みーっけ!

 バイクを盗んだほどではないけれど、ある意味非行に近いであろう未成年の夜遊びダッシュ。

 気持ちは前方のタクシーを追跡するために苦労するスパイか何かのよう。ま、使っているのはスーツに似合う外車じゃなく手頃で愛用な二本の足なんだけどさ。

 ともあれ速度は折り紙付き。線路を飛び越し、屋根をひた走り、先に行ったつれない女へ追いつくのにそう時間は掛からなかった。


「おや。君は何者かな? 生憎外野に構ってる暇はないんだけどな」

「……来たのか。つかさ様、こちらはシャドウ。お嬢さまの協力者です」

かなでの? ……へーあいつが」

 

 つくさんが追いかけていたであろう人物──獅子原司ししはらつかさが一瞬だけ、こちらへ向けた後、またすぐに正面へと向き直す。

 なるほど、獅子原ししはら……獅子原ね。つまり諸々の材料から推測するに、あのいけ好かない同校の先輩はかなでちゃんのお兄ちゃんってわけね。

 我ながら鈍い頭してるなぁ。かなでちゃんの名前を知ったときに、名字と髪の色で気付くべきだったぜ。


「そうかい。つくが言うなら間違いは無いんだろう。ならよろしく、シャドウ

「…………」

「あれ、無視かい? 傷つくなぁ」

「申し訳ございません。この方は寡黙につき筆談が中心なのです。ですので今すぐの返答は難しいかと」


 するりと応えそうになった直前、自分の設定を思い出しすんでのところで口を押さえる。

 それにしてもつくさんまじでナイスフォロー。もしも一人でこの人と遭遇してたら、不審者扱いからの戦闘なんて俺以外は損しかない展開があったかもしれないからね。


「それでつかさ様。何があったのですか?」

「ああ、妙な跳びがえるを発見してね。泳がしているところなんだ」

 

 つくさんの問いに、つかさ先輩は前方を指差しながら簡潔に答えてくれる。

 だが残念。つい一週間前まで一般人だった俺に、んな教科書が必要そうな専門用語満載な会話なんて伝わらないんだなこれが。

 跳びがえるってなんだろう、怪異かな? せめてかなでちゃんくらい懇切丁寧に話してくれれば、俺のポンコツ脳みそでもそれとなく把握出来たりするんだけどね。


 ……ま、いいや。どうせ口は出せないし、会話も文脈でそれっぽく噛み砕くとしますかね。


「跳びがえる……? たしかにこの辺りでの出没は稀ですが、わざわざ貴方様が追うほどでは──」

「そいつが死体を呑み込んでどこかへ向かっている、としたら?」

「──なっ?」


 何か深刻そうに驚いてるなーって感じのつくさん。

 後ろからだとどんな顔してるか見えないし、何が驚き桃の木山椒の木的なのかは欠片も想像出来ないけどさ。


「跳びがえるは本来人が持つ蛙への嫌悪を糧にして生きる怪異。人に進んで手を出す個体なんて、それこそ特異種くらいなもの。人の味を覚えてしまった熊みたいにね」

「……殺害の瞬間は目撃したのですか?」

「残念ながら。俺が見たのは死体を呑み込み、脇目も触れずに跳ね去ったその瞬間だけさ」


 ほーん。つまり変なのが更に変なことしてるから、殺さずに泳がしているって感じなのかね。


「なるほど。しかしそうなら、なおのこと他に任せるべきでは? あらしは何処に?」

「あいつは別件で外していてね。だから君と合流出来たのは幸運だったよ。ま、追跡なら香雲かくもの方が適任ではあるんだろうけどね」


 暇だなー。飴ちゃん舐めたいなー。流石に喉に詰まるかなー。

 っていうかさ、よくもまあぴょんぴょこ走ったり跳ねたりしながら話せるよな。疲れないのかな?


 まるでクラスのグループで話には参加できないけど、まあなんかそこにいればそのグループに所属していますよって自分に言い聞かせている人みたいな疎外感のまま走ることしばらく。

 自宅はすっかり遠ざかり、それどころか街からすら離れ、周りの自然の割合が明らかに増えてきた頃。二人は急に足を止めたので、慌てて自分に急ブレーキをかけて着地する。


高井山たかいざんか。ちょっとまずいな。つく、対象の速度は?」

「緩みました。恐らく根城はここかと。……如何いたしますか?」

「……うん、追おう。越えてしまったらその時はその時。何かあったら後で鉄三てつぞうに謝ってもらおうか」


 少し悩んだ後、軽い調子でそう言ったつかさ先輩は山へと足を踏み入れる。


『何かまずいのか?』

「この山を越えれば県境、獅子原ししはらの管轄外になる。つまり不祥事があれば他家と揉めるのだ」


 スマホを取り出し、淀みない指使いで操作しながら答えるつくさん。

 あーなるほどね。よくある面倒くさいごたごたってわけか。まあ、それは確かに悩むわな。


「行くぞ。油断はするなよ」

「……ねえつくちゃん。虫除け持ってない?」

「ちゃん付けするな。諦めろ。私も虫は嫌いだ」


 仕方が無いと影から飴玉と金槌を取り出し、一粒口に放り投げてから付いていく。

 どこかの茂みでがさりと音でもしそうな緊張感の中、最低限の明りだけでハイキング。

 夜の山とかいう生粋の危険スポット。そんな場所をチャラ男とスーツ姿の美女と黒ローブの仮面付きの三人で肝試し。……うーん、端から見たら怪しいなんて言葉じゃ済まないね。


「それにしても跳びがえる相手に獅子原ししはらが三人がかりとは。最近は物騒とはいえ、何とも大げさだとは思わないかい? ねえシャドウ殿?」

『万全を期すという言葉がある。人手不足よりは良いではないか。いかがかね?』

「これは一本取られたな。まあ確かに、跳びがえるも放置すれば問題にはなるからね」


 俺のそこまで自慢でもない速筆スキルを存分に生かしながら、どうでも良い会話に花を咲かす。

 索敵なんてこと出来ないから歩くだけで暇なんだよな。見て覚えようにもわかるもんでもないし、誰かコツとか教えてくれないかなぁ。


「……止まり、なっ!?」

「どうした?」

「見失いました。うそっ、何処に……?」


 そんな調子でしばらく歩いていた時、突如つくさんが焦りで声を揺らしながら報告してくる。

 

「落ち着けつく。急に消えたんだよね?」

「はい。消失前に揺らぎがなかったので、恐らく戦闘の類ではないかと」

「つまり強襲か、或いは……。よしっ、まずは目視で確認だ。消失した場所との距離は?」

「百メートルほど。正面一時の方向です」


 つかさ先輩の的確な指示に、会話に割って入る余地なくとんとん拍子で話が進んでいく。

 はえーこの先輩やる時はやるんだなぁ。第一印象からは一欠片も想像できないけど、そういえば文武両道なイケメンとしてちょっと有名だったっけか。

 

 歩の勢いは変わらず。けれど緊張を増して歩く俺たち。

 なるべく殺された呼吸、そして足音。

 周囲の葉に吸収されながらも耳に響いてくるそれに対し、つい金槌を持つ手に力が入ってしまう。


 嫌な予感がする。心の奥底が警鐘を鳴らしてくる。

 決して進むべきではないと。その歩の一つ一つが、どうしようもない破滅的な地獄へ向かっているのだと警告するように。


 それらを全て無視し、さらに足を動かす。

 そしてつくさんの行った百メートル。間隔的にその手前二十メートルほどに届いた時だった。


 ──世界が変わる。文字通り、肌に伝わる空気が一変する。


「なっ……」


 その驚愕を初めて言葉にしたのは、果たして三人の内誰だったのだろうか。或いは同時だったのか。

 そんなことはわかりっこない。何故なら俺の目に映った光景は、自身の吐いたものが言葉なのか呼吸なのかすらも曖昧にするほど、悍ましいものだったのだから。


 其れを一言で表すのなら、まさに地獄絵図。

 木々の先に見えるのは、山の中というにはあまりに歪に、けれども恐ろしく整った大穴。まるでプリンをスプーンでくり抜いた時と同じように、そこだけが山であって山でないと錯覚しそうなほど浮いた場所だ。

 そして地面に転がるのは無数の人骨。人の末路とも言える肉なき骸、そして形すら残らなかったのであろう白い灰の溜まりが風に吹かれることなく積っている。

 だが、そんなのは所詮おまけでしかない。穴の中心にある、いやと形容すべきが放つ、身の毛もよだつほど禍々しき気配に比べれば。


「腕……?」


 腕。そう、腕だ。其れが何かと聞かれ答えるのであれば、きっとそれが的確のはず。

 穴の中心。最も気配の濃い場所に佇み蠢くそれの正体は、一本であろうかいなであった。

 

