無窮の先で得たものは
古来より、人々が思い描く化け物を倒す方法にはそれほどの種類などない。
星の数ほど可能性から見出した、奇跡のような英雄による真っ向からの討伐。
貢ぎ物に毒を盛り、腹に収めて回った後に犠牲覚悟の袋叩き。或いは天災による共倒れ。
だがベントという科学者はそれを否定した。あの化け物は、勇者はその程度では倒せないと。
彼は優秀だった。研究内容は爪弾きとされようが、一目置かれた才と発想は本物だった。
故に導き出した結論はただ一つ。世界の崩壊と人々の怒りによって狂わされた天才が提唱したのは、そのいずれにも当てはまらない不可能を題目としたもの。
──すなわち、勇者アリスを殺せるのは勇者アリスのみ。それ以外に道はなしと。
つまりプロジェクトAAとは。
かつて勇者アリスから切断された右腕と心臓の情報を核とし、世界の崩壊の元凶である
それこそが
その姿を視認し、向かい合って挑もうとしてからしばらく。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの回数と期間、戦闘と呼べるものは成り立っていなかった。
初めは知覚すらままならず、自らの死さえ正しく認識できていなかった。
ようやく死を認識して、今度は現状を理解するのに頭がおかしくなるほど死を味わった。
けれども死は訪れない。……いや、正しくは死という安息に包まれないのだ。
そのときになってようやく理解した。あの翡翠の美女が、モドが残した言葉の意味の本質を。
これは意志の戦い。折れるか届くか、ただそれだけが要である決闘。
彼女の創ったこの世界では、死は身体ではなく心を折られた瞬間に訪れるのだと。それ故に発狂や崩壊も許されず、ただ殺されながらも活路を見出す他に勝つ道はないのだと。
だから即死を回避できたのは、実力は闘志ではなく純粋な恐怖故のこと。死の激痛と冷たさに怯えた故の、本能の防衛手段であった。
頭など碌に回らず。息を多きく乱し、生の実感を噛み締めながらそいつに視線を向ける。
驚愕はない。ただ戦慄してしまう。俺を何度も殺したのは別に攻撃でもなく、何なら牽制ですらなかったことに。
「ステータス、オープン……」
名称
レベル 200
閲覧不可
震えた声で唱えた先に覗けたのは、想像というハードルの遙か上を行くレベル。
覗けないだろうことはわかっていた。あれが俺を容易に殺せてしまう、格上であろうことも予想はしていた。
けれど明らかに埒外。絶対に勝てないでは済まされない、抗うことすら無謀でしかない一桁違いの差がそこにはあった。
──だが同時に理解する。俺を殺していたのは、彼女が発する濃密な魔力なのだと。
あいつが放つ、或いは漏らしているだけのそれこそが猛毒。人の生存に必要不可欠である酸素が濃度と割合を変えれば毒となるように、魔力も濃すぎればそこにあるだけで人を害するのだと。
そう気付き、次の死が訪れる前に急いで影と魔力の膜で全身を覆う。
思考が戻ってくる。脳に掛かっていた霧が晴れていくかのような、思考の億劫さが取り払われる。
そして鮮明になった認識は尚更に実感する。指では数えられないほど死を迎えたという現実を、目の前の怪物が瞼を開き、こちらを見つめてきているのを。
なんだよ、ここに至ってようやく俺に気付いたってか? ……舐め腐りやがってッ!!
『魔力波内において不可解な生存個体を確認。微弱な敵意を感知、放出濃度上昇』
機械的で抑揚のない、本物の
ついに可視化出来るまでに空気を汚す赤紫の霧に、もう一層膜を追加しながら舌を打つ。
湧いてくるのは、あれほど感じていた恐怖を上回る怒り。熱くドロドロと脈打つマグマすら凌駕する、粘着質で沸騰を通り越した熱。
果たして何に激情を見出しているのか、それは今の俺にはよく理解出来ていない。
けれど今はそれで恐怖が薄れるなら充分。それが燃料になるなら何だって良い。目の前で友達の偽物が兵器にされているからとか、そんな理由で構わない。
こいつは何としてでも壊す。粉みじんの粉砕じゃ足りない、完全にこの世から消滅させてやる。
『対象の生存を確認。魔力波での殺害は合理性に欠けると断定。直接行使での殺害を開始します』
そうしてあのヒトガタが身体をこちらに向けてきた、次の瞬間だった。
唐突に身体が何かに貫かれ、上半身の大半が穴と化す。そうして力を失い、地面へと伏してしまう。
その異常に気を取られていると、再び腹に激痛と喪失感。そして元通りに戻るを何度も繰り返してしまっていた。
『──異常を確認。対象の死亡後、不可思議な蘇生を感知。数回試行により偶発的な事象ではないと断定。類似事項を検索……
痛いのに傷がない。死んだはずなのに死んでいない。
さっきまでの非現実感とは異なる、認知できるその奇怪な現実味のなさに尋常じゃない不快さを抱きつつも、次の地面を転がり回避する。
直後、俺がいた場所へを通り過ぎたのは高純度の魔力の弾。……なるほど、あれが俺を殺した攻撃の正体か。
『回避を確認。対象は死亡の度に学習することを確認。
次の瞬間、ヒトガタは手を上げたと同時に背後へ現れたのは、空を埋め尽くす無数の魔法陣。
指の数より遙かに多く、即座に数えるのは不可能だと察するほどの数。
嫌な予感が脳を過ぎる。……まさか、あれ全部からさっきの即至級の攻撃が飛んでくる?
