてだった。
「凄いよおばあちゃん」
「そうかいそうかい」
地球では、存在しない魔法を小説の中で描いたり夢見たりする。大昔は術なんかが存在していたのかもしれないけれど、僕は見た頃がなあったから信じていなかった。だけどここには確かに魔法が存在していた。
ここには確かに魔法が存在していた。
魔法が使える世界なんて一体…
「おばあちゃん、この星って宇宙のどこにあるの?」
「小さい頃に話してあげたと思うんだけどねぇ、きっと覚えてないんだねぇ」
すると老婆は骨ばった人さし指の先で宙に何かを描き、手が止まった瞬間中空に絵が浮かび上がった。それはさっき星くんに見せてもらった絵巻の内容と似ている。
「ここはねぇ、この世界が生まれた源である源星から、他のどの星よりも近い星なんだよぉ」
「一番近い?」
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