参の5
少し目を離した隙に、カカも同じジャケットを着用して、執拗に同調を目で求めてくる。つまり「いますぐ着てみせろ」と圧力をかけているのだ。
些か、恥ずかしくもあるが折角のプレゼント……。左吉は苦笑いをしながらも、カストロコートを脱いでカーキ色のジャケットに袖を通す。見た目の割に、意外と身体によくフィットしており、伸縮性に富んだ布を使用しているようだ。とは言え、派手な装飾部分もあり、長臣のような中年が着るには酷な気がした。
カカは得意気に言う。「おい。なんか、気分がアガってきたなっ」
「あまりはしゃぐなって。遊びにいくわけでもあるまいし」
「はぁ、ほんと左吉は真面目だねぇ……」
「カカが浮かれ過ぎなのさ」
「まったく、調子が狂うのう」
そう言うと、カカは冷めた瞳で珈琲を口をつける。
左吉の連れない態度に不服はあったものの、以前に上京してきたネムラズの連中をみれば自明の理だった。やたらと堅物でノリが悪く、笑いもしない。これも北国特有の軋轢と抑圧の産んだ弊害なのだろう。滅多なことでは調子には乗らず、勝って兜の尾を締めるような用心深さが身に染みていた。
──その時だった。
唐突に電話の鳴る音が響き渡る。まだまだ、早朝の時間……。電話を掛けてくるには非常識な時間帯だった。だが、急を要する事態となれば話は別だ。呼出し音が何度も鳴り、事務所横の仮眠室から誰かが飛び起きたような様子が見えた。
そしてけたたましく受話器を手に取り、長臣の野太い声が木霊する。
その受け応えする声色からして〝あまりよくない知らせ〟であることが察せられた。余程の緊急事態なのか、電話先の慌て様が手に取るように分かる。
悪い予感ばかり的中するもの。左吉は珈琲を全て飲み干してから、サーバーにある残りの珈琲を水筒に移し替える。カカも電話を内容を盗み聞きしつつ、手元にある肩掛け鞄を緩慢に掛け直す。電話の音を聞きつけ、寝巻き姿のミユキまで起きてくるのだった。
やがて、寝癖で髪を逆立たせた長臣が事務所の窓から大声で叫ぶ。
「すぐ出航するぞっ! ミユキ、遊佐を叩き起してきてくれっ!」
猫のような目を丸くして小さく跳び上がり、ミユキは遊佐の寝床へと駆け出してゆく。カカも携帯通信機器を取り出して連絡を取りだしたのだった。物々しい雰囲気に包まれるなか、左吉も荷物を纏めて、仮眠室から寝ぼけ眼で飛び出てくる九十九に乗船の合図を身振り手振りで送る。
……何が起きているにせよ、とにかく善は急げだ。こんなこともあろうかと、昨夜の内から荷物の積み込み作業を全て終えていたのだった。いつでも出れるよう万全を尽くしておくもの。あとは手荷物だけ持てばいい。これも、日頃から体に染み込んでいる習慣の賜物でもあった。
「おい、カラスっ! いったい何がどうしたんだよっ!」
「いいから、早く船に乗れ。直ぐ〝タイソン〟が乗り込んでくる」
九十九の顔色が変わる。「ああんっ? タイソンって、まさか米帝の特務機関かっ?」
「そのまさかだ。愚図愚図するなっ!」長臣が檄を飛ばす。
次いで、厳しい剣幕で遊佐がやってきた。「そうよっ! だから、はよう行ってっ! ここを出る前に捕まったら元も子もないっ」
遊佐は長い髪を後ろに縛り、例の民族衣装を羽織りながら小走りで揚陸艇へ向かってゆく。九十九も右往左往しつつも「こりゃ、一大事だわな」と、
白く広がるアスファルトを蹴り上げ、激しく舞う積雪。遊佐を先頭に九十九、カカ、左吉と続く。雲間からうっすらと光が差し、神々しいまでの光景。朝日に照らされて輝く揚陸艇は、見惚れるほどに美しかった。
風雲急を告げるような展開ではあるが、左吉にとって襲撃沙汰は初めてではない。去年の冬場を振り返れば、武器を携えて幾度もなくオロス人と戦ってきたのだ。その結果、双方が犠牲者を出し、大事な仲間を失った。きっと、復讐などに意味などないのだろう。だがしかし、それでも尚、戦わなければ全てを奪われてしまう。それならば、徹底的に抵抗するまで……。これは己にとっても弔い合戦の始まりでもあった。
そうして、遊佐が一足先に乗船し、操舵室へと勢いよく駆け上がってゆく。