「これは、気配殺しの結界……? だが恐ろしいまでに複雑怪奇な術式構造、これで踏み入るまで知覚すら出来ないなんて、そんなこと有り得るのか……?」


 つかさ先輩とつくさんが追いかけていたであろう跳びがえる。泥色の四足を、まるで掌を口に見立てて貪り食らう腕。


 周囲を見回すつかさ先輩には先ほどまでの余裕は見られず、その精悍な顔を歪めて狼狽するのみ。

 俺には結界なんてもんはわからない。けれどこの場がおかしいことだけは理解出来る。

 普通こんな山の一帯にこの規模の穴が空いていれば、例え近づくことはなくとも外から簡単に発見されるはず。そもこれだけの気配、俺ですら感じ取れてしまうこの濃密な力を退魔師なんてものが見逃すことなどあり得ないはずだ。

 

 だというのに。それが当たり前で当然の帰結のはずなのに。

 その不可能が可能となっている。異常極まりない理不尽が罷り通ってしまっている。素人でもおかしいと思えるのだから、きっとそれ以上の驚愕が専門家にはあるはずなのだ。


 ……それに、俺はあれを知っている。見た事なんて無いはずなのに、あれが何かという疑問に何となくの答えを見つけてしまっている。

 かつて一度だけ味わった存在に対しての圧。あのときとは比較にならないほど重く濃くはあるが、それでも色と気配は酷似している。例え目隠しされていようと、それを間違えることなどあり得ない。


 ──あれは屍鬼かばねおに屍鬼かばねおにの呪骸だ。

 

「ステータス、オープン……」


 今は少しでも情報が欲しいと。或いは恐れによる本能から、言葉にしながら窓を開く。開いてしまう。


 名称 不完全な屍鬼

 耐久値 5/20000

 備考 あと一つ。その怨が再び世に堕ちるまで。


「はっ?」


 なんだこの耐久値。おかしい。発する気配と真逆、これじゃまるで壊れかけじゃないか。

 壊れるならば弱くなるはず。何か、何か俺達とは前提が異な──あっ。

 

 耐久値 2/20000


「……逃げるぞ」

「な、に……?」

「逃げるんだ。ここにいたら、終わる。間違いなく、死ぬ」

「おい貴様! 何を言っている!?」


 属さんの糾弾に答える余裕などない。辿り着いた結論が、自身の末路を決定づけてしまったから。

 そうだ。物が壊れるのなら、それは封印すら失せると同義。

 もしもあれの封印が緩んでいたのなら。呪骸が復活のために何も出来ないと、その前提が覆ってしまったのなら──。


「あれは、屍鬼かばねおには、まもなく、復活する。あれは──」


 絞り出すように呟いた必死の警告。けれど最後まで続くことはなく。

 なりふり構わず後ろへ退く猶予すら、今の俺達にはなかった。

 

 気配が変質する。ついさっきまでの重圧など、まるでそよ風でしかなかったかのように。

 跳びがえるを完全に呑み込んだ、腕は震えながら姿を変えていく。いや、厳密に言えば空に浮いた腕の断面から、力をそのまま形にしたかのような透明な身体が構築されているのだ。

 

 地面にあった白骨はその圧に耐えきれなくなったかのように灰へと変わる。

 空気は濁り、それが放つ魔力は荒れ狂い、誰のものでもない世界はあれの色で染まっていく。

 

 震えが止まらない。冷たい汗が滴り落ちるのを、止める術などどこにもない。

 本能が全力で逃げろと訴えている。理性がもう終わりだと訴えている。

 舐めていた。甘かった。そう言わざるをえない。

 正直どうにかなるだろうと自らの成長で調子づいていた。どんなに相手が強かろうと、あの殺人鬼んのように攻略の糸口はあのだろうと高を括っていた。


 待ち望んだ糧の到来。けれども歓喜も興奮もそこにはなく。

 あるのはちっぽけな生存願望。そしてそんなものを一切無に帰すほどの、どうしようもない絶望のみ。


 その厄災の名は屍鬼かばねおに

 かつてこの国を今日のどん底に陥れた怪物。その種が今、再び世に芽吹いたのだ。

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