[我哭守村]

 市町村合併で[かなも町]に名称変更されてから5年。

 旧が付いた我哭守がなも村は風景も人の流通の面でも何ひとつ変化はなく・・・・というより変化をうながす外的影響もなく存続していた。


 現在は[町]となったその入り口に通じる国道は県内の都市部と繋がっており車移動の便も良く、物資の調達にも何ら不自由さはない。

 隣県との境に標高700~800メートルほどの低山が三つ連なった御之三山おんのみやまという小ぶりな連山があり、春には中腹の桜林さくらばやしが美しい彩りを見せ、麓にある勾玉のような形状の神魚池じんぎょいけは透明度のある水面に朝靄あさもやがかかる様が日本画のような風情を見せる。

 つまり風光明媚。

 自然の安らぎと癒しに満ちている地域・・・・一見は。


 が、本来は昭和の高度成長期の頃から通勤圏のベッドタウンとして開発の手が伸びていても不思議ではなかったこの地域は文明開化の明治、否、それ以前から、縁故の無い余所者よそもの新参者は住めない住まわせない・・・・を当然としてきた。

 外部の者との交流は最低限ながらあり、知り合いとなった者が訪ねてくることや花見や紅葉狩りで2,3日滞在することはある。

 が、居を構え住むことは許されない。


 何故なら──そこに我哭守村の長い歴史の存在理由がある。


 室町時代、14世紀~15世紀へと変わる中期の頃、東アジアとの交流に通じていたとある権力者からの要請により◯氏という某国の謎の一族が日本に渡来した。

 幕府の影のフィクサーとも言うべきその権力者が何故"彼ら"を呼んだのか?

 それは彼らが"異能の者"であったためだ。


 西洋の魔術でもなく東洋の密教や陰陽道とも異なる、彼ら独自の能力と歴史。

 太古から伝わる幾つもの"決まり事"を重ね合わせ秘儀を執り行えば〈世に叶わぬこと無し〉という、究極の奥義。

 その存在を知り、そこに自身の野望を託す価値を見い出だした権力者が三顧さんこの礼のごとくの熱意で日本へ招聘しょうへいした。


 やがて時の変化の過程で一族の半数は帰国をしたが半数は日本に残り、代々、縁の生じた者たちの欲の依頼を受けながら特殊なコミューンを築いてきた。


 その彼らが定住し、彼ら仕様に独自に作り上げた地。 

 それが御之三山おんのみやまの麓、我哭守村がなもむらである。


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 幼少期から幾度も幾度も聞かされ学ばされてきた村の歴史、自身のルーツ。

 私の中に流れる渡来人◯氏の血。


 追手の迫る緊迫の状況の中、あらためて蘇る洗脳的記憶。

 最後に見た母の形相。


 母────私に逃げられた"あの人"は今、どうしているだろうか。


 





 

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