第11話 十二月十日はベルトの日(伊藤家シリーズ)

 日本服装ベルト工業連合会が制定。実用性、ファッション性、 そしてギフト製品としても需要の高いベルトの良さをアピールするのが目的。

 日付は奈良の正倉院に収蔵されている日本最古のベルトの本体に紺玉の飾りが付けられており、紺玉は十二月の誕生石のラピスラズリのことなので十二月。十二月に流れるクリスマスソングの「ジングルベル」の「ベル」に、十日の「ト」を組み合わせて「ベルト」とする語呂合わせから。



 月曜の朝、出勤するためにスーツに着替えていた俺は、スラックスを穿こうとしてショックを受けた。ベルトがいつもの穴では留まらないのだ。

 最近ベルトが苦しい自覚はあったが、今の穴で留められないのはショックだ。なぜなら今の穴は、数か月前にもう一つ短い穴から伸ばしていたからだ。今の穴で使えないと、残りは一番先の穴しか残って無い。


「どうしたの?」


 ヤバい。ごそごそやってる俺を見て、妻が不思議そうな顔して訊ねてくる。


「いや、何でも無いんだ」

「あっ、もしかしてスラックスが履けなくなったの?」

「ち、違う。スラックスは穿けるんだが……」


 妻に太ってきたことを感付かれると、どんな反応されるか分からないので焦る。


「ああっ! 何? そのベルト。もう先に穴が無いじゃない!」

「も、もう行かなきゃ遅刻するよ」

「最近太ってきたと思ってたのよね……」

「じゃあ、行って来る」


 俺は妻の追及から逃れる為に、急いで家を出た。



 会社で仕事をしていても、ベルトの穴の件が気になって集中できなかった。

 太り過ぎなのかなあ……。


「伊藤課長、前に受けた健康診断で要再検査と出てますから、また診断を受けて下さいね」


 総務課の課員から健康診断の結果表と一緒にそう告げられた。


「肝臓か……」


 結果表では肝臓の数値が異常で要再検査となっていた。


「肝臓はお酒の飲み過ぎか太り過ぎですよ。気を付けてくださいね」


 総務課員はそう言って、戻って行った。

 ベルトの穴に続き、ショックな出来事だ。酒は好きだが、肝臓を壊すほどは飲んで無いので、太り過ぎが原因だろう。考えると憂鬱になった。



 仕事が終わり、家に帰った俺を待っていたのは、ダイエット食材を使った夕飯だった。


「今日からダイエット始めようね!」


 笑顔の妻が俺にだけ特別にダイエット食を作ってくれたようだ。大根やこんにゃくを使った料理がメインで、俺の好みではないが文句は言えない。


「ビールを取ってくれる?」


 テーブルにビールが出ていないので、忘れていると思って妻に頼んだ。


「ベルトの穴が元に戻るまではビールも我慢しましょうね」

「ええっ……」


 まだ肝臓の再検査の件を妻には言っていない負い目があって、不満ではあったが強くは言えなかった。


「あと、康介のジョギングにあなたも付き合って走ったら? 食事だけじゃなく運動も必要よ」

「それは勘弁して。あいつと走るのは自殺行為だ」


 長男の康介は高校の現役野球部だ。俺も運動部だったが、現役と走るなんて絶対に無理。


「仕方ないわね。とりあえずダイエット食は続けるよ。買い食いとかしないでね」


 こうやって俺のダイエットが始まった。


 一週間経ち、二週間経ち、徐々に効果は出始めているが、ベルトの穴が元に戻るまではまだまだ続ける必要がある。そのうちに俺の我慢が限界に達してきた。

 そんなある日。俺は会社で部下たちが、仕事終わりに飲みに行く話をしているのを聞いた。その話を聞いた途端、それまで我慢していたものがプッツリと切れた。


「俺もその飲み会に行っても良いか?」

「あっ、課長。でもダイエットで禁酒しているんじゃないんですか?」

「たまには休憩しないと精神的に持たないんだよ」


 俺は妻との約束を破り、飲み会に行ってしまった。



「ただいまー!」


 俺は久しぶりにしこたま飲んで、上機嫌で帰宅した。


「こんな時間までどこに行ってたのよ!」


 俺は飲んでる最中に入って来た妻からの連絡を全て無視していた。


「部下と飲み会でーす!」


 怒りで妻の顔色が変わった気がするが、酔いが回っていた俺は気に留めなかった。そのまま妻の横を通ってダイニングに向かう。冷蔵庫から冷たいお茶を取り出して、コップに入れて一気に飲んだ。


「どうして、飲みに行ったの?」

「たまに飲むぐらい良いだろ」


 俺がそう言うと、妻は黙ってリビングに行き、指輪の箱を持って来て、テーブルの上に置いた。


「これ、返すわ」


 その指輪は俺が夢を実現する為にと妻にプレゼントした物だ。その夢とは……。


「あなたは私と歳を取ってもずっと仲良く暮らしたいと言ってこの指輪をプレゼントしてくれたよね? 私は指輪なんてくれなくても良かった。その言葉だけでも嬉しかったの。私だって同じ気持ちだったから」


 悲しそうな表情の妻を見て、俺は酔いがいっぺんに醒めてしまった。


「私もずっとあなたと仲良く暮らしていきたい。でも健康じゃ無ければそれは出来ない。あなたにその気が無いのなら、この指輪は意味が無いから返すわ」


 俺はとんでもないバカ者だ。嫁の気持ちを無視して傷付けてしまった。


「ごめん。悪かった。本当に悪かったよ」


 俺は謝り倒して、なんとか今後の行動を見て許して貰えることになった。



 その後は当然約束を守り禁酒とダイエット食で頑張った。


「二人とも無理すんなよ」


 そう言いながら、康介が俺と妻を追い越して行く。

 俺と妻は康介が三周するジョギングコースを、毎晩一周だけウオーキングしている。

 一人だと面倒なことも、二人だと楽しい。俺は妻と雑談しながら毎日楽しく歩いている。このままずっと二人一緒に、健康で仲良く暮らして行くために。

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