第5話

「ゆうべはすまんかった。神様から天守てんもりを言いつけられたので返事ができなかったんだ。今晩こそご馳走するぞ」


 狐はかわうそにそう言った。


「ゆうべはすまんかった。神様から地守ちもりを言いつけられたので返事ができなかったんだ。今晩こそご馳走するぞ」


 狐は獺のように、上手く魚を捕ることができなかった。天守・地守というのは、狐が獺についた嘘だとみなすのが、一般的な読み方であろう。


 尾瀬茉莉に与えられた『天守・地守』の妖術は、嘘ではなかった。天守はこの異世界を見渡す遠見の能力。地守はこの異世界を記憶する能力。唯一『原点回帰リセット』を観測できる能力だ。


 記憶すると言っても、完全記憶能力というわけではない。尾瀬茉莉の記憶力は人並み程度のままである。忘れないようにするには記録しないといけない。だから、日記を書くことにしたのだ。


 これから記すのは、尾瀬茉莉の日記から読み取ることができた事実を時系列順にして、俺が簡単にまとめなおしたものである。ただしここに出てくる尾形虎之介は、俺であって俺でない。そう言ってしまっては無責任に思われるかもしれないが、いかんせん記憶がないために実感がないのである。したがって、この記録に登場する尾形虎之介のことは、他人事のように『尾形』と呼ぶこととする。



◇◇◇



 生徒会副会長・尾形虎之介が、生徒会長・尾又玉藻に見とれているうちにトラックに轢かれた。それが事の始まりだった。


 同級生が交通事故にあったというのに、生徒たちは他にすることもなく、とりあえずいつも通りに登校し、教室に集合した。


 それから尾原多津美と西尾友莉、すなわち生徒会メンバーが消え、妹尾治郎、飯尾可夢偉、藤尾修吾がこの順で行方不明となる。あとから知ったところによると、ここで松尾鎗太郎も神隠しにあっているはずだ。


 尾瀬茉莉は教室で一人になったタイミングで、何者かに後ろから襲われ、薬で眠らされた。そして気が付いたら異世界美作みまさか化粧寺けしょうじにいた。尾崎洛がこちらに招かれたのはその後だから、記録にはない。



 茉莉が召喚されたタイミングでの勢力図は次のようである。


 早々に召喚された生徒会メンバー尾形、尾原、西尾は玉藻御前の側近として殺生石集めに勤しむ。


 生徒会メンバーの次に異世界歴の長い妹尾は隠れ潜み、忍び集団『化獣集ばけものしゅう』を結成する。妖狐復活を防ぐための消極的抵抗(かくれんぼ)を企てる。尾瀬と尾崎洛はその妖術を買われ、ここに所属する。


 飯尾は神渡島で妖狐討伐の軍隊を作り始め、藤尾、松尾は各々我が道を行く。



 生徒会メンバーは玉藻御前の手足となって働くため、早くから召喚されたのであった。尾原は情報収集と玉藻のサポートを任され、関東に居を構えた。西尾は山城以東の狐憑きを、尾形は以西の狐憑き(おもに化獣集)を征伐する任に着いた。


 西日本に赴いた尾形は、さっそく『化獣集』のボス『狼』を始末してしまう。生徒会長のためとなると、副会長は仕事が早い。さて忍び集団の残党を処理しようというところで、『狢』と『獺』すなわち尾崎洛と尾瀬茉莉に出会うことになる。


 二人はボスの消極的抵抗方法に疑念を抱いており、妖狐封印の策を練っていた。尾瀬が『天守・地守』の能力によって『虎』の猛攻を避けつつ、彼の親友である尾崎洛が説得を試みる。そして『虎』の狐憑きすなわち尾形虎之介は友情にほだされ、生徒会から離反。妖狐封印に乗り出す。


 そうして、『虎』『狢』『獺』の三人パーティで旅をすることになるのだった。


 山城の『隠者』、飛騨の『山伏』と戦闘中の『彼岸花』を横目に、三人は海路で神渡島かみとしまへ。『巫女』の指揮下で集まる軍隊に狐憑き三名を加え、妖狐封印連合軍を形成する。連合軍は満を持して神渡島から出陣、九尾の妖狐ゆかりの下野しもつけの国を目指す。


 激しい戦闘の中、西尾と飯尾が相打ちになる。尾形・尾崎・尾瀬は彼女らの殺生石を回収し、上野こうずけの国へ。尾原多津美の策略に嵌り、尾崎洛は尾瀬茉莉を守るため退場。尾形は辛くも尾原を討つ。


 そういうわけで、殺生石を集めつつ下野の国に到達したのは、はじまりの狐憑き・尾形虎之介と、観測者にして記録者・尾瀬茉莉の二人だった。


 下野の那須野原なすのはらにて、尾又玉藻は何者かの髑髏しゃれこうべを枕に眠っていた。14歳にしては妖艶が過ぎる肢体。夕日が差し込み、影がぬッと伸びる。影は不気味にうごめき、八股の九尾に。


 尾瀬は飯尾から受け継いだ宝弓をギリリと引き絞る。期せずして殺生石がひとところに集まってしまったが、まだ封印は間に合うはずだった……。


「どう……して……?」


 矢は放たれなかった。宝刀『狐假虎威丸こかこいまる』が宝弓『狐之嫁入きつねのよめいり』を一刀両断した。


「すまない……」


 尾形虎之介はそう言って、刀を振るった。


「尾瀬茉莉……元の世界に帰るがいい」


 痛みは一瞬だった。優しい声がして、仮面が取られる。


……

…………


 気が付いたらそこは、九折つづらおり中学の廊下だった。尾瀬茉莉は、ゆっくり目を覚ます。何者かに薬で眠らされた場所である。日が暮れているが、日付は変わっていないように思われる。


 異世界にて仮面を剥がれ真名を暴かれると現実世界に強制送還される。そのルールに偽りはなかったようだ。


「茉莉!」


 名前を呼ぶ声。振り返るとそこには、忍び装束ではない尾崎洛がいる。


「封印は? うまくいったのか?」

「それは……」


 話が通じている。記憶が連続している。異世界の出来事は、夢ではなかったようだ。


「どうした?」


 尾形虎之介は、尾崎洛の親友。言うべきかどうか、迷う。尾形は我々を裏切って、最後の最後で殺生石をすべて手に入れた。裏切ったというよりは、初志貫徹。友情にほだされてなどいなかったのだ。彼は最初からそのつもりで……


「危ないッ!」


 尾崎洛が尾瀬を押し倒し、そのまま伏せる。次の瞬間、廊下の窓ガラスが一斉に割れて飛び散る。すさまじい風圧。ガトリングガンで端から一掃されたかのようだった。


「男の身体に憑りつくのは好かんのだが……まぁよかろう」


 校舎を破壊した張本人が、廊下の反対端に現れる。


「タイガー……?」


 尾崎洛が、親友の姿を見間違えるはずはない。それなのに疑問符が付くのは、あきらかに尋常とは思われなかったからだ。


「ん? まだ生きておったか」


 虎柄の狐面は下半分が変形している。虎というよりは鬼と呼んだ方がふさわしい、禍々しい牙が生えている。そして、尾てい骨のあたりから突き出すは金毛の九尾。手には異世界から持ち出したと思しき宝刀『狐假虎威丸』。


「まずはこの学校とやらを地獄に変えて、妖狐復活の宴としやう」


 俊足。『彼岸花』の狐憑きを思わせる俊足で、それは目の前にいた。


 あ、駄目だ、死んだ。


「宴の真ん中には、狐憑きどもの首を集めて塚を作らうか」


 尾瀬の前に飛び出した尾崎洛の首が、飛ぶ。


 尾形虎之介は、尾形虎之介だった者は、血しぶきを浴びてケタケタと笑っていた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 尾瀬茉莉は、絶叫した。人生ではじめてこんな大きい声を出した。出すべきではなったが、理性ではおさえられなかった。


五月蠅うるさいぞ、女」


 刀が振り上げられ、今度こそ死んだ。



……

…………



 はじまりの日の朝に戻っていた。


 ひどく疲れている。すべて夢だったことにして、もう一度眠ってしまおうかと思った。しかしあの夢に戻るのも怖い。尾瀬茉莉は起き上がって思考を整理した。ややこしい夢を見ていたということで済ませてしまえば、頭痛に見舞われずに済むのだろうが、そうはいかなかった。


 尾形虎之介は、尾崎・尾瀬と仲間になるにあたって、自らの妖術について包み隠さず説明をした。その内容が気がかりだった。


 原点回帰。三回限定のリセット。


「それじゃあこうしよう。この道を歩いて行って、はじめに出会った三人が三人とも同じ意見だったならば、君の好きにするがいい」


 旅人と虎の約束。旅人は道すがら、牛、大木、狐と出会う。狐の機転によって、虎ははじめの檻の中へ。チャンスは三回なのだ。


 尾形は「原点設置セーブを一度しかしていない」と言っていた。「どうしようもないときに使う。はじめからやり直しだ」と。


 異世界に招かれる前にセーブをしていて、それから一度もしていないという意味だったのか? だから現実世界に戻ってきた?


 どうしようもないとき――それが来たのだ。殺生石を集めた尾形虎之介は、その本意通りに尾又玉藻を開放し、その代償として自らの身体を九尾の妖狐に乗っ取られた。妖狐は尾形の身体を使ってこちらの現実世界に顕現し、親友を血祭りに……。


 尾瀬も殺されたが、今こうしているということは、その後でリセットが行われたことになる。何者かがこちらの世界で九尾の妖狐……というより尾形虎之介を倒した? だからリセットが行われた?


 完全に復活した妖狐を倒す? それはほとんど奇跡のような出来事ではないか? 尾瀬は顕現した妖狐の残忍な強さを思い出す。二度目は……ない。


「急がないと」


 まずは、皆が異世界に招かれることを防がないといけない。尾形虎之介が一番に行ってしまうことは、逝ってしまうことだけは、何よりも防がないといけない。


 こうして尾瀬は、陰ながら尾形の交通事故を未然に防いだが、異世界行きの儀式事態を食い止めることはできなかった。召喚される順番が入れ替わっただけ。


 順番が入れ替わり、『化獣集』が尾形虎之介を妨害する動きをとる時間ができた。しかし『狼』がなかなか倒されないせいで、尾瀬は思い通りに事を進めることができない。そうこうしているうちに、美作へ『彼岸花』がやってくる。


 美作にて、再び『虎』『狢』『獺』が一堂に会するが、『獺』はそのまま退場となる。



◇◇◇



 おそらく『彼岸花』が美作に到着する前日であろうところで、その日記は終わっていた。あとのことは、俺が知っている。


 二度目のリセットが実行された時――つまり俺が金倉堂で殺された時だが――尾瀬は現実世界にいたはずだ。しかし『天守・地守』の能力を西尾に奪われ失っていたため、尾瀬視点で考えると、『彼岸花』に倒された次の瞬間には、また数刻前の化粧寺にいた……という感覚であろう。


 運命は変えられない。『彼岸花』の急襲を予期できたものの、逃げる暇がない。その緊迫感は、日記にその部分が何も綴られていないことからむしろ想像できる。


 運命に抗って、観測者が俺に残した言葉がこれだった。


「あ・と・いっ・か・い」


 やっと意味がわかった。

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