「く、くそッ──」
回避は不可能。迎撃はまず無理。ならばと影に潜ろうとしたが、それよりも早く魔力は届いてしまう。
まるで雨のように降り注ぐ魔力の弾に身は晒され、身体と命は何度も何度も引き千切られていく。
死んでは生き返り、生き返りは死ぬ。砲撃の嵐が止むまでの間、ひたすらにその繰り返し。
やがて五感が、痛覚が追いつかなくなる。生じるはずの痛みにラグが生まれてくる。
人として健常に生きるための器官に切れ込みが入るのを感じながら、それでも何も出来ずに押され圧され続けながら、ズレて違和感のみになった一瞬に影へと突き落とされる。
「げほっ、げほっ! くっそ……んァあッ!!」
逃げ出した先、影の中は地面も空もない空間。
黒一色の世界に漂いながら、ようやく追いついてきた
身体の制御が効かず、死なないという現象の報いに苦しむだけ。
こんなの、気が変になる。永劫にも思える痛みの連鎖など、まともな人間は受け止められるはずもない。
『──独自空間への接続を完了。掃射、続行』
「ッ!? くっそがァァァ!!?」
だが、そんな俺の状態などお構いなく。
僅か一時すらも休むことは許さないと、あのヒトガタは不可侵であるはずも影を切り裂き乗り込んできて、砲撃の雨は再び俺を襲い始める。
すぐに影に穴を開けて脱出し、今度は間に合ったことに安堵する暇もなく空へと跳ぶ。
地面に亀裂を起こし、影と繋がっていないはずの場所からぬるりと姿を出すヒトガタ。
隙はこの瞬間のみ。突かねば何も始まらない。
決断は一瞬未満。空間についての理屈などお構いなしに影の足場を蹴り、砲弾のように金槌を首へと叩きこもうと振り抜く。
──だが阻まれる。幾重にも積み重ねられた、波打つ魔力の壁が直撃を許してくれはしなかった。
『自動障壁の一枚損傷を確認。先の別領域などを鑑みるに、警戒レベルの上昇を提案。……確認。警戒レベルを一段階上昇。
雰囲気が変わったと、すぐさま後ろへ退いたと同時に世界の色は変わる。
周辺一帯に鏤められた無数の淡い光。何十、何百かもしれない星
が如き輝きの色々。
美しいと、その光景に思わず目を奪われてしまう。それが最大の愚行だとわかっているはずなのに、足を止めて魅入ってしまう。
その瞬間、数多の光に身体は蝕まれる。
赤、橙、黄、黄緑、緑、深緑、水色、青、紺、紫、桃色、朱色、白、黒。
焼かれ、溶かされ、貫かれ、絞められ、内をかき混ぜられ、奪われ、凍らされ、溺れさせられ、満たされ、染められ、昂ぶらされ、弾け、消され、押し潰される。
淡さにそぐわず、この世の全ての拷問を凝縮されたかのような色という名の暴力。
先の魔力砲などまだまし。数多無限の色によって、心という名の画用紙をひたすらに塗りたくられる。
苦しい。ただ苦しい。何をされているのかも、俺には理解出来ず、この地獄だけが続く。
『
永久に続く攻撃。色は容赦なく、絶え間なく俺を殺し続ける。
『続行、続行、続行。純度転換、再度続行』
死ぬ。
『
死ぬ。死んで生き返って、それからまた死に続ける。
『段幕では悪効率と判断、目的を消滅へと変更し一点集中。掃射、掃射、掃射』
死ぬ、生き返る。死ぬ、生き返る。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、生き返って死んでいく。
『生存、直後蘇生の波を確認。二種の魔法では不足と判断。──
また知らない攻撃が来る。灰になって尚焼け爛れ、ひたすらに命は摘まれていく。抗う術は、ない。
『沈黙を確認、攻撃を終了。三十六時間二十三分三秒の戦闘稼働における負担の軽減のため、一時冷却期間を制定。……否。再生、蘇生を確認。
やがて止まる攻撃。けれど身体は動こうとしない。心も穴だらけで、まともに働いてはいない。
何も感じたくない。何も考えたくない。もう苦しいことなど、味わいたくない。
──なのに。そのはずなのに。それが当たり前の本音の、はずなのに。
「……クヒッ。きひひッ、きヒひひヒッ、キヒひひひひッッ!!!」
ゆっくりと、足は自然と立ち上がる。常に走る立ち上がってしまう。
一丁前を気取る頭とは違い、嘘をつけないと消し炭にしても残った小さな意地を原動力に。
「終わりかよ。これで終わりかよ、終わりかよ。終わりかよ……? 終わりなんかよ……? 高嶺アリスは、こんなもんで終わりなんかよ……?」
語彙なんてどうでもいい。思ったことを思った通りに、ありのままの感情を宣い続ける。
そうだ。これで終わりなのかよ。こんなもので、こんなものが
