第12話 初めてのシャンパン
お一人さまパーティーの会場は桜沢さんの自宅だった。桜沢さんは実家住まいなので、大勢で集まって迷惑じゃないのかと聞くと「気にしないで」という返事だった。
電車を降りて、スマホのGPSマップをたよりに教えられた住所に向かって歩いていく。駅前の商店街を抜けるとあたりはだんだんと静かな住宅街に変わり、一軒あたりの敷地が広くなっていった。庭木をクリスマス用に凝ったイルミネーションで飾り付けている家もある。やがて、GPSマップが目的地に到着したことを示した。
門構えを見て僕は驚いた。古いレンガ組みの塀に囲まれた豪邸で、こんもりと庭木が茂っている。表札を確認すると確かに「桜沢」となっていた。桜沢さんって、お嬢様だったんだ。
インターホンを押すと、桜沢さんの声で応答があった。「門は開いてるよ」と言うので、僕の背丈ほどある門扉を押し開けて玄関を目指す。庭には池まであった。僕の田舎でも農家だとこのぐらいの庭は珍しくないが、東京と田舎の地価の差を考えると、土地の値段は優に一桁は違うだろう。
大きなリースが飾ってある玄関ドアを開けると、サンタ帽をかぶった桜沢さんが、「いらっしゃーい」と言うが早いか、クラッカーを鳴らした。僕は思わず「わっ」と叫んでしまう。
「出迎えの儀式。みんなにやってるの」と桜沢さんはケラケラ笑っている。奥からお母さんらしき人の声で、「史香、いいかげんにしなさい」と言っている。史香というのは桜沢さんの名前だ。玄関のたたきにはすでに何足もの靴が並んでいて、廊下の奥からは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「来るときに迷わなかった?」長い廊下を歩きながら桜沢さんが聞く。
「迷わなかったけど、桜沢さんって、社長令嬢か何か?」
「まさか。パパは普通のサラリーマンだよ。おじいちゃんが土地持ちなの。この土地もおじいちゃんのものなの」
この広い家に両親とおじいさんと4人暮らしだという。おじいさんはこのあたりにアパートやマンションをいくつか持っているそうだ。社長令嬢じゃなくて、資産家令嬢というわけだ。
それにしても、桜沢さんは普段はそんな様子はみじんも感じさせない。ブランド物を身につけるわけでもなく、大体、アルバイトまでしているぐらいだ。桜沢家の教育方針なのだろう。
長い廊下を歩いて、10畳ほどの洋間に案内された。壁面には暖炉があり、天井には古風なシャンデリアが下がっている立派な部屋で、すでにアルコールが入っているらしい5~6人の男女が騒いでいた。
パッと部屋を見渡すが、やっぱり美緒ちゃんはいない。分かっていたことなのに、どこかでがっかりしている自分が嫌だ。僕は一瞬曇った気持ちを追い払った。一人鬱々とアパートで過ごすよりましじゃないか。
桜沢さんが、僕をそこにいるメンバーに紹介した。男子1名、女子2名が桜沢さんと幼稚園から一緒の友達で、残る男女各1名が大学の同級生ということだった。
「お一人さまパーティーっていうけど、陽菜ちゃんの彼氏は仕事で会えなくて、栗原君の彼女はコンサートで会えないんだから、この二人は本当はお一人さまじゃないんだけどね」と桜沢さんは言った。
栗原君と呼ばれた子に「コンサートって?」と聞くと、彼女は音大生で、大学主催のクリスマスコンサートがあるので今日明日は忙しいのだそうだ。
「そういえば、熊谷君も彼女できたんだよね」と桜沢さん。そうなのだ。あいつもついに、念願の年上美人と知り合えたらしい。お狐さまレベルの美女はそうそういないと思うが、生身の女性に目が向いたのは何よりだ。
「そう。整形外科で知り合った年上の理学療法士」
熊谷はフットサルサークルの試合で捻挫して、リハビリに通院していた整形外科で理学療法士のお姉さんを口説いたのだった。
「俺の好みとしては、もうちょっと年上のほうがいいんだけどなー」などと言いつつ鼻の下を伸ばしていたのが憎たらしい。「お狐さまほどじゃないけど、かなり美人でさ」と惚気ていた。あいつ今頃、年上の理学療法士とよろしくやっているのだろうか。
そこに「みんな、唐揚げよー」と、山盛りに盛った唐揚げの大皿を持って、エプロン姿の桜沢さんのお母さんが入ってきた。
「食べ盛りの男の子も来るっていうから張り切って揚げたわ。どんどん食べてね」
桜沢さんとどこか面差しが似ている。元気な普通のお母さんという感じの人で、全然お金持ちの奥様然としていなかった。
「史香。おじいちゃんがシャンパン空けてもいいって。取りにいらっしゃい」
おお、太っ腹だ。僕はバイト先のスーパーでシャンパンの値段を知っている。見た目は庶民的でもやっぱりお金持ちだ。
僕はこの日、生まれて初めてシャンパンを飲んだ。
気がつけば、テーブルに並ぶお酒も料理も、会費以上に豪華な気がする。桜沢さんにそう言うと、
「いいのいいの。お誕生会以来だから、ママ張り切ってんのよ」
家族の愛情を一身に受けて育った一人娘ならではの屈託ない口調だった。桜沢さんが少々空気が読めないところがあるのも、恵まれた環境ですくすく育った故だと思うと納得なのだった。
集まった面々は桜沢さんの友達だけあって、妙な壁を作らず話せる子たちばかりなので、初対面の居心地悪さを感じずに済んだ。僕は初めて飲んだシャンパンにすっかり酔っ払い、何を話したかよく覚えていないのだが、桜沢さんのお母さんの唐揚げがおいしかったのは覚えている。
9時頃、誰が言うともなくそろそろお暇しようということになった。僕たちは飲み散らかしたグラス類やごみをざっと片付け、あとは桜沢さんの幼馴染の陽菜ちゃんが残って手伝うというので任せることにして、桜沢邸を後にした。
アパートに着く頃には、さらに酔いが回ってきて、僕はシャンパンが後から効いてくる酒だということを学習した。コートを脱いで床に投げ捨てると、そのまま服も着替えずに眠ってしまった。
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