……えっ?

 三千と二百四十円という絶妙な価格をちょうどで支払い、店を出てざわめきの方へと足を進めていく。

 スタートが一分くらい違ったせいでシルラさんは見失ってしまったが、まあどうせ目的は一緒。トラブルの周辺で落ち合えるだろうから、とりあえず今はスルーってことで。

 

 煩い野次馬の声。絶妙に邪魔な人の壁。ざわざわざわと、何とも鬱陶しい邪魔な奴ら。

 そんな人波をステータスのごり押しで掻き分けて、ようやく最前列へと躍り出た私は騒動の原因であろうものをこの目に映す。

 

「……まじか」


 そこに転がっていたのは、流れ出る赤で地面を染めていく人の成れの果て。

 こんな昼間の都会にはまず転がっていない、何なら夜でもハロウィン以外は存在しないであろう無視できないオブジェクト。作り物ではない、独特の生臭さで五感を刺激してくる本物の死体だった。


「すみませんそこの方。一体何があったんです?」

「お、落ちてきたのよッ!! これがッ!! これ、死体でしょッ!? わ、私はやってない、他の人だっていたんだからッ!!」


 とりあえず話を聞いてようと、近場で座り込んでしまっている女の人に声を掛けてみたが、残念ながら相当パニクっていらっしゃるご様子で。

 恐らくだが、彼女は第一発見者に近く、だから腰を抜かしながらも必死に自分の無実を訴えているとかそんな感じなのだろう。

 まあでも、後から寄ってきて面白がっているウジ虫共と違って、いきなり空から死体が降ってきたらそら動転するのも当然。むしろ失禁とか気絶とかしてないだけ強い部類なんじゃないかな?


 さて、証言的には上だっけか。落ちてこれそうな場所とかあったりするかな……お、あそこかな。


 適当に周囲を見回してみると、目に入ってピンときたのは立体駐車場。

 ひーふーみー……全部で四階層か。なるほど、確かに人目が少ない割に人を落としやすいおあつらえの場所だ。もちろん、現代が誇る監視カメラという科学技術がなければの話だが。


 争った形跡はない。そもそも乱闘なんてあれば、こうなるより前に警察が駆けつけるはず。

 ならば自殺? もしくは偶然起きてしまった不幸な落下事故? 

 ……いや、何となく違う気がする。あくまで人殺しとしての直感だけど、これは他殺な気がしてならない。

 

 着ている服はぴしっとした黒スーツ。自殺する人間がわざわざ身なりを整えるだろうか。 

 仮に自殺だとして、失敗する可能性が生じてしまう街中でわざわざ決行するのだろうか。


 そこまで推測して、改めてこの件に首を突っ込むべきか考える。

 いきなり目の前に出てくるものだからつい推理ごっこを初めてみたが、そもそも全部的外れで本当に自殺な可能性だってある。むしろそっちに傾くかも。

 それに私は警察官じゃないし、今目立った動きをして目を付けられれば姿を変えていることに意味がなくなってしまう。この場における最適解は、そっとこの場を離れて野次馬の録画などに映らないよう気をつけることだ。


 そうと決まれば即退散。心の中でを合わせて拝みつつ、前で見たい馬鹿共に場所を譲ろうした。

 


 ──そのときだった。突如として、男の亡骸から魔力とおぼしき力を発したのは。



 心臓と脳の活動を失い、地に伏すだけであった男の亡骸。

 動くことのないはずのそれは、まるで風船のように膨らみながらふわふわと空へ昇っていく。

 

 目を凝らし、いつにもまして集中して意識を探るも繋がりの糸は見つからない。

 違う。遠隔操作じゃない。これはあの死体自ら発して……まさか、時限性の何かが仕込まれていた?


 本能がやばいとどうしようもなく震え出すも、周りの人々に逃亡の意識は欠片もなく。

 奇天烈な光景に唖然となる者。これ見よがしに撮影を続ける者。やばいと口では言いつつも興味本位と楽観視で観察を続け、しまいには周囲の人に何かあると呼びかける者など。

  

 だがこれは催しではない。警告を出そうと息を吸ったのが、他を愚弄出来ぬほどに遅かった。

 ビルの屋上を越えた辺りで上昇を止めた人間風船は、巨大な音を立てて破裂してしまう。

 

 それはまるで、空に咲く一輪の花火のような鮮やかさで。

 けれどもその演出だけでは隠しきれぬ、趣味の悪いグロテスクさを伴って。


 そして花火は打ち上がるだけにあらず。

 空にて解き放たれた大華は必ず霧散し、小さな残滓が下で眺める下々の民に降り落ちる。

 

 破裂の直後、咄嗟に魔力を自らに纏い、不測の事態に備えて己を坊御する。

 幸いにして、これで常識内の殺人事件という可能性はなくなった。なら介入しても問題ない。

 ならばとっとと行動あるのみ。第一の現場を抑えようと、後ろを振り向き──。


「……はっ?」


 ──驚愕する。してしまう。

 あんなにもいた人達が、ばたばたと呼吸と言葉を乱しながら倒れていく光景に。思わず目を見開いてしまう。

 しかもそれだけではない。

 彼らの中から奪われていく生命力が、向かおうとしていた駐車場の上階へと集められているのだ。

 

 この光景を前にふと脳に過ぎったのは、ほんの昨日起きてしまった苦い出来事。

 先回りしたくせに相手の目論見を防げず、術式を発動させてしまった後、子供達が衰弱していったときと同様の現象が目の前にはあった。

 

 最悪の気分で跳躍し、地獄絵図と化した人の道を飛び越え、そのまま駐車場に駆け込んでいく。

 車用の道を使って上階へ向かう最中、入り口に張られていたうっすらとした膜のようなものについて脳を回して考えてみる。

 

 通り抜けた感覚的に、あれも恐らく結界。シルラさんの固有や屍鬼かばねおに戦で用いられた大型のそれらとは異なり、周囲の人払い程度にしか価値のないもののはず。

 計画的だったかはともかく、結界を用いたのだから偶発的な事故の可能性はまず消していい。一般人の生憎混ざった殺人劇というわけでもなければ、恨むべき者のいない不幸な転落ではないはずだ。


 下手人の目的は先の光景通り生命力の徴集。それは間違いないはず。

 だが手口は箱庭の総意エルメントなる組織とほとんど同様。となればイルカにとっても想定外。……或いはあいつの言葉自体が嘘であり、この事件の犯人は私達が追っている組織ということになる……はず。

 

 だが妙だ。仮にそうだとして、それではあまりに杜撰がすぎて納得どころか違和感しかない。

 奴らはここまで秘密裏に動いていたはず。計画のため、裏でこそこそと活動していたはずだ。

 それなのに、そのはずなのに。こんな往来で目立つように事を起こしてしまえば、それはもう早々に捕まえてくれと尻振って敵を誘っているようなものじゃないか。

 

 それとも最早隠れる必要がなくなった? それとも、やけくそにでもなり始めた?


 ……駄目だわからない。恐らくだが、情報量が少なすぎて考えるだけ無駄なことな気がする。

 ともかく、私が今すべきはこの悪趣味な簒奪の停止と犯人確保。それだけだ。

 イルカへ問い詰めるのも、シルラさんと合流するのもその後で構わない。面倒な事後処理なんてのは、最悪駆けつけてくるであろう地元の退魔師とイルカに全部任せてしまおう。


 考え終わるのと同時に三階へと辿り着き、再度周囲に妙なものがないか気配を探ってみる。

 二階は高さ的にぎりぎり不十分だと判断したので、とりあえずはここから虱潰しにしていこう。

 だが本命はあくまで最上階。私であれば間違いなくそこから突き落とす、確実に殺すために。

 

 さあ引っかかれ。場合によっちゃ、ここがあのグリュードとかいう男との戦闘の始まりだ。


「……へっ?」


 だが現実は奇怪なもの。私如きが軽く立てた予想などは、いともたやすく覆されてしまう。

 

 上階からけたたましく響いてくるのは、キュルキュルと床の擦られる摩擦音。

 ズレた位置から聞こえてくるそれは急速に大きくなり、段々とこちらへ近づいてきていた。

 

 ……まじ? このシチュ、似たようなのをこの前もやったんだけど?


 ハードルを下回ってきた二番煎じなお相手の登場に、げんなりとしながら足下の影を伸ばしていく。

 わざわざ目立つ自動車で逃走を図る理由で思いつくのは三つ。

 人払いを破った私への警戒。あえて姿を晒す囮役。或いは他に逃走の手段がない。そのいずれか。

 

 一つ目はなくはないがどうでもいい。せめてもの抵抗がそれならば、相手の限界が窺える。

 二つ目も他の気配がないから多分違う。もっとも私が未熟なだけで、隠密特化の可能性もあるが。


 いずれにしても、シルラさんがいない今、いちいち手加減してやる義理も必要もない。

 派手な登場シーンがほしいならくれてやる。その揺り籠の中で眠るか、私との対話タイムに入るか選ばせてやるよ。

 

 影を巨大な刃へと整えきったところで、ちょうど四階から降りてくる車。

 中にいる人間は一人。私を認識したからか、人がいること自体想定外だと教えてくれているかのように顔を歪めてから目を閉じながら、それでアクセル全開で坂を突き進んできた。

 

黒一刀こくいっとう


 一刀両断。魔力を帯び、巨大な刃と化した足下の影は鉄の塊をばっさりと切り裂く。

 直後、車の大爆発で生じた風と衝撃を影の鎧で防御し、近づきながらまだ生きているはずの男の目と感覚を凝らして探ってみる。

 

 斬ってから爆発するまでの一瞬、運転席の扉が開いたのが見えた。

 死んでない可能性はある。息を潜めて死んだと思わせ、私の隙を突いて逃げる算段かもしれない。

 どちらにしろ急がなければ。爆発なんてもんが起きちまったら、人払いも役に立たなくなるかもしれないしね。


「……きひっ、みーっけ♡」


 捉えた極小の気配に口を緩めながら、燃え続ける車の残骸を飛び越え男の側へと着地する。


「なっ……!?」

「どうも。早速ですが、ちょっと場所を変えましょーッかッッ!!」


 男へにっこりと微笑みかけながら極細の黒糸を足に括り付け、けれども表情とは正反対の苛立ちを込めて外へと蹴り飛ばす。

 やはりそこまで強くはないのか、防御の一つも熟せずあれよと空を飛んでいく男。

 うーんすっきり。これで買い物潰してくれたことだけはチャラにしてやろう。

 

 ちょっと溜まった鬱憤が晴れたものの、別に殺すつもりはないので影に潜って追いかける。 

 

「うーん……おっ、あそこにしよっと」


 糸の中──正確には糸という影を伝いながら、お手頃な目立たない場所へ目星を付ける。

 あそこなら問題ないな。ちょうどもあるし、そのまま直行でご案内といこうじゃないか。


 勢いが尽きたのか、落下を始めた男に近い位置で影から飛び出して紐を引っ張る。

 おっきな鮪でも釣り上げたような達成感。こんな大物なら、丁重に生け簀にぶちこんでやらなねぇ?


「そぉーい!」


 全身を使って男を釣り上げ、そしてゴール地点であるあのビニール袋の山のある少し大きめの路地裏に叩き込む。

 投げ飛ばした男はどこにもぶつかることなく、見事無事にホールインワン。

 それを確認し、ちょっとした達成感に拳を握りながら、ゆっくりと空から男の元へと降りていく。


「くっさ、汚ったねぇ……。失敗したなぁ」


 尋常じゃなく不快な臭いに、影で鼻に膜を貼りながら路地裏の惨状を見回してみる。

 大量にあった袋。どうやらその中には生ゴミを詰めていた袋も混じっていたらしく、弾けた袋の中から見るに堪えない残飯の残骸やら何やらまで飛び出してしまっている。

 まずったなぁ。後で片付けるのめんどいなぁ。……ま、これも後処理って扱いでいいか!


「さてどこに──」

「死ねェ!!」


 それでもまだまだあるゴミ袋から、目当ての男を引っ張り出そうとした。

 そのときだった。男が飛び出し、煌めく刃物を俺の胸元目掛けて突き出してきたのは。


 掌底で男の腕の軌道を逸らし、そのまま相手の体を躱してから紐を強く引っ張る。

 足を自由を失い、そのままうつ伏せで叩き付けられるように倒れてしまう男。

 だが、呻き声的にまだまだ活きが良さそうで何より。蹴り自体は多少手心を加えてたし、あれで死んでたら場所変えた意味がないもんね。


「ぐ、くぅ……」

「思ったより元気で良かったです。じゃ、お話しましょうか?」


 名称 レコグ

 レベル 17

 生命力 40/160

 魔力  40/100

 肉体力 大体38

 固有 翻訳

 称号 復讐者 越えた者


 気軽に声を掛けながらステータスを覗いてみると、そこには何とも言えない絶妙な数値が。

 外見から推察すると、歳は四十くらいの中年で日本人ではない。何というか、一般人よりは強いが鍛えた戦士って訳ではなさそうって感じだな。……本当に組織の一員か?


「単刀直入に聞きましょう。貴方は箱庭の総意エルメントの一員で、今回の目的は小学校襲撃と同じく人の力の徴集。違いますか?」


 簡潔に尋ねるも、結果は黙りで返事はもらえず。

 答えないのは勝手だが、耐えれば事態が好転すると思われても癪なので、魔力を流して相手の体に流して暴れさせる。

 響き渡るのは声にすらなっていない、痛みだけを如実に伝えてくる絶叫。

 とはいっても、周囲は既に影で覆った疑似結界の中。音漏れなんかせず、その叫びに状況改善を生み出す価値はない。


「反抗はご自由に。けれど口が偽ろうと体は正直。どうぞ無駄な抵抗は止め、早々に自分から話すのが得策かと」


 淡々と事実だけを伝え、再度魔力を流して痛みを以て無駄な行いだと刻みつけていく。

 尋問なんて得意ではないのだが、何より今は時間がないから手っ取り早くやるしかない。俺の影はあくまで遮断しているだけで、退魔師連中に見つかれば一目瞭然の怪しい場所でしかないのだ。

 それにこんなやつを家まで持ち帰りたくないし、かなでちゃん達にも多少は情報提供しておきたい。この前のお詫びと、これからの理解を得やすくするためだ。


「ぐ、ぐそぉ、どうじでッ……、おれだぢがごんなめに゛ッ……」

「はあ? 意味が分かりません。無辜の人々を利用しようと企んだのはそちら方だというのに」


 少し経ち、苦痛の中で漏らし始めたであろう男の言葉に思わず首を傾げてしまう。

 何被害者ぶってるんだこいつ。頭湧いてんのか? お前が、お前らが他者を巻き込んでまで計画とやら進めてたから、それの報いが自分に返ってきただけだろう? 


「ふふ、んははははッ!! だがもう手遅れだッ!! 力は届いだッ! あの方の計画は次の段階フェイズに突入しだッ!! 俺が死んでも、シグルイ様は必ずや復讐を果たしてくれるだろうなァ……!!」


 ついに気でも触れたのか、今度は一転壊れたおもちゃのようにただただ笑いという出力し続ける。

 まずった。これは加減間違えたか。こんな様じゃ碌な情報吐いてもらえなさそう──。


「嗚呼ッ!! どうか妻の仇をッ! 娘の仇をッ! 友の、作物の仇をッ!! 勇者アリスに、鉄槌をッ!!」

「……はっ?」


 これ以上の収穫はなさそうだと、意識を狩ろうしたその瞬間断末魔が如く吐かれた言葉。

 そのたった一つの名前が俺の手を止め、驚きと困惑で脳みそと思考を一色に染めてしまう。

 

 何故ならそれは、今この場で出てくるには唐突すぎる三文字の名前。

 高嶺たかねアリス。世界を救ったはずの勇者の名が今、まるで世界を滅ぼしたみたいな憎悪と狂気と妄執だらけの男に叫ばれたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る