あのレベル1000なら、こんな中途半端で止まることはないはずだ。
あのレベル1000であれば、あんなちゃちな攻撃数種類で収まることはないはずだ。
本当にあの人が相手ならば、俺なんぞが勝ちを諦められないわけないだろうがッ……。
『……戦闘続行の意志を確認。不可解、計測可能であった死亡回数は九十三万六千七百二十五回。肉体の蘇生が可能でも、人族の魂がその損傷に耐えることは不可能。訂正、対象を人間から特殊個体へと再定義。……完了。魂の摩耗による破壊ではなく、直接的な破壊に勝利条件を──』
「うるせえなァ、煩わしいなァ。偽物風情が、随分と饒舌に宣いやがるなァ……」
無機質に自己完結するヒトガタ……人形風情に心の底から不快に感じながら、一心不乱に駆け出す。
『攻撃を確認。冷却を解除、攻撃を──』
「やかましい。死ねッ」
全部を込めて拳をぶつけるが、壁に阻まれ拳が割れる。直後、魔力砲に身体を貫かれる。
『
「うざってえェ!! 色なんて全部黒で染めちまえば一緒だろうゥ!?」
俺の上から影を垂れ流し、大げさに全部吐き出し俺へと迫る色の数々を呑み込んでいく。
『……
「動じてんじゃねえよッ!! 出来の良い
一瞬、まるで人のように動じながら段幕の雨を突きつけてくる人形。
だが所詮はその程度。例え意志がなかろうと、その程度で動じるならばあの高嶺の花にはほど遠い。
空に無数に鏤められた無数にして完璧な砲撃。掠るだけでも致命に陥る大火力。
だがその精密さが仇。人がくぐれぬ程度の縫い目を影に混じり強引にくぐり抜け、再度人形の直前に迫り拳を叩き付ける。
──パリン!!
『障壁を二枚破損。冷却不足を考慮すると、再展開に必要な時間は二分四十五秒。……現状の状態での接近戦は不利と断定。──
魔力による衝撃で俺を吹き飛ばし、転がりながら立ち上がるまでの間に背後に羽を形作るヒトガタ。
……くそがッ、あの羽で空へと逃げる気かよ。逃がすわけねえだろッ!?
「死に晒せ、
全力で束ねた漆黒の槍が空を駆け、空へと昇る間抜けな蝙蝠を貫かんと衝突する。
拮抗する二つの力。だがそれは所詮一瞬。すぐに出力は上回れ、特大の影の槍が崩壊していく。
──それでも、一瞬は稼げた。必要な間は、確かに作ることが出来たのだ。
「
崩壊した影の先から跳び上がり、人形の上を取って思いっきり魔力を噴出しながら脚を落とす。
またも阻む壁。拳と同様に脚も衝撃と負担に耐えきれず、悲鳴を上げ激痛をもたらしてくる。
だがそれがどうした。こんなの痛くも痒くもない。
この程度で動じれる心など、とうの昔に砕け散った。それだけの死と時間が、ここにはあった。
あいつは偽物。俺如きに苦戦する、愚かで無価値な失敗作。
だから俺は負けない。負けてなんてやれない。贋作程度に負けてしまえば、俺はあの人を追いかける資格はもうきっと二度と戻ってこない──!!
「消し、飛べッッッ!!!!」
その一切を叩き割り、更にそのまま人形の胴を引き裂く勢いで地面へと蹴り落とす。
俺の着地を待たずして、空のみの世界は崩壊していく。それが勝利という名の決着を如実に語っている。
だというのに。そのはずなのに。
心は一向に晴れない。晴れてくれない。……その理由は、他ならぬ俺自身が一番わかっている。
「……くそっ。こんなんじゃ、勝てねえじゃねえか……」
それはとても単純な事実。誰にでも、俺にさえ明白で簡単なこと。
贋作風情にこんなにも苦戦しているのであれば、
何もない俺が、確かな体も心も持っている
「……馬鹿なッ!! 私の、私達の最高傑作がッ!! 勇者アリスを打倒し得る、唯一の可能性がッ!! よりにもよってこんな短時間でッ!? それも因果もクソもない小僧如きにイッ!?」
世界の色は戻り、崩れ落ちた白衣の男の耳障りな声が聞こえてくる。
だがそんなものはどうでも良い。失敗した負け犬の処遇など、俺が気にしてやる道理も余裕もない。
戦いという役目を終えた身体は力を失い、重力のままに地面へ倒れようとする。
これで眠れば後は朝が来る。そうすればあの人が待つ文化祭に、約束を破らずに……。
「いや、まだ終わっちゃいない。終わっちゃ、いない……」
あのイルカが最後の最後に口にした決着へ向けて、決して寝過ごさないようにと。
それでも微睡みに落ちる意識が、忘れてはいけない言葉を反芻しながら暗闇へと溶けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます