第6話
始業式が終わり、諸連絡の通知が終わるとその日は解散となった。
調がトイレから戻ると、依月はカバンを持って教室を出るところだった。
「あ、俺新入生歓迎会に合わせて部活の打ち合わせがあるから。先帰っててよ」
「ああ」
依月は誰とでも仲良くなれる明るいタイプで、且つ大体のスポーツも軽々とこなしてしまうからかサッカー部やバスケットボール部、陸上部など確か三つほど掛け持ちをしている。調は誰かと関わることを幼少期から苦手としているため、一年生から帰宅部に徹している。
たまに文芸部から部誌への寄稿を頼まれるが、本を読むことは好きだが文章を書くのは得意ではないことは分かっているので断っていた。
調が教室を出ると、「調ー」と後ろから声がした。
振り返ると大きく手を振る菜月と、確か朝のホームルームの前に声を掛けてきた加賀見頼という女子が一緒に並んで立っていた。
「そのまま帰るんでしょう。私たちと一緒に帰ろう」
「いや、女子は女子同士で帰れば―――」
「いーから!駅前に美味しいファーストフードが出来たから行きたかったの!食べて帰ろう」
「ごめんね、一ノ瀬くん。お邪魔させてもらうね」
加賀見頼は目の前で手を合わせながら楽しそうに笑っている。
調より二十センチほど背の低い菜月の強い力に引きずられ、有無を言わさず連れていかれる羽目になった。
一年ほど前、調たちが入学する頃に駅前にマンションの建設の話が持ち上がり、近隣住民が騒音や日照問題などで反対の声を上げていた。結局、建設論争は発展せず頓挫したのかそれから建設される気配はなかった。だが、相変わらず駅前の商店街の一角には「マンション建設 断固反対」という赤字で力強く印字された横断幕が掲げられている。
住民たちの強い意志とは反して、駅前は中高生たちが好みそうなゲームセンターや可愛らしい飲食店などが次々に入り、華やかになっていった。
「何かさ、こんなにたくさんお店を誘致するんだったらマンション作った方が利用客ががつっと増えそうな気もするんだけどね」
横断幕を見上げながら菜月がぽつりと呟いた。
「ちょ、菜月ちゃん。誰が聞いているか分からないからあまりそういうことは言わない方がいいかもよ」
頼の制止の言葉に、菜月は納得がいかないのか首を傾げている。
「……クラス替え初日でもう下の名前で呼び合うほど仲良くなったんだな」
調の言葉に菜月はピースサインを作り、
「もうクラスの三分の一の女子たちとはLINE交換しちゃったよ。調は昔っから警戒心強くて、依月くらいしか友達がいないんだよねー」
と楽しそうに言った。
「……別に、腐れ縁ってだけで友達とかじゃ」
「何か横から見ていても宇野くんと一ノ瀬くんも何を言わなくても通じ合ってるって感じだよね」
「何を見てどこを見てそう感じるんだよ」
調の低い声に頼は怖がるわけでもなく、ただにこにこと笑っていた。常にポジティブにとらえる性格なのか、どう接していいのか分からず調子が狂う。
「あ、あそこじゃない?なにわのバーガー吾郎」
「……凄い店名だな」
駅前のバーガーショップらしき店の前には調の高校の制服を着た生徒たちがたくさん並んでいた。その中に見知った顔を見つけ、目を見張った。
「律人……」
「え、律人くんいるの?あ、本当だ!だったら皆で一緒に食べようよ。調、声掛けてきて」
「いや、何か、友達と一緒に並んでいるみたいだぞ……」
ただし、律人は後ろにいる友人らしき男子生徒を一瞥もしていなかった。会話をするそぶりもない。同じ新入生のようだが、別に友人というわけではないのかもしれない。
声を掛けるべきなのか悩んでいると、律人の方から「兄さん!」と呼ぶ声がした。そして、列から飛び出すとこちらに駆け寄ってきた。律人の後ろに並んでいた男子生徒は一緒に来ることはなかったが、無言でこちらを見やっている。黒ぶちの眼鏡をくいっと上げながら立ちすくんでいる姿は、何だか律人にふさわしい身内かどうかを品定めをされているような気分になる。
「列を出て良かったのか?友達も一緒なんだろう?」
「友達?ああ、別にそんな存在じゃないよ。同じクラスにはなったけど、ただ僕の後を付いてきているだけ」
「でも、同級生なんだろう?良かったらあの子も一緒に俺たちと昼ご飯を食べないかって。菜月が」
律人は今気づいたかのように調の隣に立つ菜月と頼に視線を向けた。菜月は珍しく強張った表情を作っている。律人はすぐににこっと笑みを浮かべると、
「先輩たちの集まりにお邪魔するのもなんですし、僕は帰りますよ」
とさらりと口にした。調の隣からほっと胸を撫で下ろし緊張が解かれる気配がした。
「え、でも列に並んでいたんでしょう?」
「クラスでも話題になっていたので、僕というより兄さんと江本さんにお土産で買っていこうかなぁって思っていたんです。でも、兄さんがお店で食べるなら買わないで帰ります」
「お昼ご飯はどうするんだ?」
「んー最寄駅前の立ち食い蕎麦屋さんが気になっていたからそっちで食べようと思うよ。兄さんたちはゆっくりしていって」
律人は片手をふりふりと軽く振ると、そのまま改札口まで歩いて行った。律人のその後を先ほどの黒ぶち眼鏡の男子生徒が後を追って行った。
「……何か、凄くしっかりした弟さんですね」
頼の言葉に、菜月はこくっと小さく頷いた。
「うん、でも周りの大人たちの空気をひたすらに読んで読んで色々なものを押し殺して大きくなった気がする…って調の前で変なことを言ってごめん」
「いや、俺も律人のことはそうだろうなって、思っているから」
しばし、三人の間に沈黙が落ちたが、菜月が「並ぼうか」という言葉にゆっくりと歩みを進めた。
なにわバーガー吾郎は威勢のいい関西弁の店主が主に調理を担当しているようだった。
パテも肉厚でジューシーで噛み応えがあり、バンズもふっくらしていて美味しかった。自家農園があるらしく、野菜はそこで作られたもののようでしゃきしゃきしていて新鮮だった。
「おいしー!私、あまり生野菜ってたくさん食べる方じゃないんだけど、こんな新鮮な野菜だったらボールにいっぱいでも食べられそう!」
「本当、お肉も凄く美味しいね。私の家のハンバーグより凄く肉々しい感じ」
調はとくに感想を言うこともなく、無言で咀嚼していた。普段からあまり外食をすることもなく、大体江本さんの手料理を口にしているので珍しいという思いが強かったのもある。
「調と外で食べたことってほとんど無いよね?小さい頃、我が家の庭でバーベキューをやった時以来じゃない?」
「…そんな前だったか?」
「そうだよ。調、依月とも外で食べるってことほとんどしていないでしょう?」
菜月の言う通りかもしれない。思い起こせば、誰かと談笑しながらご飯を食べるということ事態もほとんど記憶に残っていない。普段、江本さんはご飯を作ってくれるが、自身のご飯は先か後に一人で済ますのが習わしのようで、小さい頃から調は一人でご飯を食べていた。それが日常であり普遍的なもので疑いもしなかった。今は律人と顔を合わせながら食べているが、律人もご飯を食べている間はあまり会話をしない。そして、調よりもあまり咀嚼をしないのかさっさと食べ終わってテレビを観ている。多分、コンサートやレッスンなどが小さい頃からひっきりなしに行われていた名残なのか、ゆっくりと食事をするという習慣がなかったのかもしれない。
調は小さい頃から江本さんに「しっかりと噛んで食べてくださいね」と言われていた所為か、それが体にしみ込んでいた。
そして、菜月たちの家でバーベキューをしたことを調はよく覚えていた。
美月が眉を寄せながら調の隣で苦手なナスに悪戦苦闘をしていた姿が脳裏に残っていたからだ。調がいた手前、残さないように少しずつ少しずつ嚙みちぎってゆっくりと噛んでいた。美月の頑張る姿に、調は自然と小さな笑みを浮かべていた。
あの眩しくも儚い日々が懐かしく、美月が菜月や依月たちと共にいないことがとても空虚で切ない。
「外で食べるのも、悪くないな」
自然と調はそう呟いていた。
「そうだね。今度は依月も一緒に皆で食べに来よう」
美味しいものを大人数で食べるのは楽しいし嬉しい。その感情を何年も前に味わっていたはずなのに過去に置き忘れていた。
調は美味しかったものを律人や江本さんと共有したいと思い、ハンバーガーを二つ買って行こうと決めた。
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