たった四年の自由 ー2024/7/8 Mon 19:10
「藤ヶ谷誠也くん。君のお爺さんが始めた藤ヶ谷製薬は、今は君の父親と伯父さんで経営している。けれど、伯父さんの方に男子は生まれず、次男である君のお父さん――その息子である君が唯一の男児。君は大企業、藤ヶ谷製薬の次期跡取り。だから君は伯父さんにとても可愛がられて育ち、学費や生活費も全て賄ってもらっている」
「……なんでそれを」
「君には多額のお金がかかっている。それこそ、君を人質に恫喝したのならきっとたくさんのお金を出してくれるだろう。君の父親ではなく、君を大事にしている伯父さん、がね」
「俺を脅すつもりなの?」
榊の言うとおり父親は俺がどうなっても見向きもしないだろう。むしろ居なくなって清々すると吐き捨てるほど。しかし、伯父は違う。幼い時から実の父親のように可愛がられ、養育費を親以上に出してくれた人だ。俺は伯父のため勉強に励んだ。
家の中で褒めてくれる人は伯父だけだったから。
「――伯父さんには関係ないだろう」
「あるよ? 私、あんまりお金ないの」
「――ぁ」
「御曹司の誠也くんなら、お金を持ってるよね」
まさか、それを狙って俺に?
「俺あの、実家と仲が」
「分かってるよ。父親から絶縁状態。母親は幼い時に死別。歳が離れた姉は蒸発。束縛がきつい実家から逃げて遠い離れたところで結婚したんじゃないかな。君も逃げるように実家を出て一人暮らし。でも、優しい伯父さんはこっそりと支援をしてるよね。膨大な貯金は溜まる一方。だって、君はそのお金に手を出さないようにしている、それはきっと君の育ちが良くて頼りすぎないようにしているから。それは勿体無いと思うんだぁ。経済を回さなくちゃ。高所得者がお金を貯めまくるから日本経済は衰退していくんだよ?」
なにを考えているんだ?
「君の生涯稼ぐであろう莫大なお金を担保に、面白いゲームをしようよ」
なにを言ってるんだ? なにがしたいんだろう。そして気づく。
――俺は今、脅されているのだ。
「君が負ければ全てを失い私の奴隷として」
それになんのメリットがあると言うのだろうか。なんのためにそんなことを?
「一生飼い慣らしてあげるから」
いいやこれに意味なんてない。ただ面白いから。俺が地面を這いつくばるのが見たいから。
「答えはイエスかはいだよ?」
もうすでに術中にはまった哀れな蝶。蜘蛛の巣に絡め取られその羽根は飛ぶ力を失っていく。もがけばもがくほど絡みついて逃れられない。
返事をする代わりに喉が『カヒュッ』と鳴った。
「良い子。とっても可愛いよ、誠也くん」
榊優菜は、毒蛾のような女だった。ヒラリヒラリと優雅な羽根は周りを魅了し虜にする。橋本大和のように一時期だけその役になり切るのとは訳が違う。根本からどうしようもないほどに、性根が腐っている。
榊の細い指が首元を撫でる。背筋がゾクゾクと粟立つ。肌を触られるたび、頭を撫でられるたびに意識はドロドロと飴玉を熱したように溶けていく。肌の感度が良い方では決してないはずなのに、まるで神経を直で触られているかのように脳が震える。耳元に息を吹きかけられる。
なんともいえない高揚感を抑えるために唇をギュッと噛み締めた。
耐えろ、耐えてくれ。耐えなければ耐えなければ。
「はぁ……はぁ……」
けれどもう、息が上がって苦しい。
「やっぱりその首輪、君の細い首にとてもよく似合ってる」
首輪と首の間にある僅かな隙間に指をするりと潜り込ませ、榊は誠也の首に収まった赤い首輪を持ち上げる。首が絞まるその恐怖と圧迫感に誠也が顔を顰めると、榊はにっこりと笑っていた。
その顔は可憐で美しく。
そしてとても邪悪なのだった。
◆◆◆
「君のお父さんも伯父さんもまだまだ現役。どうして製薬会社なのに薬学部にも経営学部にも入らなかったの?」
「それは」
「ねぇどうして?」
――それは言いたくないな。この口が裂けようとも、自分の本音を話したくはない。
大学を卒業すればまた戻る。伯父は優しい。けれど、俺に社長としての素質を求めてはいないことは薄々分かっている。というか俺に継がせる気なんてないだろう。俺は象徴として会社に置かれるのだ。誰も俺の手腕を求めてはいない。伯父がいればあの会社は回る。父は俺を嫌っている。
きっとこの世のどこにも俺の居場所はない。
「言わない」
行く学部は決めていいと言われた。
卒業する大学がここならあとはどうでも良い。
だから俺は好きなように、親友が俳優をやるなら心理学を勉強しなきゃと、彼に倣って学部を決めた。幼い時に母がお父さんは何を考えているのか分からないと言っていて、勉強すれば少しでも知ることができるのではないかと思ったから。どうして俺を嫌うのかも全て知りたかった。結果、勉強してみても父親の考えていることが分かるわけではなかった。けれどそれでも良い。
これは俺の人生で初めての長期休み。
四年間の自由。生涯で、たった四年だけの自由。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます