第37話 そろそろ名前呼びで

 遂に来て欲しくない日が来てしまった。

 今日は即位式だ。


 ガルザは器として、アロマロッテは精霊魔法の発動起源として、バエルバットゥーザの一部となってこの世を去ったことは一部の人間しか知らない。

 裏で暗躍し、バエルバットゥーザの封印を解いたコーネリアスも同様にもうこの世には存在していない。

 これで世界に平和が訪れたと言っても過言ではないだろう。


 しかし、めでたしめでたしとはならなかった。

 全ての責任は国王陛下にあると言い出した者たちがいたのだ。


 ガルザは陛下の実子。

 聖なる魔法の使い手を片田舎から呼び出したのは陛下で、コーネリアスを国の魔術師と認めたのもまた陛下だ。


 国王陛下と王妃は最初から決めていたかのように冠を置いた。


 陛下が退位されるとなれば、唯一の血縁であるフェルド王子が即位することになる。

 そうなると、私も身分が変わってしまう。


「新国王フェルド万歳! 王妃リリアンヌ万歳!」


 誰かがそう叫んだ。

 式に参列している貴族全員が立ち上がり、一斉に拍手する。

 私たちの結婚を発表したときは戸惑いながらだったけれど、今回はしっかりと手を上げて歓呼に応えた。


 長い式を終えて王宮のバルコニーに立つと、多くの国民が祝福のために集まってくれていた。

 私たちの頭には王冠が載せられ、その存在感を知らしめている。


 空にはレッドクリフドラゴンのジーツーが飛び回り、さながら花火のようなものを吐き出し、祝福をしてくれている。

 マオさん率いる魔族の一部も式には参列してくれていたし、他の魔族は王宮の外で祝福してくれた。


「王様になっちゃったね」


「すみません、まだまだスローライフはできそうにないですね。もしも、息が詰まるようなら……」


 この発言に少しむくれて、ずいっと辻くんに顔を寄せる。


「私が辻くんとファイを放置してスローライフを楽しむような女だと思っているの?」


 彼は慌てて、大袈裟に手を振った。


「それは違います! でも、美鈴さんの理想がどんどん遠ざかっていくので」


 これまでは彼から手を握ってくれたけれど、今度は私から手を握る。

 残った三つの魔力も辻くんに送ることはできなくなってしまった。

 だけど、それが手を繋がなくなる理由にはならない。


「そんなことないと思うよ? まだまだ先は長いし、辻くんと一緒ならどこだって楽しいよ」


 驚きの顔から一変して恥ずかしそうに頬を赤く染めた辻くん。

 そんな反応をされると、私まで照れちゃうじゃない。


「ちゃんとこの先のことも考えてるから大丈夫だよ。私は理想を諦めないからね」


 照れ隠しをしていると、辻くんは私をギュッと抱き寄せた。


「僕は生涯に渡って、美鈴さんを愛すると誓います」


「何回も誓ってくれてありがとう。ただ、ね。その……」


 これまで何度も言おうか、言うまいか悩んできたことがある。


 私の顔を覗き込みながら首を傾げる旦那様はなんて鈍感なんだ。

 こんなことを私に言わせるなんて。


「だから、その、名前で。名前で呼んで欲しい、かなって」


 きょとんとする辻くん。


「だって、私たち夫婦なんだよ!? 私、リリアンヌ・グッドナイトなのに、いつまで『美鈴さん』って呼ぶの?」


 早口にまくしたてる。

 もう止まらない。


「マオさんも、ムギちゃんも名前で呼んでくれるのに……。辻くんだけだよ。私もいつから『辻くん』をやめればいいのか分かんない」


 言っちゃった。

 思わず、胸のモヤモヤを全部吐き出しちゃった。


 マオさんもムギちゃんも『美鈴』は名前ではなく、名字だと説明するとすぐに呼び方を改めてくれた。

 だけど、辻くんはいつまで経っても『美鈴さん』と呼ぶ。それこそ、子供の前でもだ。


 優しく目を細めた彼の顔が近づく。


「愛してるよ、ゆい


 耳元で囁かれ、声にならない奇声を上げながら、真っ赤な顔を彼の胸にうずくめる。


 だから不意打ちはずるい。

 ずる過ぎるってば。


「……私も」


 ん? と意地悪に微笑む辻くんに消え入りそうな声で名前を呼んだ。


「大好き、友暁ともあきくん」


 恥ずかしくて死にそう。

 何が恥ずかしいって、母親になってから夫の名前を初めて呼んで、悶えていることだ。

 辻くん改め、ともくんも顔を逸らしてしまった。


「ゴホンっ」


 誰かの咳払いで我に返る。

 そこは二人だけの空間ではなく、王宮のバルコニーで眼前にも眼下にも大勢の人がいた。


「「あ……」」


 ばっちり先代の王や騎士団や魔術師団などに見られていた。

 国民にも見られて、指笛を吹かれるやら、冷やかされるやら。


 私たちはまたしても顔を真っ赤に染めた。

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