半裸の九十九は係留してあるロープを外してから、急いでもう片方への係留止めへ走り寄る。カカは収納されている機動戦車のバックアップ席の中へ……。左吉はそれに倣い乗船するや否や、船の各機器の点検や安全確認を急いでいた。
どうやら各々が率先して、やるべき事を淡々と熟しているようだ。
誰に命じられることもなく、自らの意思で動いている。左吉、遊佐、九十九と、まだ二十歳そこそこの若者でしかない。だが、其々の組織から自信をもって輩出してきた生え抜きでもある。このチームにミスキャストは存在にしない──。それが、魔女が導きだした大まかな見解でもあった。
流石と褒めてはなんだが、非常に手際が良い。よく訓練されている。驚いたことに、ものの数分で出航の準備を整えてしまった。その仕事ぶりからして、左吉と九十九の相性は意外と良いのかもしれない。お互いにしっかり声を掛け合い、阿吽の呼吸で船内作業をしている。
──長臣は遠目でそれを確認すると、ミユキの方を改めて見定めた。
もう少し余韻があっていいものだが、この手の旅立ちというのはいつも突然だ。しかし仕事柄、二人が婚約した当初から覚悟していたことではある。……とはいえ、妻であるミユキに人並みの幸せを与えられないのが不甲斐なかった。
「いつも、迷惑をかけるな。エヴァの警備を頼むぞ」
「うん、あとは任せて。そのうち応援に駆けつけるからさ」
照れ臭そうに長臣は言う。「……でだ、全て終わったらな。ゆっくり旅行にでもいくか。初夏の東北旅行も悪くない」
「ふふふ、本当は温泉に入りたいだけでしょ? 期待しないで待ってるわ」
そう明るく、気丈にミユキは振る舞う。でも、別れ際はいつも切なかった。
これが、今生の別れになっってしまうのではないかと一抹の不安も覚える。だからこそ、これが最期かもしれないと、長臣も出来る限りの愛嬌で応えるのだった。たとえ、死んでしまったとしても、悔いが残らないように……、この瞬間だけを深く心に焼き付けるのだった。
揚陸艇からエンジンの重い始動音が木霊する。見た目に反して、かなりのトルクがありそうな船だ。次いで、先を急かすように何度も内燃機関を蒸すのだった。それは、船の操舵を担当する遊佐が「はよう、乗船してくれ」と、終始苛ついているのようにも聴こえた。
名残惜しそうに長臣が言う。「……それじゃ、いってくるわ」
身体に気をつけてね、と。ミユキは小さく手を振る。
そうして、乱れた頭髪を抑えて、長臣は右手だけを挙げて揚陸艇へと小走りで去ってゆく。白く降り積もった雪に足跡を残して。前方の揚陸艇は離岸のための準備をはじめ、門戸となる船首の踏み板がゆっくりとせり上がってゆく。長臣はすぐ板に飛び乗って、最後にもう一度だけ倉庫棟へ目を遣った。
だが、そこにミユキの姿は見当たらない……。
さすが〝天満〟の血筋というか、身の熟しの良さだけは一級品だ。
現代の忍者というべき行動力の速さは、他を圧倒するものがある。率直に言わせてもらえば、長臣が上手くやれているのも、全て妻「ミユキ」の内助の功があってこそ。自分の代わりにカラスの頭領になって欲しいぐらいだった。
そして、もう魔女のエヴァを回収をしたのだろうか──。
駐車場から勢い良く発車する一台の車両が見える。車を急加速させ、積雪の路面も物ともせず、綺麗な湾曲を描いて曲がってゆくのだった。後部座席には、ひっくり帰っているエヴァの白い足が目に入る。次いで、揚陸艇から少し見える位置まできてクラクションを長く鳴らすのだった。
まるで高く鳴り響く汽笛のようだ。彼女らしい、粋な真似をしてくれる。
元気にいってらっしゃい、と言わんばかりに彼女はエールを皆に送るのだった。思わず長臣の顔から笑みが溢れる。白く泡立つ波しぶき。揚陸艇は徐々にそのスピードを上げ、晴海埠頭から一気に離れてゆく。煙草に火をつけ、消失するように去りゆく車の影を朗らかな表情で眺めるのだった。
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